WEB SNIPER's book review
インターネットに足りないのは「編集」という武器だ!
雑誌の売り上げが年々減っていき、廃刊も相次ぐ中、雑誌がもっていた何かを問い直そうという本が増えてきている。例えば、編集者の仲俣暁生が著した『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社、2011)などもその例だろう。
本書もまた、多感な頃に雑誌を夢中で読んできた人、さらに夢中が高じて雑誌編集者やライターになった人には必見の書だろう。デザイン雑誌『アイデア』(誠文堂新光社)に連載していた人気コーナーを再編集したもので、かつて時代を創った影響力のある雑誌を、制作した編集者、デザイナーなどへのインタビューと年表や関連書籍などのバックグラウンドとともに紹介している。また、二人の著者によって対話形式でそれらの解説がなされている。
「20世紀エディトリアル・オデッセイ」と銘打たれており、巻末には20世紀に発刊された雑誌が年表としてまとめられているが、実際は著者たちがもっとも影響を受けたであろう、70年代に創刊された雑誌文化のオマージュという側面が強い。赤田祐一は、『Quick Japan』(太田出版)の創刊編集長という経歴であり、ばるぼらは、インターネット界隈のオルタナティブな文化に強い研究者である。
おそらく、タイトルは1968年にアメリカで公開された映画『2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)』から引用されているように思うが、そのことは本書にとって大きな意味があるので後で述べる。
今日において、ソーシャルネットワーク、ウェブマガジン、メールマガジン、まとめサイトなど、かつて雑誌が果たしてきた役割や機能がインターネット上のメディアに置き換えられつつある。しかし、雑誌を読んで青春を過ごしきた人々にとっては、現在のインターネットに決定的に欠如しているものがあると感じているのも事実だろう。
インターネットは、情報が切り刻まれており、最小単位の分子に、検索やソーシャルネットワークによってダイレクトにアクセスするようになっており、そこから世界観を見出すことは難しい。
その点、建築が身体のメタファーで語られるように、雑誌や書籍もまた一個の身体、小宇宙として構成されている。表紙は顔であり、中身は臓器や肢体である。それを外側から眺め、また内側を見ることで、読者は、編集者の世界の切り取り方、つなげ方を体感することができる。インターネット上のメディアでは、そういう経験はできない。
逆に言えば、雑誌の衰退期において、インターネットに欠如しているものや、雑誌の持っていた魅力がはっきりしてきたと言えるかもしれない。
それは、《インターネットにたりないのは「編集」という武器だ!》と多少センセーショナルなキャッチコピーとして帯にも書かれているように、「編集」であり「世界観」「価値観」であると言える。そのことは繰り返し本書でも述べられている。本書で語られていることをあえて簡潔に定義すれば、「雑誌とは世界を編集して世界観を伝えるメディアである」と言っていいかもしれない。
本書の最初に『Whole Earth Catalog』 が紹介されていることでも、著者たちのそのような意識があることは明確だろう。2005年に、スティーブ・ジョブズが、スタンフォード大学の卒業式で行なった記念講演において発言した「stay hungry, stay foolish」という文句が、『Whole Earth Catalog』から引用されていたことで、再び注目を浴びるようになった。
西海岸のヒッピーカルチャー、コンピューターサイエンス、オルタナティブでDIYな精神が濃密に詰まったこの雑誌に当時の西海岸のテクノロジーベンチャー企業の創業者たちも影響を受けており、ジョブズもその一人だった。そのため、インターネット社会を予見、牽引した、と評されたりする伝説的な雑誌である。
ただし、「地球をまるごとカタログ化する」というようなコンセプトは、60年代から70年代に特徴的なのものと言わなければならない。1968年に『Whole Earth Catalog』を創刊したスチュアート・ブランドは、このアイディアをバックミンスター・フラーの講演を聞いて思いついたという。
