『別冊危ない1号vol.1 鬼畜ナイト』
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『危ない1号』1巻が話題を呼ぶ中、1995年8月末に保釈された青山は、しばらく『危ない1号』2巻の編集に力を注ぐことになるが、その途中にトークイベント「『危ない1号』鬼畜ナイト」が開催されている。1996年1月10日、場所は新宿ロフト・プラスワン。表向きは2巻の発売予告で、青山を励ます“出所祝い”的な意味合いもあったようだ。イベントのオーガナイザーは村崎百郎とニコラス啓司、トークゲストは小沢豊、夏原武、宇川直宏&友沢ミミヨ、ダイアルK2、根本敬&佐川一政、釣崎清隆、こじままさき、柳下毅一郎、石丸元章、ミス・クッキー、ヒミコら。
イベントはその後、対談集『別冊・危ない1号vol.1 鬼畜ナイト』(1996年8月30日)としてまとめられ、書籍版ボーナストラックとしてクーロン黒沢が加わっている。伏字も多いが、今となってはある程度は推測できるだろう(沖縄の軍人による少女暴行事件の話題など)。『鬼畜ナイト』に収録されている対談はどれも強力に面白いのだが、青山に絞れば、それまで関わった雑誌が簡潔にまとめられている点も見逃せない。『突然変異』にはじまり『Hey!Buddy』を経て『サバト』『フィリアック』、『エキセントリック』から東京公司、そして『危ない1号』という例の流れである。
さて、イベントタイトルにも使われている「鬼畜」は『危ない1号』周辺によって生まれたといってもいい90年代のキーワードである。これが何かという点だが、この数年前から『SCENE 屍体写真集 戦慄の虐殺現場百態』をはじめとする死体写真というものがなぜか話題となったことがあり、さらに『完全自殺マニュアル』などの“危ない”書籍が流行し、それらが「悪趣味」という一語にまとめられ一大ブームとなった。しかしその「悪趣味」がどこかフェチ的、研究者的、収集的、書誌学的な外部からの視点であるのに対して、「鬼畜」は実際の行動が伴う人達の内部からの視点といおうか。他者に苦痛・被害を与えるという行為は、多かれ少なかれ人間が生きていく上での業でもあるのだが、そこに娯楽性を見い出す積極的な意識が、ここでいう「鬼畜」であると言えるだろう。
ただ後年になって村崎百郎が語っていたのは、実際に『危ない1号』に関わった人間は、青山も含め鬼畜のポーズを取っていただけであって、村崎以外に鬼畜な人間は編集部にいなかったのだという。つまり「鬼畜ブーム」は実質、村崎一人によって作られたといえるだろう。ただ当時は『危ない1号』は鬼畜な人間が集まって作った、サイテーでゲスな雑誌であるというイメージ戦略によって売り出され、そして結果的に成功した。
『Quick Japan』vol.5』
1995年12月28日発行/太田出版
漫現場主義的なテクノ特集「テクノに唾をかけろ!」の中、特別対談・石野卓球VS青山正明「裏テクノ専門学校」が収録されている。青山は雑誌『クラッシュ』でドラム・クラブやジャム&スプーンを紹介したことがきっかけで声をかけられたという。途中、「ホントにやばい話なんてコンビニに置いてある本には絶対書かれていないですよ。もっとみんな人に聞いたり、自分で探したりすればいいのに」と『危ない1号』編集中の雑感について吐露している。プロフィールには「現在、雑誌『危ない1号』(データハウス)の編集に没頭中。第二巻(特集・キ印良品)は、九六年一月中旬発売の予定」と書かれているが、順調に遅れたようだ。
『別冊危ない1号vol.1 鬼畜ナイト』1996年8月30日発行
企画編集・鬼畜ナイト実行委員会+東京公司
「聖なるイニシエーションか、単なるイヤがらせか! 誰もがいたたまれない気分に浸れる悪夢のトーク・セッション!」というキャッチが適格すぎる同名イベントの書籍版となる対談集。もう流石に書店には並んでいないだろうが、立ち読みなどでパラパラとページをめくると死体、ゲロ、太った老婆のヘアヌード、タイのベジタリアン・フェスの写真がコンスタントに登場し、とても嫌な気持ちになること間違いなし。この号も版を重ねており、順調に売れた模様。今から『危ない1号』を手に取ろうと思っているならば、もしかしたらこの別冊が一番読みやすいかもしれない。ポップなデザインは対談にも登場するこじままさきによるもの。
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【プロローグ】 【1】 【2】 【3】 【4】 【5】 【6】 【7】 【8】 【本文註釈・参考文献】
