『フィリアック』2号
1986年頃発行/求龍社
<< 前回の記事を読む
スカトロ誌における青山正明
青山正明は『Hey!Buddy』が終わる頃から、大正屋出版が倒産した後くらいまで、つまり1985年〜1988年頃に、断続的にスカトロ関係の雑誌/ムックの編集を行なっている。スカトロというと流石に偏見も多いだろうが、実はこの時期のスカトロとは、いわゆるサブカルチャーの一種なのである。
順を追って軽く説明したい。『Jam』『HEAVEN』という伝説的な自販機本を出していた群雄社という出版社が、80年代初頭に出した排泄シーンの写真を掲載した自販機本が好評だったことで、スカトロ単独で雑誌を制作することになる。それが日本初といわれるスカトロ専門誌『スカトピア』(1982年9月/群雄新社)。群雄社は1983年に倒産したが、同じ社長によるビデオメーカーVIPが同時期に『女子便所』シリーズ(1982年6月頃から)をリリースし、排泄マニアに限らず好評を得ていた。更にそれと同じ頃、スカトロ関連も掲載されていた白夜書房の変態雑誌『Billy』が一時代を築く。この『Billy』が1985年に廃刊し、その後釜を狙った小さな変態雑誌が増え始める。その中に、スカトロ関係も多く含まれていたのである。
群雄社以前のスカトロはまだ一部のSM小説/性風俗研究誌にテキスト情報が出回る程度で、肝心の写真を手に入れる方法は限られていた。つまり、情報がないから、スカトロを扱えば一定の売上を見込めたのである。これは80年代エロ本の黄金パターンであり、「裸さえ載せればあとは好きなことをしてもいい」という発想と同じく、「排泄シーンを載せればあとは好きなことをしてもいい」と編集者が勝手に好きなページを作っていたのである。もちろん実際にそういった作られ方をしたスカトロ本は一部ではあるが、この時期のスカトロ本を読んで唐突にサブカルチャー情報ページがあった場合、それはそういうものだと思って欲しい。
スカトロ本の多くは「角本」という種類のエロ本だった。これはサイズがA5版で、表紙回りがツルツルのコート紙で、おおよそ150ページ前後の簡素な作りが、角張った印象を与えることからそう呼ばれたそうだが、青山が編集したスカトロ本もそうしたフォーマットにのっとったものが多い。さらに、ここが一番面白いのだが、「楽に作って金が儲かる」と考えた小さな出版社が多い分野であるだけに、編集側が読者を舐めてるとしか思えないほど、記事の再利用・流用・転用がポロポロ見られる。ヒドイものになると表紙だけ変えて中身が同じだったりする。そうした本の存在そのものが、今となってはいとおしいと思わないだろうか(思わないか)。
ここで青山が関わったスカトロ本を紹介するが、角本は発行日が書かれていないのが普通であるため(出版社の住所すら記載されていないものがある)、いつ作られたものか正確な時期が判らないものが多く、記載している年はすべて推測である。その点はご了承いただきたい。なお『サバト』(三和出版)と『フィリアック』創刊号(求龍社)は以前触れたので省略する。
『スカトピア』創刊号/求龍社
1987年。「マニア待望のスカトロ専門誌」。編集人は楠山克人、発行人は伊集院龍。妊婦浣腸スカトロ特集。求龍社は『フィリアック』の版元でもあるが、『スカトロ・ビデオ大全集』『マドンナ通信』『パラノイア』『アブ通信』などのエロ本を通販などで売っていたマイナー出版社である。青山は「スカトロ人間学」と題した、糞便愛好のフェティッシュとは何かの論考を寄稿。前述の群雄社の同名誌とは無関係。なお1987年という時期は『フィリアック』2号の広告が掲載されていることからの推測。『フィリアック』は編集方針で揉めたことで隔月発行の予定が大幅に遅れ、青山も編集から外れている(2号編集は岡本鬼坊)。
『スカトロスペシャル』/求龍社
