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ネットワーク社会における文化論!!
西尾維新、富野由悠季、J・J・エイブラムズ、ZUN、柳田國男、村上春樹、レイモンド・チャンドラー、ルイス・キャロル……。 現代社会における「神話」の機能を、日本のサブカルチャーやネットカルチャーを素材にしつつ古典文学作品を織り交ぜて示した文化理論。『ユリイカ』連載を全面的に書き直し単行本化。
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『神話が考える』は奇妙にシンプルな書物である。それはどこを切っても同じことが書かれている。これは著者自身が「本書は「神話」という概念をコンパクトなやり方で説明した、より形式的なマニュアル本になるはずだった」と語っているのを鑑みれば、実に納得のいく事態だ。とはいえ、確かに本書のシンプルさはマニュアル的という類のものではない。従って、いま述べているところの「シンプルさ」も、通常の意味でシンプルだということではない。一般的な読者が抱く感慨はむしろ、精緻に織りなされた複層的な議論に対する目眩だろう。にもかかわらず本書はシンプルである。このシンプルさを、ここでは「ゲーム的なシンプルさ」と呼んでおこう。

しかしゲーム的なシンプルさとは何なのか。本書が「キーワード解説」に紙面を割き、その最後を「ゲーム」の項目の説明に費やしているのは偶然ではない。そこでは「ゲームは、プレイヤーの関与により均衡をもたらすシステムである」と定義されている。これをもう少し補えば、ゲームとはルールに基づいたプレイヤーの関与によって整合性を生み出す仕組みだということである。たとえばチェスの盤面は膨大なバリエーションとして生成され得るが、それはごく簡単なルールとそれに基づいたプレイヤーの関与だけで支えられている。『神話が考える』があたかもそのように書かれていることは間違いない。巻末に附された「キーワード解説」こそがその初期値であり、本文たる五つの章は、異なったプレイヤーの参与に基づく演算結果として提示されている。本書がマニュアル的でないというのは、まさに生真面目な演習編=シミュレーションとして書かれているということを意味するのだ。したがって「本書もまた、一編の神話である」という言葉が導かれる。

この形は恐らく必然的である。というのも「現在のネットワーク社会においては、作家は「死んだ」どころか、かつてなく増殖している」からだ。しかし、このタイプの作家性がいわゆる従来の作家性と異なった意味に変質していることは明らかだろう。本書においては、作家とは、偶然性を探査するエージェントだと定義される。ここにおいては、創作の神秘性などというものは廃棄され、作家は、ほとんど完全に可視化された神話のプログラムの起動契機でしかなくなっている。

「より多くの神話を!」と、ロラン・バルトあるいはノルベルト・ボルツ風に語る著者は、その立場を肯定しているように見える。そもそも、肯定するも否定するもない事実としてこのような状況があるのだとも言えるだろう。しかし、ゲーム的なシンプルさを念頭において本書を読むとき、我々はここにアイロニーを発見することになる(しかしそれは当然のアイロニーでもある)。

いわゆる「作家」と上記における作家の違いは、端的には、顕名と匿名の違いとして把握できる。前者は交換不可能であり、後者は交換可能である。しかし、これは、2ちゃんねる風に言えば、単に「コテハン」(固定ハンドルネーム)を使用すれば顕名の「作家」として振る舞えるということを意味していない。むしろ、あらゆる固有名を匿名に還元してしまうような働きをネットワークが担っている。そして、著者は明らかにそのような世界に抵抗し「作家」として振る舞おうとしている。そしてそれは成功しているように見える。だがそれはどのようにして可能になっているのか。

キーワードは「二重化」だ。この概念は「二重言語」「アマルガム」「アイロニー」「神話の神話」などと様々に意匠を変えながら本文中で幾度となく繰り返される、まさに本書の「神話素」である。ところが、これらの言葉は単にコンスタティヴに用いられているのではなく、むしろ、本書それ自体がこの概念のパフォーマティヴな実践であることを示す一種の信号になっている。それこそ「形態は機能に従う」ように。しかもそれはいささかも隠されていない。そもそも「神話」とは、それ自体が「起源の神話」であるような「神話」であることは、何度も繰り返し説明されている。