バックミンスター・フラーは、建築家の枠に収まらない思想家、発明家と言えばいいだろうか。正三角形のフレームで球体状の構造物を組み上げるフラー・ドーム(ジオデシック・ドーム)は、多くの建築家に影響を与えた。丹下健三をはじめ、黒川紀章や菊竹清訓などのメタボリズムの建築家たちもその影響下にある。彼らが建てた大阪万博のパビリオンはまるごとフラーの思想の影響下にあると言っていいかもしれない。
フラーは、1963年に『宇宙船地球号操縦マニュアル(Operating manual for Spaceship Earth)』を著しており、地球は広大な宇宙に浮かぶ有限な存在であることを示した。
1960年代は、米ソ宇宙開発競争の只中であり、宇宙への意識が多くの人々に刷り込まれた時代でもある。『Whole Earth Catalog』が『Whole World Catalog』ではないのは、地球の有限性、物質性、宇宙観が強く意識されているからだと言えるだろう。
『2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)』と『Whole Earth Catalog』が同じ年に誕生したのは偶然ではない。同じ宇宙意識が根底にあるのだ。
そして、ほとんどが日本の雑誌を紹介している本書において、アメリカで創刊された『Whole Earth Catalog』を冒頭で詳細に取り上げているのは、70年代に創刊された日本の雑誌が多かれ少なかれ影響を受けているからである。その事実は、当時の編集者やデザイナーへの綿密なインタビューによって裏付けられている。60年代においては、まだまだ海外に渡航するのは難しかったが、70年代になり海外への扉が開かれ情報が大量に流入したことも大きいだろう。
スチアュート・ブランドをはじめ多くの伝説的な雑誌編集者、デザイナーに対する膨大なインタビューは本書が持つ大きな価値の一つだろう。彼らの人間関係や、制作体制、思想的背景などから見えてくることも多く、「世界観」を知る上で大いに参考になる。
特に『少年マガジン』の巻頭グラビアを編集し、その後のクリエイターやアーティストに多大な影響を与えた大伴昌司に関しては当人が若くして亡くなっているため、102歳(当時)の母親にまでインタビューするという徹底ぶりである(大伴昌司に影響を受けたクリエイターは多いと思うが、本書でも再評価した人物として言及されている美術評論家の椹木野衣や野々村文宏など、私が指導を受けた先生など身近な人にも多い)。
「よくぞここまで......」とため息が出るような情報量の詰め込まれた本であるが、その偏りぶりも半端じゃない。コミックマーケットや同人誌まで網羅されているものの、本人たちも認めているように取り上げていない雑誌や歴史も多い。
本書は、あくまで著者たちにとっての「ホール・マガジン・カタログ」であり、その偏愛こそが「世界観」だと言えるだろう。大原大次郎のデザインやレイアウトも徹底しており、コンピュータ導入以前のレイアウトを追体験できるのも楽しい。
個人的には、今日のWorld Wide Web(WWW)に代表されるように、60年代から70年代の宇宙意識がいつのまに人間中心の世界意識へと変化してしまったのか気になっている。ゼロ年代に流行したセカイ系と関係があるのかないのかはわからないが、「Cosmology」と比べて「Worldview」は極めて人工的で、人為的な感覚がする。
「Cosmology」は、宇宙や自然といった、人間にはどうにもならない超越的なもの想定されているように思う。フラーや『Whole Earth Catalog』が示したのはそういう「世界観」だろう。そして、今日、人間の行為によって急激に変化している地球の厳しい環境は、フラーが警鐘を鳴らした「世界観」そのものである。
現在のインターネットに欠如しているのは、顔と体を持ち、強烈な体臭をもった雑誌の持っていた物質性や編集であると同時に、「世界観」の根幹をなす「Earth」に対する感覚ではないだろうか。
本書を読むことで単なる懐古趣味ではなく、21世紀に必要なインターネットを含めた情報を編集するために必要な「世界観」の輪郭が少しずつ見えてくる。それはすなわち、今日のメディア環境や地球環境を見直すことにも繋がっているのだ。
文=三木学
『20世紀エディトリアル・オデッセイ: 時代を創った雑誌たち』(誠文堂新光社)
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