1987年。B5。このムックは二種類あり、装幀はまったく同じだがページ数が2倍違う版がある。ページ数が少ない方はほぼグラビアのみで構成されているコンパクト版で(ただし値段は同じ)、青山の記事はページ数が多い方に掲載。“千摺魔王サウスポー”こと青山正明は「コプロラグニアへの憧景」と題したエッセイ記事を寄稿。ウロラグニー(尿愛飲)とコプロラグニー(糞便愛好)を同一視することへの疑問、および山田稔『スカトロジア』(1977年/講談社)と『遊へ組 糞!あるいはユートピア』(1980年/工作舎)を基礎文献として紹介している。
『コプロラビア』創刊記念号
ピテカンプレス/桃桜書房
1987年。B5。「現代の錬金術師、コプロフィリアに贈る、ビジュアル変態メニュー」。責任編集は食糞餓鬼。外側にはピテカンプレスと書いてあるが、中を見ると発売は桃桜書房。なんとこの雑誌の記事ページの半分は前出の『スカトロスペシャル』の流用である。よって青山の「コプロラグニアへの憧景」もそのまま再録。おそらく求龍社が潰れたのだと思われるが、真相は不明。
『ZOPHY』創刊号/桃桜書房
1987年。「アナがあったら入りたい変態誌」。編集人は井上幸彦、発行人は長嶋まさみ。ここで取り上げている中では一番『フィリアック』に近い内容で、巨乳、スカトロ、SM、ロリータなどの記事が続く中、唐突に死体写真が挿入される。青山がどのように関わっているのかは不明だが、「絵画教室をわざわざ開いてロリータをユーワク」というコラムに顔写真付で青山が載っており、変名で記事を書いている可能性が高い。『コプロラビア』の書評が載っているので発売時期はおそらくその直後辺りか。
『フィメール』創刊号/ペガサスブック
1988年。「A感覚をこえて」。企画・編集はペガサス、編集人は鈴木望、発行は株式会社ジャクソン。前半はアナル拡張の話題などエロ本に忠実だが、後半はサブカル色が強い。聖職者の同性愛者の増加、戦前の財閥、令嬢殺し、下着窃盗の検証、近親婚など脈絡のないコラムが続く中、貸本マンガについてのテキストなども。青山は「青山正明の人生相談」という、好き勝手に答えつつ意外とまともなページを担当している。創刊号なのに質問のハガキがきているのは、雑誌『Big Tomorrow』2月号から質問を勝手に流用しているからである。
『MASPET』/ポセイドンブック
1989年。「A感覚超越アナルラブ」。表紙周りと巻頭のグラビアページ以外、前出『フィメール』とまったく同じ内容で、目次には「Female」と誌名がそのまま残っているテキトーさ(あとがきも同じ)。よって「青山正明の人生相談」もそのまま再録。ただし、ペガサスや株式会社ジャクソンの名前はスミで消されており、住所は『フィメール』掲載のものとは違っているので、潰れたのかもしれない。1989年という時期は、本体2000円/定価2060円という、消費税3%が導入されていることからの推測。
エロ本編集に誇りを持っている人には申し訳ないのだが、こうした小手先で作られたエロ本というのも、今となってはあまりに自由奔放すぎる姿勢が羨ましい。裸が載っていれば、排泄シーンが載ってれば、どんなにテキトーに作ったエロ本でもそれなりに売れた時期だからこそ世に出せた、エロ本不況が深刻な現在ではもうありえない80年代の遺物である。青山も『フィリアック』の時期はそうした事情を逆手に取った趣味っぽい編集をしていたし、エロ本の黄金時代の辺境で行なわれていたこうした営みは、もはや陽の目を見ることは少ない。これらを知ることで、大正屋が潰れた後に『ぴあ』や『シティロード』に映画原稿を書く一方で、スカトロ雑誌で人生相談を行なっていた、青山の多面性(迷走?)がわかると思う。
関連記事
新宿アン ダーグラウンドの残影 〜モダンアートのある60年代〜
【プロローグ】 【1】 【2】 【3】 【4】 【5 】 【6】 【7】 【8】 【本文註釈・参考文献】
1986年頃発行/求龍社
<< 前回の記事を読む
スカトロ誌における青山正明
