WEB SNIPER's book review
この夏、「盆踊りデビュー」してみませんか?
日本人で盆踊りを体験したことのない人は少ないだろう。盆踊りとは、字義通り「お盆で踊る」ことである。お盆とは旧暦の7月15日前後に行なわれる先祖供養の行事であり、盆踊りはその一環であると言える。
単純化するとそう言えるが、お盆は、仏教だけではなく、日本代々の祖霊崇拝、道教などの影響が習合しており、さらに盆踊りもまた幾つもの要素が混在している。それだけに明確に割り切れるものではないところが多い。また、盆踊りが今日まで支持され、受け継がれてきたのは、幾つものエッセンスが混ざり合っているからでもある。実は、盆踊りほど日本人に馴染み深く、そして語るのが難しい踊りもないだろう。
本書では、民俗芸能の専門家や盆踊りサイト運営者、浴衣の着付師など、盆踊りに注目する人々にインタビューを行ない20の問答形式に再編することで、入門者の素朴な疑問を解いている。また、盆踊りにまつわる様々なエピソードや、自らも盆踊りの音頭を作曲しているチャンキー松本の漫画などによって盆踊りで得られる体験のサンプルを挙げている。
しかし、本書の目的は、「盆踊りをはじめよう!」という副題が示しているように、学問的な知識の獲得ではない。盆踊りを読者自身が「発見」し「参加」へと誘うことにあるのだ。
本書のように、民俗学的な研究書ではなく、一般の人々が盆踊りを始めるためのガイドブックが続々と出版されてきている。それは今までになかった新しい盆踊りのムーブメントを表わしていると言える。
今、盆踊りが注目を集めるのはなぜなのか? その問いは日本人にとって根源的で深い問題を孕んでいるので、皆さんが体験する前に少し掘り下げてみたい。
本書でも言及されているが、日本で行なわれている盆踊りが大小、幾つあり、何種類あるかは定かではない。ハワイやブラジルへの移民と同時に、現地で伝承されているものも含めれば無数にあるだろう。
なかでも、徳島の阿波おどり、秋田の西馬音内の盆踊り、岐阜の郡山おどりが日本三大盆踊りということになっているが、重要無形民俗文化財などに指定されている盆踊りも多く、各地に魅力的な盆踊りが継承されている。
私が、盆踊りに注目したのは、1992年頃に遡るので、すでに22年前ということになる。そのきっかけは、音楽学者の中川真氏が著した『平安京 音の宇宙』(平凡社、1992年)の中に、「バサラの熱狂」として、私のイメージしていた盆踊りとはかけ離れた、奈良県南部にある十津川村の盆踊りのことが紹介されていたからだ。その記述に興味を持った私は、翌年の1993年には中川氏の盆踊りの調査に同行するようになる。
十津川村の盆踊りは、主に室町後期から安土桃山時代にかけて流行した、風流踊の面影を今に伝えている歴史的にも貴重なものとされ重要無形民俗文化財にもなっている。舞扇を両手に持ち、複雑な扇の手さばきと身体の旋回を伴う、芸術的な踊りはまさに「風流」と形容するにふさわしい。扇は提灯に照らされることで金や銀の模様を乱反射し、体を捻るたびに華やかな浴衣は女性の美しさを強調する。
それと対比するように、盆踊りの最後に行なわれる「大踊り」は、男衆が櫓の周囲を走りながらぶつかりあい、弾き飛ばしていく勇壮な踊りである。その様子を中川氏は「バサラの熱狂」と表現したのだが、風流と「異類異形」の風体をするバサラの美学はつながっている。
本書でもふれられているが、盆踊りでは仮装が行なわれることが多い。男装、女装、道化など、かつてならバサラと言われた格好にふんして、同じ輪の中で踊ることで、祖霊や亡霊を慰めこの世とあの世や、現世の規律など、様々な境界がなくなっていくのだ。そして、夜通し踊り続け、祖霊や亡霊には、朝になるとお帰りいただくのが習わしだ。
