『熱烈投稿』1995年8月号/コアマガジン
1995年6月26日発売
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データハウスで東京公司が編集した書籍は、1994年頃に頻繁に出ていた謎本を除けば(吉永インタビュー第三回参照)、『アダルトグッズ完全使用マニュアル』(1994年7月25日)、八雲順一『裸のアジア 東南亜細亜快楽旅行記』(1995年5月21日)、夏原武『サギの手口』(1996年12月20日)などにその名を見つけることができるが、やはりメジャーなのは『危ない1号』だろう。というよりも、『危ない1号』を抜きにしては何も語ることはできない。
『危ない1号』はこれまで東京公司の面々が持っていたアンダーグラウンド/サブカルチャー的志向の持ち味を、よりメジャーな舞台にのせるために、データハウスとの綿密な準備によって生み出された企画である。94年末頃から出るぞ出るぞと騒がれ、ついに創刊号が出たのは翌年の夏だった(1995年7月31日)。初刷は2万部、特集は「ドラッグ」。他にも有名なゴミ漁りにはじまり、動物虐待、殺人請負、レイプ、死体処理、などなど。これが書店に並んでいるのを初めて見た時は「こんな本出していいの?」と思ったものだが、製作にあたっては法律の専門家と相談しながら編集され、すべての記事は適法範囲なのだそうだ。そして当時の『熱烈投稿』95年8月号(コアマガジン)でなされたインタビューで、青山正明はこう答えている。
「今メディアが作ってる物語っていうのは筋道ができすぎてる。ウソ臭いしつまんない。僕たちはひとつのことに対していろんなことを考える権利や自由を持ってる。イメージする力っているのは他の動物はもってない。だから、メディアの論調にはない別の物語を提示して、「どんな鬼畜なことを考えても脳の中までは規制できない。脳の中だけが何でもできる自由の場だ」ってことを表現したかったんです。『妄想はとめられないぜ!』っていうのがキーワードですね」
「この本を読んで怒る奴も大人気ないし、狂喜乱舞して実践する奴も僕は大嫌いだね。それに、この程度で驚いたり怒ったりする読者だったらレベル低い気がしますね。実際、記事が百パーセント事実とは言いません。どこまでが事実で、どこまでが妄想かの判断は読者のイマジネーションにまかせています。読者の皆さんには、この本で人間にしかないイマジネーションという能力を鍛え、存分に妄想を膨らませてほしいですね」
イメージ、妄想、イマジネーション。青山が強調しているのはこうした単語であり、「妄想にタブーなし」とは『危ない1号』のキャッチフレーズだ。ある事物の一面を切り取れば正義でも、別の角度から見れば悪になる。そうした対象のとらえ方・解釈=物語は無数にあり、どれが真実というわけではないし、どれもがそれを信じる人間にとっては真実である。「この世に真実などない。だから、何をやっても許される」(ハッサン・イ・サバー)という言葉を引きながら、すべては妄想にすぎず、どの物語も等価である。だから自分達が作る雑誌は他のメディアとは違う物語を選んだだけだと、『危ない1号』のコンセプトを説明している。
ただ、今となってはこれは、違法なものを推進できない雑誌編集者としての立場上のポーズにも見える。実際、青山は『危ない1号』創刊号の編集真っ只中の95年6月24日に、大麻取締法違反で逮捕されている。自分は妄想では済んでいなかったというオチである。青山が担当していてまだ終わっていなかった記事の原稿を持って、吉永は月島警察の留置所と小菅の東京拘置所に通って、ガラス越しに編集会議をしたという(ちなみに創刊号の編集後記には、青山は「日本で一番大きな某武装集団に拉致・監禁されちゃった」と説明されている)。
『GARO』1995年12月号
1995年12月1日発行/青林堂
漫画より読み物記事が充実していた90年代前半の『ガロ』の本号は特集「ザ・対談“いいたい放題!!”」で、当時の二大(『QuickJapan』を入れると三大)ユース・カルチャー誌、『危ない1号』吉永嘉明と『GON!』比嘉健二の対談が収録されている。吉永曰く「でもアンケートの半分が女の人だっていうのは、勇気づけられますよね。事務所にも電話はよくかかってきますよ。でもちょっと困るのは「あのぉ、シャブってどこで買えるんですか、こっそり教えて下さい」なんていう電話ですね(笑)。そういう時は「一応ここは普通の編集室なんで、そういう質問にはお答えし兼ねるんですけど。一応覚醒剤はイリーガルになっておりますので」ってちゃんと対応してますよ(笑)」。
『双葉社MOOK 好奇心ブック15 悶絶!!怪ブックフェア』
1998年6月20日発行/双葉社
宝島社の『別冊宝島』がヒットを連発していたことで、各社からムック・シリーズが相次いで発足したことがあり、例えばアスペクトの「特集アスペクト」(1996年11月)や、双葉社の「好奇心ブック」(1997年5月)がそう。本書は当時流行していた危ない本や奇書・怪書の類を集めて紹介したブックガイドで、『完全自殺マニュアル』の鶴見済、たま出版の名物編集者・韮澤潤一郎らのインタビューが面白いが、吉永嘉明による「これが新しいクスリの処方本だ!!」と題した記事には、吉永が編集長を務めた『危ない1号』の第3巻の製作裏話がある。オマケで第1巻の校了直前の青山逮捕時のエピソードもチラリ。「まだ原稿終わってないんだよ。青山の担当してたヤツが。ど〜すんだよ、もうすぐ校了なんだぜ〜〜!」。
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【プロローグ】 【1】 【2】 【3】 【4】 【5】 【6】 【7】 【8】 【本文註釈・参考文献】
1995年6月26日発売
