『アングラ 日本のポスターのアヴァンギャルド 1960-1980』 (武蔵野美術大学美術史料図書館)1999年9月16日発行 |
本誌・web連動企画 『新宿アンダーグラウンドの残影』 〜モダンアートのある60年代〜 文=ばるぼら S&Mスナイパー4月号の誌面では紹介できなかった「モダンアート」をめぐる新宿とアングラの親和性。現在までつながるいくつかの残影を集めながら、いま再び光をあてる新宿アングラ詳論の決定版! |
アングラ演劇とモダンアート \x87T
まず映画があり、その次に前衛的で怪しげなムードの演劇がアングラと呼ばれた。もちろんアングラという呼称の前からそうした劇団は存在したが、その盛り上がりにアングラという感覚が拍車をかけたことは違いない。本人らが望む望まないに関わらずアングラと呼ばれたのは、天井桟敷、状況劇場、発見の会、劇団駒場、早稲田小劇場、自由劇場などである。
左/『状況劇場新聞』2号(劇団状況劇場) 1967年7月1日発行 |
当時既にマルチ・タレントとして有名だった寺山修司が旗揚げした「天井桟敷」の、第一回興行「青森県のせむし男」が1967年4月18日から草月会館ホ−ルで行なわれ話題となり、それに続いて、唐十郎率いる「状況劇場」が、同年8月5日から第10回興行「月笛お仙 義理人情いろはにほへと編」を、新宿花園神社領地にテントを張って公演し注目を浴びた。演劇におけるアングラは、1967年に鍵がありそうである(もっとも状況劇場はそれ以前から、「腰巻お仙」を戸山ハイツで上演し、アンチ・シアター路線を追求していた)。
右/『映画評論』1967年12月号(株式会社新映画)。 「月笛お仙」のシナリオが掲載されている。 |
ところで演劇がアングラの代表という現在まで続く認識は日本独自のものだと思うが、これはひとえにポスターの影響だろう。1965年、土方巽率いる暗黒舞踏派の公演「バラ色ダンス」のポスター・デザインを横尾忠則が行なった事をきっかけに、串田光弘、辰巳四郎、赤瀬川原平、井上洋介、宇野亜喜良、及川正通、粟津潔、平野甲賀など、日本を代表するイラストレーターやデザイナーが競うようにアングラ演劇のポスターや舞台美術を担当した。
60年代カウンター・カルチャーとデザインが特集されている。『たて組ヨコ組』秋・第6号(株式会社モリサワ)1984年10月20日発行 |
中でもポスターは今でもグラフィック・デザインの黄金時代として事あるたびに各媒体で特集され、毎回劇団の名前が登場する。我々は60年代から70年代のアングラ演劇を、実際は見たこともないのに、ポスターによって刷り込まれているのである。ゆえにポスターのデザインが良くない劇団や、ポスターを作らなかった劇団ほど忘れられていく。小劇団ほどお金がなくポスターを作らずビラで済ましがちだが、それは間違った考えである。
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構成・文=ばるぼら ネットワーカー。周辺文化研究家&古雑誌収集家。著書に『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』『ウェブアニメーション大百科』など。なんともいえないミニコミを制作中。 |
07.03.18更新 |
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