WEB SNIPER Cinema Review!!
世界を震撼させた"トロフィーハンティング"の実態
野生動物の楽園、アフリカ。茂みに身を隠したハンターは息をひそめ、獲物との距離を詰める。スコープを覗き、高鳴る鼓動を感じながら数秒......。乾いた草原に発砲音が鳴り響き、仕留められたキリンが力なく地に横たわる。人はなぜ、不必要に動物を"殺す"のか?シアター・イメージフォーラムほか全国劇場ロードショー!
アフリカで行なわれている、レクリエーショナル・ハンティングのドキュメンタリーを観る前の心構えはといえばもう、命を弄ぶクソ野郎どもを心の底から糾弾してやろうという正義感と怒りを好奇心ソースで和えた気持ちのマリネなのだが、本作の監督ウルリヒ・ザイドルは、「経済格差を利用した収奪ツーリズムの醜さと寂しさをこれでもかと映しました!」みたいなこちらは劇映画『パラダイス:愛』を撮った監督であり、今回もお客様のご要望には100%お応えします!という作品ではあるのだけど、どうもそれだけではない。この料理違和感あります、ちょっと変な気持ちになってきちゃいました(実はベニテングダケも混ざっていていつもと違う自分に目覚めてしまった)みたいなことが起きるのである。
楽しむために動物を狩るのは、貴族の時代から続く紳士の嗜みだった。けれども時代がすすむにつれ、また動物が絶滅したりするにつれ、それって帝国主義的で、野蛮で、あり得ない行為だよね(アメリカンバイソンの頭蓋骨の山とその上に立つ男の白黒写真なんかを思い出す)、というコンセンサスが世界を支配するようになり、今ではもう姿を消したのだった......と思っていたら、そうでもないらしい。本作に出てくるナミビアの特別狩猟区では、ドイツ人牧場主のもと、インパラ245ユーロ、キリン3500ユーロなどと値段がつけられて、今でも観光客たちが狩猟を楽しんでいる。
動物に感づかれないために無言で進む一行、その息遣いや、靴底と砂利のこすれる音。声をひそめた会話。本作はBGMがなく、音楽で不吉さを演出しない。にもかかわらず、全編にわたって猟奇的で不吉な雰囲気がみなぎっている。
映画の編集には作為的に思えるところもある。動物を剥製にした残りの肉を食べる地元のナミビア人は、家の外に立ち、両手で肉塊を掴み、一心にカメラを見つめながらかじり続ける。いや、食べるにしても食卓囲んで家族と一緒に食ってるでしょ!?と言いたい。ナミビア人はカメラに映し出されても、一切セリフが収録されていないのも怖い。ハンターは欧米、ロシア、中国からやってくるそうだが、本作にはドイツ語を話す白人ハンターしか出てこない。
両親と一緒に狩猟を楽しむ、若い兄妹は強烈だ。植民地時代の探検家ファッション(『タンタンの冒険』に出てきそうな丸い帽子に半パン)に身を固め、無菌状態で育ったような、あどけない目をした二人。男の子は「これは野生動物にとっての救済なんだ」と間引きの有用性について語り、女の子はキリンがいかに可愛いかについて語る。そのあと、狩猟に出かけた彼らはキリンを射殺する。
アフリカの大地は見渡す限り何もなく、所々に木が生えている。だから撃たれた動物がうずくまっているのは何か、巨大なUFOキャッチャーが、大地に落としていった景品という感じがする。狩りに成功して近づいていくと、そこには1/1スケールの動物が落ちている。その動物はもう逃げないので、好きなだけ触ることができる。ヌーを狩り、シマウマを狩り、このドキュメンタリーを観ていると「動物に触りたい」という懐かしい感情がよみがえってくる。たとえば小学生の頃、通学路には動物がいた。けれどスズメもカラスも、大抵の動物は仲良くしてくれない。野良猫が触らせてくれたら、大ラッキー。シマウマに触りたければ、動物園にいくか、ぬいぐるみを買うしかない。
『バーフバリ 王の凱旋』(S・S・ラージャマウリ監督)では、主人公バーフバリが暴れ象を一瞬で手なづけるシーンが出てくる。「釈迦涅槃図」には寿命を迎える釈迦のまわりに、動物が集まってくるさまが描かれている。王や仏は、動物と意思の疎通ができ、心を開かせ、仲良くすることができる。それは奇跡なのだ。ところがこのドキュメンタリーのハンターたちは、野生動物にぺたぺた触っている。野生動物にポーズをとらせ、一緒に写真に収まる。そこには「殺せば触れる」という事実がある。
彼らは狩ったあと動物と一緒に写真を撮り、車で運んで、皮を剥いで、剥製にして首だけ持って帰る。メソポタミア文明の出土品に「円筒印章」というものがある。石に溝が彫ってあって、これを柔らかい粘土に押しつけて一回転させると木や動物なんかが描いてある絵が、スタンプされる。これは印鑑のように使っていたらしいけれども、世界を所有し、持ち運べるようにするアイディアでもあった。人類はその後、絵の具や、写真機や、ビデオカメラなんかを発明し、世界を切り取って所有したい人間の欲望を満たしてきた。しかしそれも全て、狩猟の代替品ではないかという声が、本作を観ていると聞こえてくる。「狩りをすると、色々な感情で頭がいっぱいになる」と女の子が言う。ハンティングで得られる脳への刺激は、ハンティング以外では得られないのかもしれない。そして絵も、詩も、彫刻も、写真も、殺して所有するのを諦めた人間にとっての、代替品にすぎないのかもしれないというような考えが、頭に侵入してくる。
ハンティングが究極の行為なら、その先に人間を対象にした狩りがないはずがない。このドキュメンタリーが不吉なのは、その背後に終始、人間狩りの予感がはりついているからだ。そしてそれこそが、やりたかったことなのかもしれないと思えてくる。その毒を解毒するには、人間狩りの映画『懲罰大陸★USA』(ピーター・ワトキンス監督)を観て、狩られる側の気持ちをたっぷり味わうしかないかもしれない。
文=ターHELL穴トミヤ
人間の倫理の境界線。
焙り出される狂った人間の倫理観――
『サファリ』
シアター・イメージフォーラムほか全国劇場ロードショー!
関連リンク
関連記事
「対独戦争もいいけど、まずは酒飲みたい」みたいな距離感がいい 映画『ウィスキーと2人の花嫁』公開中!!