十津川村でも最近では朝まで踊ることはないが、騒音問題の発生しない山奥の盆踊りはかなり遅くまで踊り続ける。それが連日、近隣の集落で行なわれ、相互に参加することも多いので、いかに特別な期間なのかがわかる。
その後、社会人になってからも10年ほどは、お盆には十津川村で盆踊りをして過ごすことになった。初めての参加で、甘美でありながら勇壮な踊りにすっかり魅せられてしまったのだ。
その魅力はいろいろあるが、地域コミュニティ、祖霊、仮装者、そして我々のような訪問者を、櫓を中心にした輪の中に巻き込んでいく一体感であると言える。
盆踊りは、鎌倉仏教の時宗の宗祖である一遍上人の踊り念仏に一つの起源がある。当時は浄土宗や浄土真宗など、阿弥陀如来の信仰が流行していたころで一遍もそれに続いていた。また、本地垂迹説という、日本の神々を仏教の仏様の化身(垂迹身)と見立て、本地を仏様とする考え方が普及していた。そこで伊勢神宮の神様は大日如来、熊野本宮大社は阿弥陀如来と見立てられていたのだ。
一遍上人は、「南無阿弥陀仏」と書いた念仏札を配りながら布教していたが、受け取りを拒否されることも多かった。そして、阿弥陀如来が本地とされる熊野本宮大社に参詣する際に、化身である熊野権現に「信不信をえらばず、浄不浄をきらはず、その札をくばるべし」と夢告を受ける。
そこから、一遍と名を改め「決定往生 六十万人」と念仏札に書き足し、全国を行脚することになる。その石碑が今でも熊野本宮大社の旧社地「大斎原(おおゆのはら)」に行く参道前に立てられている。
熊野本宮大社は十津川村と隣接しており、盆踊りのルーツとの深い結びつきがある。本書にも、熊野本宮大社に近い、熊野古道のある伏拝(ふしおがみ)の盆踊りは供養踊りなので、訪問者が参加することは大変な供養になる、ということで参加することを勧められたエピソードが紹介されている。
一遍は熊野を旅立ち、後に時衆と言われる集団となって全国を行脚する中で、信濃で踊り念仏を始める。それは相当に激しいものであったらしい。鉦鼓(しょうこ)を打ち鳴らし、床を踏んで飛び跳ねる踊り念仏の様子が、『一遍聖絵(一遍上人絵伝)』(国宝)に描かれている。
一遍は、平安時代に「市の聖」と言われていた空也上人を尊敬しておりそれに倣ったとされるが、踊り念仏の萌芽はすでに民衆の中に息づいていたように思う。突如、踊り念仏を開始したと考えるのは少し不自然だからだ。各地を布教する中で、民衆の踊りにヒントを得たと考えるほうが自然だろう。
一遍は、全国を布教して、各地で熱狂的に迎えられた。そして、踊り念仏は各地の文化風俗と結びついて独自性を持ち、様々な形で受け継がれていくことになる。それが今日にまで残っている全国各地の盆踊りである。
しかし、当初は、踊り念仏は盆だけに行なわれていたわけではない。踊り念仏があまりに熱狂的になるので、幕府や寺社によって規制され、次第にお盆の時期だけに限定されてしまう。そして「踊り念仏」は「盆踊り」になっていく。
お盆とは仏教行事の盂蘭盆などの先祖供養や亡者慰霊と日本代々の祖霊崇拝、精霊信仰の慣習などが習合したものだ。おそらく盆踊りもまた、それ以前からの祖霊崇拝や精霊信仰のための踊りと結びついたハイブリットなダンスなのではないか。
踊り念仏は、阿弥陀如来を礼賛し、死後の往生を願うための踊りでもあったが、祖霊崇拝、精霊信仰などとつながり、年に1度、先祖をお迎えし、一緒に踊ることで供養する盆踊りになっていった。そして、訪問者をもてなすと同時に、地域コミュニティの団結を促し、さらには、男女の仲もよくした。
当時は、盆踊りの後に乱交もどきになった例は各地で伝えられている。婚姻前の若者だけではなく、既婚者もそこには含まれる。私が、田舎の盆踊りに感じていた甘美で淫靡な雰囲気も、その系譜を引き継いでいたのだろう。一時的な解放感や外部のものを受け入れる積極性も、踊りによる恍惚と一体感の帰結だろう。