青山正明は『Hey!Buddy』が終わる頃から、大正屋出版が倒産した後くらいまで、つまり1985年〜1988年頃に、断続的にスカトロ関係の雑誌/ムックの編集を行なっている。スカトロというと流石に偏見も多いだろうが、実はこの時期のスカトロとは、いわゆるサブカルチャーの一種なのである。
順を追って軽く説明したい。『Jam』『HEAVEN』という伝説的な自販機本を出していた群雄社という出版社が、80年代初頭に出した排泄シーンの写真を掲載した自販機本が好評だったことで、スカトロ単独で雑誌を制作することになる。それが日本初といわれるスカトロ専門誌『スカトピア』(1982年9月/群雄新社)。群雄社は1983年に倒産したが、同じ社長によるビデオメーカーVIPが同時期に『女子便所』シリーズ(1982年6月頃から)をリリースし、排泄マニアに限らず好評を得ていた。更にそれと同じ頃、スカトロ関連も掲載されていた白夜書房の変態雑誌『Billy』が一時代を築く。この『Billy』が1985年に廃刊し、その後釜を狙った小さな変態雑誌が増え始める。その中に、スカトロ関係も多く含まれていたのである。
群雄社以前のスカトロはまだ一部のSM小説/性風俗研究誌にテキスト情報が出回る程度で、肝心の写真を手に入れる方法は限られていた。つまり、情報がないから、スカトロを扱えば一定の売上を見込めたのである。これは80年代エロ本の黄金パターンであり、「裸さえ載せればあとは好きなことをしてもいい」という発想と同じく、「排泄シーンを載せればあとは好きなことをしてもいい」と編集者が勝手に好きなページを作っていたのである。もちろん実際にそういった作られ方をしたスカトロ本は一部ではあるが、この時期のスカトロ本を読んで唐突にサブカルチャー情報ページがあった場合、それはそういうものだと思って欲しい。
スカトロ本の多くは「角本」という種類のエロ本だった。これはサイズがA5版で、表紙回りがツルツルのコート紙で、おおよそ150ページ前後の簡素な作りが、角張った印象を与えることからそう呼ばれたそうだが、青山が編集したスカトロ本もそうしたフォーマットにのっとったものが多い。さらに、ここが一番面白いのだが、「楽に作って金が儲かる」と考えた小さな出版社が多い分野であるだけに、編集側が読者を舐めてるとしか思えないほど、記事の再利用・流用・転用がポロポロ見られる。ヒドイものになると表紙だけ変えて中身が同じだったりする。そうした本の存在そのものが、今となってはいとおしいと思わないだろうか(思わないか)。
ここで青山が関わったスカトロ本を紹介するが、角本は発行日が書かれていないのが普通であるため(出版社の住所すら記載されていないものがある)、いつ作られたものか正確な時期が判らないものが多く、記載している年はすべて推測である。その点はご了承いただきたい。なお『サバト』(三和出版)と『フィリアック』創刊号(求龍社)は以前触れたので省略する。
『スカトピア』創刊号/求龍社
1987年。「マニア待望のスカトロ専門誌」。編集人は楠山克人、発行人は伊集院龍。妊婦浣腸スカトロ特集。求龍社は『フィリアック』の版元でもあるが、『スカトロ・ビデオ大全集』『マドンナ通信』『パラノイア』『アブ通信』などのエロ本を通販などで売っていたマイナー出版社である。青山は「スカトロ人間学」と題した、糞便愛好のフェティッシュとは何かの論考を寄稿。前述の群雄社の同名誌とは無関係。なお1987年という時期は『フィリアック』2号の広告が掲載されていることからの推測。『フィリアック』は編集方針で揉めたことで隔月発行の予定が大幅に遅れ、青山も編集から外れている(2号編集は岡本鬼坊)。
『スカトロスペシャル』/求龍社
1987年。B5。このムックは二種類あり、装幀はまったく同じだがページ数が2倍違う版がある。ページ数が少ない方はほぼグラビアのみで構成されているコンパクト版で(ただし値段は同じ)、青山の記事はページ数が多い方に掲載。“千摺魔王サウスポー”こと青山正明は「コプロラグニアへの憧景」と題したエッセイ記事を寄稿。ウロラグニー(尿愛飲)とコプロラグニー(糞便愛好)を同一視することへの疑問、および山田稔『スカトロジア』(1977年/講談社)と『遊へ組 糞!あるいはユートピア』(1980年/工作舎)を基礎文献として紹介している。
