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『マリ千鶴 直観の世界』。1981年3月、「池袋スカイ劇場」にて。

ジョウジ川上。ストリップ界のつかこうへいとして、様々なメディアを使いストリップに一時代を築いた男。興行師として30年、ストリップと向かい合った男の半生を辿る。

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ジョウジ川上55歳の決意 【2】からの続きです。 >>【2】へ

■劇場経営の実態と、その苦悩

この世界に復帰して、最初の企画は大宮の劇場だった。
当時の社長に、経営が思わしくなかった大宮を何とか持ち上げたいと言われ、企画を考えた。お客がビデオ撮影するショー。当時有名だった村西とおるをもじって「気分は西村カントク?」と銘打った。その後も横浜の「鶴見新世界劇場」を中心に数々の企画で興行を打つ。もちろん得意のメディアを使った宣伝も行なった。考えつくことは何でもやった。宮沢りえのヌード写真集が出れば、書き割りで表紙の扉を作って撮影会。カラーコピー機で踊り子の股間を拡大コピーさせたり、プリクラが流行ればその機械を用意した。だがしかし川上はまたしても業界から足を洗う。復帰してからちょうど四年目の春のこと。大学に進学するためだった。

大学在学中は、タクシーの運転手をした。すでに三児の父となっていた。
大学を卒業後、朝日新聞の営業を始める。慣れない飛び込みの営業はきつかった。配達もしていたから、夜中に家を出て朝に帰宅する生活も体に堪えた。けれど自分の営業所を持つための積立資金も順調に貯まり、いよいよ独立するための研修へ参加することになる。だが川上は研修へ行って、この道もやめる決心をする。

「周りの人たちを見てたらね、やる気が全然違うんですよ、自分とは。独立したら一国一城の主ですからね。彼らに比べたら自分はホントにやる気がなかった。こんな気持ちでやっちゃいけないと思ったんです」

新聞屋の親父になることを拒否した川上は、その後「ショーアップ大宮劇場」の経営に携わる。本格的な業界への復帰であった。

だが大宮の経営も、一筋縄ではいかなかった。

「僕にしてみたら騙されたと。劇場が税金を払ってないわけですよ。2700万ぐらい。いわゆる給与源泉ですね、タレントのギャラの一割分。10日で25万ぐらいだから7、800万ぐらいギャラを払ってるわけです毎月。そうなると月80万。10カ月で800万。2700万だと、もう、ずーっと払ってないわけですよ(笑)。劇場の敷金だって差し押さえられてましたからね。いっつもいっつも払え払えとせっつかれるわけです。これじゃやる気なくなるよ(笑)」

これも時代の趨勢か、近年ストリップ劇場の入場者数は減少しており、かつての栄華からは程遠い。当時の大宮では毎月の赤字が150万円だったという。お盆、正月、ゴールデンウィークで貯まった負債を押し返すというそれまでのやり方が通用しなくなるほど、大衆の心はストリップから離れていた。

「大宮では3カ月に1回SMをやらなけりゃ、劇場がもたなかったんです。小屋を維持するためにSMを考えなきゃいけなかった。でもSMモノも二回目三回目になるとだんだん限りがあるし、出演者もそんなにいないわけですよ。となると新しい出演者を探さなきゃいけない。九州まで行きましたよ。九州、広島、岡山、京都、大阪。そこで色んなお店に話をして、それでどんどん色んな方が出るようになった」

川上が大宮、そして「新宿DX歌舞伎町」で手がけたSM興行の出演者数は、その他の興行と比べると圧倒的に多い。当初は20人、そして最終的には50人を優に超えるほどの規模となった。一般の興行では踊り子が6〜8人ということを考えれば、この数字がいかに尋常でないかわかるはずだ。

「SMで火が付いたのは花真衣さんのときからです。東スポ、アサ芸、色んなところが載せてくれましたね。そしたらね、1700人来たんですよ10日間で。あの埼玉の田舎に(笑)。信じられなかったですね。興行ってこんなものかと思いましたよ」

その収益で、毎月50万ずつ払っていた借金を返済した。

「それで身軽になったんです。そこで余力がついて、SMから上がる収益でホモショーやってレズショーやって、それとダンスショーを固めなきゃいけないと思った。『ビッグダンス』っていうのをやったんですね。普段ポラロイドを売ってる女の子たちに、おまえたちはダンサーなんだよってのを自覚させるショー。舞台での踊りの面白さをね。同時に色んなゲストを入れた。そして彼女たちに、色んなものがあるから見て勉強しなさいって。これはね、準備が4カ月かかるんですよ。チラシを撒いたりだとか、ゲストの交渉をしたり。「ぴあ」にも載せられるんです、ゲストがいるから」

このときの活動で特筆すべきは、現代演劇のリーディングカンパニー「指輪ホテル」をはじめ錚々たるメンバーを集めた興行、『赦されざる乙女たち』。なんと朝日新聞でも紹介された。ストリップ劇場での興行が一般紙面に紹介されたのははじめてではないだろうか。

「でもね、4カ月かかる。10日間の興行としてみれば利益はあるかもしれない。けれど4カ月の準備期間から考えると割に合わないんですよ。その赤字をSMで埋めてた。こうしてね、色のついたことやっても、そのときは客が来るけど、普段は来ないんです。普段の営業につながらない。ホント自転車操業です。毎日金勘定しかできなかった。たまんないなあって」

事実この頃の川上は、酒を飲まなければ眠ることさえ出来なかったという。

「それでも最初はね、利益の出る興行を作って赤字を埋めればいいやみたいに思ってたんですよ。でもね、考えてみれば、その、全然ストリップのほうがプラスマイナスゼロまでもいかないわけですよ。ということは永遠にコレをやり続けなきゃならないのかって思ったときにね……。いいかなと。もういいかなと思ったんですね」

そして川上は「ショーアップ大宮劇場」の経営から身を引いた。その後オーナーが替わり営業を続けたが、間もなく閉館することになる。決して川上は責められるべきでない。だが事実として、ストリップ劇場がまたひとつ消えた。
悪いことは重なった。失ったのは劇場だけではない。大宮での単身赴任生活は、川上から家族をも奪い去る。妻が離縁を申し出た。五十歳を越えた川上には、あまりにも大きい劇場経営の代償だった。



ジョウジ川上55歳の決意 【4】に続く >> 【4】へ
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写真=川上譲治 文=編集部・五十嵐彰

※この記事は『S&Mスナイパー』2006年6月号に掲載された記事の再掲です。

26.jpg ジョウジ川上 1950(昭和25)年、島根県浜田市生まれ。大阪芸術大学写真学科を中退後上京、新宿モダンアートに照明係として入社、ストリップ業界に入る。その後運 送業や新聞営業職、またタクシー運転手や亜細亜大学への進学、そしてショーアップ大宮劇場のオーナーを経て「プロジェクトSHOW-UP」として興行をプ ロデュースしていたが2006年の3月に活動を一旦停止。現在は大阪芸術大学大学院芸術研究科芸術制作の修士課程に在学中。
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07.02.21更新 | WEBスナイパー  >  インタビュー