ショーSM界のパイオニア長田英吉を師匠に持つドイツ人緊縛師長田スティーブ。金髪碧眼、その大きな体で見せるショーは非常にダイナミック。また流派などにこだわらず熱心に緊縛術を学ぶことでも知られるが、はたしてそんな彼にはどんな時代が見えているのだろうか。 |
ショーSMの大家であった故・長田英吉を師匠とする長田スティーブ。
しかしながら、彼はあまりショーが好きでないと言う――。
――長田英吉、そして長田スティーブと連なる流れからショーに対する思い入れが深いのではないかと考えていたのですが、実はそうではないと。
長:亡くなられる前に先生がよく言っていたんだけど、僕の後はスティーブが僕のショーをやらなければならないんだと。最初のうちは僕を真似しなければならない。たとえ縄一本でも変えてはいけない。そしてそれをマスターすれば、自分のスタイルを自分で開発していくだろうと。そう先生がよく言っていた。でも私はただ女性を縛りたかっただけ(笑)。あんまりショーには興味がなかったんだ。だけど先生が急に亡くなってしまったので、ショーに傾くことが多かったよね。
――今あなたが見せているショーは、あなたのオリジナルなのでしょうか?
長:もちろん。以前、何百回以上も先生のショーをやったよ。寸分変わらないショーをね。でも弟子というのは決して先生のコピーなんかじゃない。生きている人間だから、自分の発想もスタイルもあるはずだ。さっきも言ったように、先生自身も僕にいつまでもコピーでいて欲しいと思ってたわけじゃない。僕が自分のスタイルを作ることにも期待してくれていた。僕は長田という名前を使ってるから、下手な縛りはできないと、いつも頭のなかで思ってる。先生を尊敬してるから、名前を大事にしたいと思ってる。自分のショーとか自分の仕事、作品を見てもらうことで先生のことも思い出してもらって、そして先生の名前が永遠に生き続けるようにしたいと考えてる。先生と弟子というのは、お花でもお茶でもそうだけど、非常に稀な関係なんじゃないかな。僕は先生との関係が非常に近かったんだ。トイレに行きたいと言われたら連れて行った。あまりそういうことはしないよね。僕は2004年の春から明智先生にずっと縄のレッスンをしてもらってた。明智先生は素晴らしい縄師だし、素晴らしい人だと深く思ってる。でも明智先生とはあくまで先生と生徒の関係なんだ。それに比べると先生と弟子はもっと深い関係なんだよ。結婚とよく似ている。そして僕はあまりショーが好きじゃないんだ(笑)。
(続く)
インタビュー=編集部・五十嵐彰 通訳=alice liddell
※この記事はS&Mスナイパー2006年1月号に掲載された記事の再掲です。
長田スティーブ ドイツ出身。1988年にフォトジャーナリストとして来日。1998年、長田英吉氏と初めて出会い、その後師事。2001年、長田英吉が永眠すると、生前伝えられていた師匠の希望通り長田性を襲名、緊縛師・長田スティーブとしての活動を開始して現在に至る。
関連リンク
長田スティーブ公式サイト=http://www.osadasteve.com/