それは、ブラジルのリオのカーニバルの十月十日後に、大量の子どもが生まれる例と似ている。最近ではそれを防ぐために、カーニバルでは必ずコンドームが配られている。避妊具がない昔においては、子どもが生まれるのは必然だっただろう。派手な衣装と仮装で知られるリオのカーニバルがキリスト教の謝肉祭でありながら、土着的な祖霊崇拝、精霊信仰のエッセンスが混ざっているという類似性も興味深い。
今では、盆踊りはすっかり健全な形になっていると思うが、近年話題となっている風営法のような近代的な視点で捉えようとすると見間違える。そもそも、日本にとって聖と性は切っても切れない関係にあるからだ。
先祖、地域コミュニティ、男女、そして訪問者など、本来離れている関係性が、すべて一体化する瞬間が盆踊りなのだ。現代の孤独に耐えながら生きている日本人が欲しくてたまらないものが全て詰まっているといっても過言ではない。本書にも、東日本大震災後に、開催された盆踊りで、遺影を抱えている人がいた例や、供養のために盆踊りが再び人々の心を捉えた例が紹介されている。
また、盆踊りは日本の芸能や祭りのプラットフォームとなってきた歴史もある。戦前の東京音頭、戦後の東京五輪音頭、万国博音頭、ドラえもん音頭、アラレちゃん音頭、アンパンマン音頭など、盆踊りの音頭は大衆曲としても供給され続けてきた。大友良英の『あまちゃん音頭』もその系譜に連なるものだろう。
そのようなメジャーな取り組みだけではなく、本書においても紹介されている西荻窪を案内する音頭を作る取り組みのような、巨大都市の中の町内会のようなミクロなレベルで盆踊りは新たなニーズを得ている。
東京というのは、もともとは地方出身者の集まりであり、高円寺の阿波おどり、青山の郡山おどり、錦糸町の河内音頭など、出身地ごとの盆踊りが行なわれている盆踊りの見本市のような場所でもある。東京の盆踊りでその魅力にはまり、現地に行くというのも手だろう。もちろん、地方での伝統的な盆踊りも、地域振興のための重要な行事として見直され始めている。
同時に、西荻窪のような小さな単位で、新しい盆踊りを作る動きも見逃すことはできない。神奈川県藤沢市では、ヒップホップと盆踊りが融合しようとしているという例が挙げられているが、そもそもヒップホップのMC、レゲエにおけるDJと、盆踊りの音頭取りの関係は極めて近い。
単純なリズムパターンにのせて、地域の名所や名物、伝説などを韻を踏みながら歌い、ダンスを盛り上げるわけなので当然類似性が見えてくる。それは英語やパトワ(ジャマイカ訛りの英語)で歌われてきたヒップホップやレゲエが、21世紀になって日本語化が進んだことで、新たに盆踊りとの近さを若者が発見したということだろう。
河内音頭のように地方の盆踊りから、都市型の盆踊りとして発展していき、全国のメディアとは一線を画する独自の文化になり、新たな楽器やジャンルが混じっていくことも興味深い。
東日本大震災、全国的に広がる限界集落や少子化、大衆音楽の市場の減少、レゲエやヒップホップなどの日本語化から見えてきた共通点など、あらゆる現象が流れ込んで大きな潮流となり、盆踊りを再び求める機運となっていると言えるだろう。
盆踊りは、様々な関係性を失い、地方から都市まで疲弊した人々が、もう一度自分の居場所を求めアイデンティティを確認するための受け皿であり魂の叫びなのかもしれない。その意味で、日本人のソウル・ミュージックであり、ダンス・ミュージックの原点だと言えるだろう。つまり盆踊りは今、必然的に回帰すべき音楽でありダンスなのだ。本書を読んで、この夏は是非、その輪の中に身を投じて欲しい。満たされるものがきっとあるはずだ。
文=三木学
『盆おどる本 --盆踊りをはじめよう!』(青幻舎)
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