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『危ない1号』1巻が話題を呼ぶ中、1995年8月末に保釈された青山は、しばらく『危ない1号』2巻の編集に力を注ぐことになるが、その途中にトークイベント「『危ない1号』鬼畜ナイト」が開催されている。1996年1月10日、場所は新宿ロフト・プラスワン。表向きは2巻の発売予告で、青山を励ます“出所祝い”的な意味合いもあったようだ。イベントのオーガナイザーは村崎百郎とニコラス啓司、トークゲストは小沢豊、夏原武、宇川直宏&友沢ミミヨ、ダイアルK2、根本敬&佐川一政、釣崎清隆、こじままさき、柳下毅一郎、石丸元章、ミス・クッキー、ヒミコら。
イベントはその後、対談集『別冊・危ない1号vol.1 鬼畜ナイト』(1996年8月30日)としてまとめられ、書籍版ボーナストラックとしてクーロン黒沢が加わっている。伏字も多いが、今となってはある程度は推測できるだろう(沖縄の軍人による少女暴行事件の話題など)。『鬼畜ナイト』に収録されている対談はどれも強力に面白いのだが、青山に絞れば、それまで関わった雑誌が簡潔にまとめられている点も見逃せない。『突然変異』にはじまり『Hey!Buddy』を経て『サバト』『フィリアック』、『エキセントリック』から東京公司、そして『危ない1号』という例の流れである。
さて、イベントタイトルにも使われている「鬼畜」は『危ない1号』周辺によって生まれたといってもいい90年代のキーワードである。これが何かという点だが、この数年前から『SCENE 屍体写真集 戦慄の虐殺現場百態』をはじめとする死体写真というものがなぜか話題となったことがあり、さらに『完全自殺マニュアル』などの“危ない”書籍が流行し、それらが「悪趣味」という一語にまとめられ一大ブームとなった。しかしその「悪趣味」がどこかフェチ的、研究者的、収集的、書誌学的な外部からの視点であるのに対して、「鬼畜」は実際の行動が伴う人達の内部からの視点といおうか。他者に苦痛・被害を与えるという行為は、多かれ少なかれ人間が生きていく上での業でもあるのだが、そこに娯楽性を見い出す積極的な意識が、ここでいう「鬼畜」であると言えるだろう。
ただ後年になって村崎百郎が語っていたのは、実際に『危ない1号』に関わった人間は、青山も含め鬼畜のポーズを取っていただけであって、村崎以外に鬼畜な人間は編集部にいなかったのだという。つまり「鬼畜ブーム」は実質、村崎一人によって作られたといえるだろう。ただ当時は『危ない1号』は鬼畜な人間が集まって作った、サイテーでゲスな雑誌であるというイメージ戦略によって売り出され、そして結果的に成功した。
『Quick Japan』vol.5』
1995年12月28日発行/太田出版
漫現場主義的なテクノ特集「テクノに唾をかけろ!」の中、特別対談・石野卓球VS青山正明「裏テクノ専門学校」が収録されている。青山は雑誌『クラッシュ』でドラム・クラブやジャム&スプーンを紹介したことがきっかけで声をかけられたという。途中、「ホントにやばい話なんてコンビニに置いてある本には絶対書かれていないですよ。もっとみんな人に聞いたり、自分で探したりすればいいのに」と『危ない1号』編集中の雑感について吐露している。プロフィールには「現在、雑誌『危ない1号』(データハウス)の編集に没頭中。第二巻(特集・キ印良品)は、九六年一月中旬発売の予定」と書かれているが、順調に遅れたようだ。
『別冊危ない1号vol.1 鬼畜ナイト』1996年8月30日発行
企画編集・鬼畜ナイト実行委員会+東京公司
「聖なるイニシエーションか、単なるイヤがらせか! 誰もがいたたまれない気分に浸れる悪夢のトーク・セッション!」というキャッチが適格すぎる同名イベントの書籍版となる対談集。もう流石に書店には並んでいないだろうが、立ち読みなどでパラパラとページをめくると死体、ゲロ、太った老婆のヘアヌード、タイのベジタリアン・フェスの写真がコンスタントに登場し、とても嫌な気持ちになること間違いなし。この号も版を重ねており、順調に売れた模様。今から『危ない1号』を手に取ろうと思っているならば、もしかしたらこの別冊が一番読みやすいかもしれない。ポップなデザインは対談にも登場するこじままさきによるもの。
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ばるぼら ネットワーカー。周辺文化研究家&古雑誌収集家。著書に『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』『ウェブアニメーション大百科』など。なんともいえないミニコミを制作中。
「www.jarchive.org」 http://www.jarchive.org/ |
08.07.27更新 |
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