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データハウスで東京公司が編集した書籍は、1994年頃に頻繁に出ていた謎本を除けば(吉永インタビュー第三回参照)、『アダルトグッズ完全使用マニュアル』(1994年7月25日)、八雲順一『裸のアジア 東南亜細亜快楽旅行記』(1995年5月21日)、夏原武『サギの手口』(1996年12月20日)などにその名を見つけることができるが、やはりメジャーなのは『危ない1号』だろう。というよりも、『危ない1号』を抜きにしては何も語ることはできない。
『危ない1号』はこれまで東京公司の面々が持っていたアンダーグラウンド/サブカルチャー的志向の持ち味を、よりメジャーな舞台にのせるために、データハウスとの綿密な準備によって生み出された企画である。94年末頃から出るぞ出るぞと騒がれ、ついに創刊号が出たのは翌年の夏だった(1995年7月31日)。初刷は2万部、特集は「ドラッグ」。他にも有名なゴミ漁りにはじまり、動物虐待、殺人請負、レイプ、死体処理、などなど。これが書店に並んでいるのを初めて見た時は「こんな本出していいの?」と思ったものだが、製作にあたっては法律の専門家と相談しながら編集され、すべての記事は適法範囲なのだそうだ。そして当時の『熱烈投稿』95年8月号(コアマガジン)でなされたインタビューで、青山正明はこう答えている。
「今メディアが作ってる物語っていうのは筋道ができすぎてる。ウソ臭いしつまんない。僕たちはひとつのことに対していろんなことを考える権利や自由を持ってる。イメージする力っているのは他の動物はもってない。だから、メディアの論調にはない別の物語を提示して、「どんな鬼畜なことを考えても脳の中までは規制できない。脳の中だけが何でもできる自由の場だ」ってことを表現したかったんです。『妄想はとめられないぜ!』っていうのがキーワードですね」
「この本を読んで怒る奴も大人気ないし、狂喜乱舞して実践する奴も僕は大嫌いだね。それに、この程度で驚いたり怒ったりする読者だったらレベル低い気がしますね。実際、記事が百パーセント事実とは言いません。どこまでが事実で、どこまでが妄想かの判断は読者のイマジネーションにまかせています。読者の皆さんには、この本で人間にしかないイマジネーションという能力を鍛え、存分に妄想を膨らませてほしいですね」
イメージ、妄想、イマジネーション。青山が強調しているのはこうした単語であり、「妄想にタブーなし」とは『危ない1号』のキャッチフレーズだ。ある事物の一面を切り取れば正義でも、別の角度から見れば悪になる。そうした対象のとらえ方・解釈=物語は無数にあり、どれが真実というわけではないし、どれもがそれを信じる人間にとっては真実である。「この世に真実などない。だから、何をやっても許される」(ハッサン・イ・サバー)という言葉を引きながら、すべては妄想にすぎず、どの物語も等価である。だから自分達が作る雑誌は他のメディアとは違う物語を選んだだけだと、『危ない1号』のコンセプトを説明している。
ただ、今となってはこれは、違法なものを推進できない雑誌編集者としての立場上のポーズにも見える。実際、青山は『危ない1号』創刊号の編集真っ只中の95年6月24日に、大麻取締法違反で逮捕されている。自分は妄想では済んでいなかったというオチである。青山が担当していてまだ終わっていなかった記事の原稿を持って、吉永は月島警察の留置所と小菅の東京拘置所に通って、ガラス越しに編集会議をしたという(ちなみに創刊号の編集後記には、青山は「日本で一番大きな某武装集団に拉致・監禁されちゃった」と説明されている)。
『GARO』1995年12月号
1995年12月1日発行/青林堂
漫画より読み物記事が充実していた90年代前半の『ガロ』の本号は特集「ザ・対談“いいたい放題!!”」で、当時の二大(『QuickJapan』を入れると三大)ユース・カルチャー誌、『危ない1号』吉永嘉明と『GON!』比嘉健二の対談が収録されている。吉永曰く「でもアンケートの半分が女の人だっていうのは、勇気づけられますよね。事務所にも電話はよくかかってきますよ。でもちょっと困るのは「あのぉ、シャブってどこで買えるんですか、こっそり教えて下さい」なんていう電話ですね(笑)。そういう時は「一応ここは普通の編集室なんで、そういう質問にはお答えし兼ねるんですけど。一応覚醒剤はイリーガルになっておりますので」ってちゃんと対応してますよ(笑)」。
『双葉社MOOK 好奇心ブック15 悶絶!!怪ブックフェア』
1998年6月20日発行/双葉社
宝島社の『別冊宝島』がヒットを連発していたことで、各社からムック・シリーズが相次いで発足したことがあり、例えばアスペクトの「特集アスペクト」(1996年11月)や、双葉社の「好奇心ブック」(1997年5月)がそう。本書は当時流行していた危ない本や奇書・怪書の類を集めて紹介したブックガイドで、『完全自殺マニュアル』の鶴見済、たま出版の名物編集者・韮澤潤一郎らのインタビューが面白いが、吉永嘉明による「これが新しいクスリの処方本だ!!」と題した記事には、吉永が編集長を務めた『危ない1号』の第3巻の製作裏話がある。オマケで第1巻の校了直前の青山逮捕時のエピソードもチラリ。「まだ原稿終わってないんだよ。青山の担当してたヤツが。ど〜すんだよ、もうすぐ校了なんだぜ〜〜!」。
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ばるぼら ネットワーカー。周辺文化研究家&古雑誌収集家。著書に『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』『ウェブアニメーション大百科』など。なんともいえないミニコミを制作中。
「www.jarchive.org」 http://www.jarchive.org/ |
08.07.20更新 |
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