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「釜山国際映画祭」最優秀ドキュメンタリー賞、「山形国際ドキュメンタリー映画祭」市民賞、東京フィルメックス」観客賞受賞
2006年、大阪・泉南地域の石綿(アスベスト)工場の元労働者とその家族が、損害賠償を求め国を訴えた。しかし、勝っても勝っても地裁、高裁、最高裁へと国は逃げ続ける。「大阪・泉南アスベスト国賠訴訟」、8年間の全記録。2018年3月10日ユーロスペース他全国順次公開
スピルバーグの『ミュンヘン』で興奮したシーンがあって、イスラエル選手団への襲撃事件が起きたあと、その被害者の顔が一人づつTVのニュースで流される。その顔と交互に、机の上に顔写真が並べられていく。それは復讐のため、政府首脳にだけ示されている、秘密の顔なのだ。映画はTVでは流れない顔を映し出す、そこに観客を連れて行くメディアなんだという、スピルバーグのそんな矜持が込められていた。
石綿じん肺被害者による国家賠償請求の裁判をおった本作は、第1部と第2部に分かれていて、途中に休憩が挟まれながら全部で3時間35分ある。その全場面の中で、最もスクリーンに釘付けになったのは、集団訴訟の中から裁判所によって3人だけ切り捨てられた、そのうちの1人が、街頭で泣きながら、演説しているシーンだった。彼女もまた前日に、TVカメラの前では、今度の裁判について笑顔で語っている。その翌日に、本当はつらいと、映画のカメラを前にして言う。なぜ自分がこの訴訟に加わったのか、とにかくその自分の話を聞いてほしい、世間の人に聞いてほしい、という一心が、そのまま口をついて流れているような、そんな演説を、彼女は街頭で行なっている。世の中に対して、目の前の誰というわけでもなく語る、無念を込めた、その話をずっと、カットせずに、本作は撮っている。顧みられていなかった人々が立ち上がり、戦い、そしてついに何かしらの結果が出る、というストーリーからさらに、再び切り落とされた人がいて、その話を撮るんだという気概がそこにはある。この映画のメインストーリーからは外れている、その言葉がこの映画では、最初から最後まで映されていて、それがもっとも胸を打つ。それがこの映画の力になっているのだ。
マイケル・ムーア監督にもドキュメンタリー映画生涯ベスト1として挙げられている『ゆきゆきて、神軍』など、本作の監督、原一男の作品は、いつも「信じられないものを観た......」という衝撃を与えてくれる。ところが久しぶりに公開された新作は、すこし毛色が変わっていた。それは日本人が変わったからで、昭和の頃にいた「ぶっちぎりの人達」は今やいなくなったのだ。監督である原一男も不満だったのだろう、原告の一人に「なんでもっと感情を出さないんですか?」と疑問をぶつけるシーンがある。すると「感情を爆発させるって、たとえば厚生労働省前で、焼身自殺とかですか?」という答えが返ってくる。その人は、父親がアスベストによる病気を発症し、30年勤めていた会社に被害を訴えたところ門前払いされた。そこからたった一人で、ずっと手続きを踏みつつ訴えを続けている。彼は「感情じゃ意味ないんです」と言う。この映画は原一男の過去の作品にあるような「逸脱の人々」ではなく、「手続きに従って怒り続ける人々」のドキュメンタリーになっている。監督はローギアでじりじり進み続けるような、トルクの強い怒りを、8年にわたって撮影した。
石綿(アスベスト)は、耐火・耐久にすぐれた奇跡の鉱物として工業製品に広く使われてきた。ところがあるときに、それが発癌性物質だということが分かった。分かってからも日本政府は石綿を禁止せず、その間にも石綿工場で労働者たちが石綿を吸い込んでいく。彼らは数十年を経て、肺がんになったり、中皮腫になって、亡くなっていく。
第1部は、原告団を結成すべく、石綿労働者やその家族を訪ねていくところから始まる。ところが自分を「被害者」という立場に置くことに反発を覚える人もいる。誇りを持って従事していた。自分と家族を養う力を与えてくれた。そんな仕事に、感謝こそすれ訴えるなんておかしい、その気持ちもよくわかる。
集まってきた原告の人々も、撮影中にどんどん亡くなっていく。さっきまで家族や仲間としゃべっていた人が、何度目かのシーンで一時停止になり「20xx年 死亡」のテロップが入る。
第2部になると、昭和の残り香を漂わせている男性が「弁護士先生には内緒で、首相官邸に突入しよう!賛成の人は今ここで挙手してほしい」とか言いだして、原一男な展開がやってくる。この人が感情的になるたびに「悔しいのはわかるけど、せっかく法治国家のルールに従ってみんなやってきたのに、ここで印象悪くしてどうするのよ」と思ってしまう、そんな私もまた「ぶっちぎりの人達」以後の日本人なのだろう。ところがその行動には、彼なりのロジックがあった。いわく「相手(国)の用意した枠内で戦うのでいいのか」、または「弁護士が用意した、その場を収めるための言葉を読み上げるだけでいいのか」。このドキュメンタリーの大筋は、法的解決への戦いで、それはたしかに大きな解決ではあるけれど、一面でしかない。もうひとつは気持ちの解決で、それは「厚生労働省前で、焼身自殺」では失敗だけれども、たとえば「話を聞いてもらう」とかそういうことで訪れる。それを最も理解しているのは、この原一男的な男性だったのだ。
対する厚生省はといえば、とにかく話を聞きたくないらしく、そこで繰り出される作戦がまたすごい。家族や仲間がガンガン亡くなっていくなか、それでも怒りをこらえて手続きに従おうとしている原告団と、歴戦の弁護士軍団。その前に、毎回、右も左も分からないような若い職員が差し出される。彼らはひたすら謝罪しつつ「対応は未定です」みたいなことを言うしかない。今にもウツ病になってしまいそうな新兵を前に、しかし窓口がそこでしかないなら、原告団も孫のような若者を責め続けるしかない、けれどかなりの虚しさが漂う。これを厚生省による「人間の盾作戦」ならぬ「新卒の盾作戦」と名付けたい。
本作、一番ムチャな男は原一男自身かもしれない。家族が隠しているのに、監督が気づかず「余命一年らしいですが」と本人に聞いてしまい、奥さんが笑うしかないみたいになっているシーンには、つい吹き出してしまった。手続きに従って怒り続ける日本人、そして枠からはみ出ていく原一男的日本人。物事を動かす新・旧ふたつの日本人によって、この訴訟は戦われた。その結末は映画で確認してほしい。
文=ターHELL穴トミヤ
ニッポン国から棄てられた民が国に問いただす――
「ウチらの命、なんぼなん?」
『ニッポン国VS泉南石綿村』
2018年3月10日ユーロスペース他全国順次公開
関連リンク
映画『ニッポン国VS泉南石綿村』公式サイト
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