この認識はシミュレーションの性質にも表われている。「キーワード解説」というルールに基づいて任意のしかし多様な演算結果を取り揃えた本書の体裁は、まさに理想的な作家像(ゲームのプレイヤー像)を描いているように見える。しかし、そもそもそのキーワードそれ自体が著者によって設定された「世界のダミー」である以上、本書は明らかに別なルールに基づいた「作家」の営みに他ならない。したがって、演算結果の水準でなされる批判は全てシミュレーションのバリエーション、つまり著者の手の内だと言うことになるだろう。だからこそ「より多くの神話を!」という惹句はアイロニカルなのである。著者は自らが敷いたゲーム内においてまさに卓越的なプレイヤーとして振る舞っている。もちろんそれは「八百長」を意味するのではない。作家の中には、著者よりも上手く舞うプレイヤーもいるだろう。だが、その時点でプレイヤーは別な水準で負け続けているのである。と同時に、恐らく著者は真なる意味での対戦者を待ち続けてもいるのだろう。

このとき、「二重化」によって齎される垂直のゲームを寓話化した作品として『うみねこのなく頃に』を思い出してもよい。この作品も本書で触れられているが、著者の紹介は(恐らくはあえて)簡素なものになっている。「彼らは何が真相かを暴くことではなく、どうすれば「整合性」のとれたゲームのルールを構築できるかで競い合っているのだ」というのは正確ではない。『うみねこ』はそれがファンタジーかミステリかを争うメタゲーム的ドラマだが、その闘争はむしろ「整合性」の絶対的保証のもとに成立している。『うみねこ』で言われる魔法の定義とは「現実に可能である」というものだ。つまり、魔法はそれが存在するとき常に必要がない、というアイロニカルな状態に在る。このアイロニーが「作家」たる竜騎士07に由来していることは言うまでもない。この意味において『うみねこのなく頃に』と『神話が考える』は同型である。それを問わなければ「作家」ではない(そして今や『うみねこ』は解釈闘争の寓話を超えて、テクストの唯一性を問う寓話へと踏み込みつつある)。

このような認識がポストモダンの現実を極めて誠実に受け止めたものであるのは間違いない。それはとても批評的な認識であり、書評者は素朴に、久しぶりに批評らしい批評が現われたと感じた。(※)

文=村上裕一

(※)ポストモダンにおいて「作家」的に振る舞うためにはメタゲーム、つまりルールの正統性において争わねばならない。しかし書評者は別な見解も持っている。かつては作家の神秘性が固有名を支えていたが、その前提が崩壊した以上、作家の固有名は剥がされ、匿名的な交換可能状態に置かれてしまう。本書の言い方で言えば「エージェント」だが、それはむしろ「素材」だと言ったほうが正確だろう。ごく素朴な意味で作家は素材=奴隷化している。だが、その奴隷状態をほんとうに肯定的に捉え直すことはできないだろうか。そもそも「作家」の固有性への希求は、神に見放された個でしかありえないというポストモダンの冷徹な認識に根ざしている。それはまさに宇野常寛風のバトルロワイヤル空間だ。しかし他方、我々には、人間でないものの支配を受け入れるという選択肢があるのではないだろうか。

『神話が考える (青土社)

著者=福嶋亮大

価格:1995円
ISBN10:4791765273
発売:2010年3月25日
出版社:青土社

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村上裕一  批評家/編集者。2009年、講談社主催「東浩紀のゼロアカ道場」優勝。現在、合同会社 コンテクチュアズにて2010年秋刊行予定の『思想地図bis』(仮)を編集中。

http://twitter.com/murakami_kun
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10.04.25更新 | レビュー  > 
文=村上裕一 |