『コプロラビア』創刊記念号
ピテカンプレス/桃桜書房
1987年。B5。「現代の錬金術師、コプロフィリアに贈る、ビジュアル変態メニュー」。責任編集は食糞餓鬼。外側にはピテカンプレスと書いてあるが、中を見ると発売は桃桜書房。なんとこの雑誌の記事ページの半分は前出の『スカトロスペシャル』の流用である。よって青山の「コプロラグニアへの憧景」もそのまま再録。おそらく求龍社が潰れたのだと思われるが、真相は不明。
『ZOPHY』創刊号/桃桜書房
1987年。「アナがあったら入りたい変態誌」。編集人は井上幸彦、発行人は長嶋まさみ。ここで取り上げている中では一番『フィリアック』に近い内容で、巨乳、スカトロ、SM、ロリータなどの記事が続く中、唐突に死体写真が挿入される。青山がどのように関わっているのかは不明だが、「絵画教室をわざわざ開いてロリータをユーワク」というコラムに顔写真付で青山が載っており、変名で記事を書いている可能性が高い。『コプロラビア』の書評が載っているので発売時期はおそらくその直後辺りか。
『フィメール』創刊号/ペガサスブック
1988年。「A感覚をこえて」。企画・編集はペガサス、編集人は鈴木望、発行は株式会社ジャクソン。前半はアナル拡張の話題などエロ本に忠実だが、後半はサブカル色が強い。聖職者の同性愛者の増加、戦前の財閥、令嬢殺し、下着窃盗の検証、近親婚など脈絡のないコラムが続く中、貸本マンガについてのテキストなども。青山は「青山正明の人生相談」という、好き勝手に答えつつ意外とまともなページを担当している。創刊号なのに質問のハガキがきているのは、雑誌『Big Tomorrow』2月号から質問を勝手に流用しているからである。
『MASPET』/ポセイドンブック
1989年。「A感覚超越アナルラブ」。表紙周りと巻頭のグラビアページ以外、前出『フィメール』とまったく同じ内容で、目次には「Female」と誌名がそのまま残っているテキトーさ(あとがきも同じ)。よって「青山正明の人生相談」もそのまま再録。ただし、ペガサスや株式会社ジャクソンの名前はスミで消されており、住所は『フィメール』掲載のものとは違っているので、潰れたのかもしれない。1989年という時期は、本体2000円/定価2060円という、消費税3%が導入されていることからの推測。
エロ本編集に誇りを持っている人には申し訳ないのだが、こうした小手先で作られたエロ本というのも、今となってはあまりに自由奔放すぎる姿勢が羨ましい。裸が載っていれば、排泄シーンが載ってれば、どんなにテキトーに作ったエロ本でもそれなりに売れた時期だからこそ世に出せた、エロ本不況が深刻な現在ではもうありえない80年代の遺物である。青山も『フィリアック』の時期はそうした事情を逆手に取った趣味っぽい編集をしていたし、エロ本の黄金時代の辺境で行なわれていたこうした営みは、もはや陽の目を見ることは少ない。これらを知ることで、大正屋が潰れた後に『ぴあ』や『シティロード』に映画原稿を書く一方で、スカトロ雑誌で人生相談を行なっていた、青山の多面性(迷走?)がわかると思う。
(続く)
関連記事
新宿アン ダーグラウンドの残影 〜モダンアートのある60年代〜
【プロローグ】 【1】 【2】 【3】 【4】 【5 】 【6】 【7】 【8】 【本文註釈・参考文献】
ばるぼら ネッ
トワーカー。周辺文化研究家&古雑誌収集家。著書に『教科書には載らないニッポンのイ
ンターネットの歴史教科書』『ウェブアニメーション大百科』など。なんともいえないミ
ニコミを制作中。
「www.jarchive.org」 http://www.jarchive.org/ |
08.12.07更新 |
WEBスナイパー
>
天災編集者! 青山正明の世界