web sniper's book review
手塚マンガにとってエロスとは何か
前代未聞。
手塚治虫のエロス表現に娘である手塚るみ子がスポットをあてる!
まったく新しい角度からのアプローチ。堂々たるアダルトファンタジーから少年マンガに潜む隠れたエロスまで、
想像を絶する範囲に広がる未知のエロティシズムを1000ページに凝縮!
しかし(何で読んだのか忘れてしまったが)手塚の漫画で最も人気があるとされるのは「昔」「道徳」「教育」というイメージの連鎖から外れた『ブラックジャック』である。生と死の狭間に生きる一匹狼の無免許医師というダーティー・ヒーロー作品。やはり読者は正道のイメージから外れたものにエキサイティングするのだ。『手塚治虫エロス1000ページ』はそういった、手塚作品の中では『ブラックジャック』を愛好するような読者に向けた、正道のイメージから外れたエキサイティングな作品だけを集めたアンソロジー本である。収録作品のタイトルを並べておく。
上巻「月に吠える女たち」「角」「出ていけッ!」「上を下へのジレッタ(門前市郎 次なる大計画へ転身をもくろむこと)」「きりひと賛歌(阿呆宮)」「I.L(蛾)」「グロテスクへの招待」「海のトリトン(変身)」「バンパイヤ(奇獣ウェコとロックとのめぐり合い)」「百物語(放浪編)」「サンダーマスク(デカンダー)(オミクロン)」「帰還者」「人間昆虫記(春蝉の章)」「座談会・手塚作品は絵全体が濡れている」。
下巻「おかあさんの足」「負け女郎」「セクソダス」「ヌーディアン列島」「ガラスの城の記録(ガラス屋敷の人々)」「奇子(さなぎ)」「アラバスター(亜美の秘密)」「やけっぱちのマリア」「こじき姫ルンペネラ」「ばるぼら(デパートの女)」「ブラック・ジャック(人間鳥)」「ヒョーロク記」「ふたりは空気の底に」。
上巻は「変身シーン」、下巻は「女性の生き方」がテーマである。すべての作品が完全収録されているわけではなく、一話ずつの抜粋も多い。エッセンスを試して全部読むには単行本で、ということなのだろう。個人的に大推薦したいのは下巻で、特に「こじき姫ルンペネラ」はめまぐるしい展開とエロと映画パロディの総合エンターテインメントであり、手塚のキッチュ/モンド路線の最高傑作だと思っている。他に「アラバスター」「ばるぼら」なども捨てがたい。
「動くもの、動きのあるものにはなんでもエロティシズムを感じるのです。なぜエロティシズムを感じるのかといえば、そこに生命力を感じるからなのです」
「たとえば雲がある形から別の形に移行する、その変化の過程に色気を感じるのです。動きの色っぽさを追求するためにアニメを始めたともいえます」
(手塚治虫、本書オビ文句より)
このアンソロジーのタイトルに「エロス」とあるように、個々の作品にエロスを感じさせる場面はたしかに多いのだが、同時に必ずといっていいほどグロテスクな描写もついてくる。よく言われるように手塚の作品にはメタモルフォーゼ(変身/変態)が多く、そのメタモルフォーゼの一環としてエロスとグロテスクが持ち出されやすい。元来エロスとグロテスクが表裏一体のものだと考えれば(エロスは隠蔽された内臓に近づく行為だ)、手塚にとってエログロは生命力を表現する手段であり、つまり『手塚治虫エロス1000ページ』は手塚作品の中でも「生きるとは何か」をテーマにした物語を中心に編まれていることになる。とすると、『火の鳥』や『ブッダ』で描いていたテーマと本質的には同じものであるし、機械の体に人間の心を持ってしまった『鉄腕アトム』の悩みなどとも共通するだろう。
こう考えれば手塚治虫が書こうとしていたものは常に一定で、それを表現する際の方法・アレンジが「なんだか教育的風」や「なんだかグロテスク風」などに見えるだけで、手塚を教育的イメージで見ている人は、単に手塚作品をあまり読んでいない人だとわかる。手塚のバリエーションを知る為には、手っ取り早いアンソロジーだといえるだろう。
文=ばるぼら
『手塚治虫エロス1000ページ(INFASパブリケーションズ)』上下
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『月刊ニュータイプ 2010年3月号 The 300th ANNIVERSARY SPECIAL(角川書店)』
ばるぼら ネットワーカー。周辺文化研究家&古雑誌収集家。著書に『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』『ウェブアニメーション大百科』(共に翔泳社)『NYLON 100%』(アスペクト)など。『アイデア』不定期連載中。
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