『東京25時』1970年7月号(アグレマン社) |
本誌・web連動企画 『新宿アンダーグラウンドの残影』 〜モダンアートのある60年代〜 文=ばるぼら S&Mスナイパー4月号の誌面では紹介できなかった「モダンアート」をめぐる新宿とアングラの親和性。現在までつながるいくつかの残影を集めながら、いま再び光をあてる新宿アングラ詳論の決定版! |
もちろん当時の人々が何から何まで若者万歳・アングラ万歳だったわけではなく、批判的な視点も当然存在していた。たとえば『サンデー毎日』1968年6月30日号において、ジャーナリストの大宅壮一は「アングラは新しくない」と題した時評で、状況劇場の演劇をはじめ、ホモやレズビアンのバーなどを観に行ったことに触れ、20世紀初頭の前衛芸術運動(ダダイズム、マボイズム、未来派)を引き合いに出して「こういう現象は、それにおぼれている人たちが考えているほど新しいものではない」と言い切っている。
大宅は同時評で「長い目でみると、歴史は周期をなして動いているのであって、特別に新しい現象や風潮が突然生まれてくるものではない」と文末を結んでおり、アングラは商業主義に抵抗しているように見えるだけで、実態は珍奇な見世物としてマスコミに踊らされている面が多いと分析している。これと似た意見として、『アンダーグラウンド映画』(ジェルドン・レナン著/波多野哲朗訳/1969年6月30日初版/三一書房)の訳者あとがきでは以下のように触れられている。
アンダーグラウンドは、映画のあるジャンルやカテゴリーを意味するものではなく、作家が選んだ唯一無二の姿勢(アティテュード)にほかならない。つい先ごろ、アメリカのアンダーグラウンドが日本に輸入されると、たちまちにしていわゆる「アングラ・ブーム」として世間を風靡するようになった。(中略)かのブームは、アンダーグラウンドをたんなる映画のバラエティとして風俗的に受けとめていたに過ぎない。それは(中略)ポスターやレコードや雑誌やテレビ番組の売出しのための、いわば安定のためのラベルであった。しかし、アンダーグラウンドとは、元来こうした安定をこそ「爆破」する姿勢であったはずである。こじんまりの体制のふところに安住してしまったアンダーグラウンドは、体制に見棄てられたときかならず消え失せてしまうだろう。
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『アンダーグラウンド映画』ジェルドン・レナン著/波多野哲朗訳(三一書房) |
ここにはアングラという本来はパーソナルだった価値観までマスコミに消費されてしまったことへの苛立ちが見て取れる。アングラという革命は失敗に終った、という敗北宣言にも見える。こうした意見を、新しい風俗に反応できない年寄りのタワゴトと笑い飛ばすだけでは何も見えてこない。
実際のところ、我々が生きている現代においては、60年代〜70年代的なアングラの血脈は完全に死に絶えており、今は横尾忠則や宇野亜喜良らがデザインしたポスター等が、オシャレでカッコいいアイテムとしてファッショナブルに消費されているにすぎない。「アングラっぽさ」はデザインや服飾の様式の一つとして、思想は脱臭され、極めて安全に定着している。
エピローグ
60年代〜70年代の新宿とは、アンダーグラウンドとは何だったのか。世界的に起きていた若者文化の台頭の日本的解釈? またはアメリカに追いつけ追い越せと高度経済成長期の日本が輸入した新しい商品ラベル? どちらにしろ、アングラという言葉自体が、沢山の若者の行動に影響を及ぼしたパワーだったことには違いない。ならばモダンアートも時代の必然で生まれた場所だった、と結論付けてもいいのではないかという気がしてくる。
多くの人の頭にストリップ劇場としてのみ記憶されている「新宿モダンアート」だが、それが新宿という街に生まれた必然性と、日本のアングラ史における役割について、この文章によって少しでも理解が進めば嬉しい。
※次回ばるぼら氏の連載記事は4月10日頃掲載予定です
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構成・文=ばるぼら ネットワーカー。周辺文化研究家&古雑誌収集家。著書に『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』『ウェブアニメーション大百科』など。なんともいえないミニコミを制作中。 |
07.03.30更新 |
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