『ビデオマガジンアビック』
1985年8月号/リットーミュージック
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ホラー/カルト映画における青山正明(5)
青山の『ビデオ・ザ・ワールド』以外の、周辺的仕事を先にいくつかピックアップしていこう。本来なら時系列に取り上げるべきだが、どうしても出てこないものが数冊あり、それらは来週に回させていただく。
『ビデオマガジンアビック』(リットーミュージック)は1984年に創刊されたビデオ情報誌。アビック(AViC)とは「Audio Visual in Computer」の略で、コンピュータとビデオがちょうど盛り上がりを見せた時期であることがうかがえる。初期はCG作品なども取り上げていたが、徐々に映画とミュージック・クリップに絞られていった。青山は85年8月号の「恐怖大図鑑」特集でホラー映画関係の執筆をしたのが初期の関わりだと思われる。この号では「輸入ビデオで買えるホラーの掘り出し物」として日本未発売作品の紹介、「ローズマリーの赤ちゃん」のレビューの他、「ホラーブックガイド」としてホラー映画の海外文献を羅列しており、アラン・フランク『Horror Films』『The Horror Film』、ジョン・マッカーティ『Splatter Movies』、消費者ガイド編集の『Horror Films』、および『The Psychotronic Encyclopedia of Film』『Horror and Science Fiction Films』などを挙げている。『アビック』ではその後も1986年の2、3、6月号などに単発的に名前を発見できた。細かく見れば前後にもっと見つかるはずである。
ビジュアル・ホラー・マガジンこと『VZONE』は1985年に創刊、白夜書房の別会社・少年出版社から発行されていたホラー映画雑誌。実は創刊号はアニメ雑誌で全く方向性が違ったのだが(この頃の白夜書房は18禁アニメビデオ『魔法のルージュりっぷ☆すてぃっく』をリリースするなどオタク関係に偏りかけていた)、2号からホラー路線にリニューアルとなった。実質最終号の1987年5月号(通巻10号)で青山は新連載「ファナティックの方舟」を開始。つまり連載は一回で終った。当時ちょうどミッドナイト・レーベルからビデオで再発されたカルト映画『ユー・アー・ノット・アイ』を紹介。「肥大した信念は現実世界を変え得るという、60年代の夢想、オカルトの重要なテーゼを完膚無きまでに否定しながら、現実と妄想に関する新解釈を提示してみせた本作品こそ、カルト・ムービーと呼ぶに相応しい」と高く評価している。
『ザ・テレビジョン』のビデオ版雑誌として知られる『月刊ビデオでーた』(角川書店)では、1987年5月号から10月号、およびリニューアル後の『ビデオでーた』10月24日号〜88年9月11/24日号まで星取表(クロスレビュー)を担当している。取り上げた作品へのコメントも良いが、近況欄で青山の当時の様子が垣間見えるのが良い。例えば1987年10月号では「ただ今、エイズの単行本を執筆中。1週間で原稿用紙200枚という、鬼のような仕事である。緊張をやわらげようと、精神安定剤を飲んで、「フロム・ビヨンド」を観たら、脳味噌がショートしてしまった…」とある。この「エイズの単行本」というのは青山の著作にはないので、ゴーストライター仕事だと思っていいだろう。1987年5月発行『エイズ最新情報と怖くない生活法』(主婦の友社/塩川優一監修)は青山のゴーストライター仕事だと判明している一冊だが、おそらくこれの評判が良かったことで、次のエイズ本をどこかから頼まれたのだろうと推測できる。その後『別冊宝島172 決定版!エイズを生きる本』(1993年3月/宝島社)を編集するのは、この頃に得た知識の再利用という側面があるはずだ。
『月刊ビデオでーた』
1987年10月号/角川書店
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【プロローグ】 【1】 【2】 【3】 【4】 【5 】 【6】 【7】 【8】 【本文註釈・参考文献】
1985年8月号/リットーミュージック
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ホラー/カルト映画における青山正明(5)
青山の『ビデオ・ザ・ワールド』以外の、周辺的仕事を先にいくつかピックアップしていこう。本来なら時系列に取り上げるべきだが、どうしても出てこないものが数冊あり、それらは来週に回させていただく。
『ビデオマガジンアビック』(リットーミュージック)は1984年に創刊されたビデオ情報誌。アビック(AViC)とは「Audio Visual in Computer」の略で、コンピュータとビデオがちょうど盛り上がりを見せた時期であることがうかがえる。初期はCG作品なども取り上げていたが、徐々に映画とミュージック・クリップに絞られていった。青山は85年8月号の「恐怖大図鑑」特集でホラー映画関係の執筆をしたのが初期の関わりだと思われる。この号では「輸入ビデオで買えるホラーの掘り出し物」として日本未発売作品の紹介、「ローズマリーの赤ちゃん」のレビューの他、「ホラーブックガイド」としてホラー映画の海外文献を羅列しており、アラン・フランク『Horror Films』『The Horror Film』、ジョン・マッカーティ『Splatter Movies』、消費者ガイド編集の『Horror Films』、および『The Psychotronic Encyclopedia of Film』『Horror and Science Fiction Films』などを挙げている。『アビック』ではその後も1986年の2、3、6月号などに単発的に名前を発見できた。細かく見れば前後にもっと見つかるはずである。
ビジュアル・ホラー・マガジンこと『VZONE』は1985年に創刊、白夜書房の別会社・少年出版社から発行されていたホラー映画雑誌。実は創刊号はアニメ雑誌で全く方向性が違ったのだが(この頃の白夜書房は18禁アニメビデオ『魔法のルージュりっぷ☆すてぃっく』をリリースするなどオタク関係に偏りかけていた)、2号からホラー路線にリニューアルとなった。実質最終号の1987年5月号(通巻10号)で青山は新連載「ファナティックの方舟」を開始。つまり連載は一回で終った。当時ちょうどミッドナイト・レーベルからビデオで再発されたカルト映画『ユー・アー・ノット・アイ』を紹介。「肥大した信念は現実世界を変え得るという、60年代の夢想、オカルトの重要なテーゼを完膚無きまでに否定しながら、現実と妄想に関する新解釈を提示してみせた本作品こそ、カルト・ムービーと呼ぶに相応しい」と高く評価している。
『ザ・テレビジョン』のビデオ版雑誌として知られる『月刊ビデオでーた』(角川書店)では、1987年5月号から10月号、およびリニューアル後の『ビデオでーた』10月24日号〜88年9月11/24日号まで星取表(クロスレビュー)を担当している。取り上げた作品へのコメントも良いが、近況欄で青山の当時の様子が垣間見えるのが良い。例えば1987年10月号では「ただ今、エイズの単行本を執筆中。1週間で原稿用紙200枚という、鬼のような仕事である。緊張をやわらげようと、精神安定剤を飲んで、「フロム・ビヨンド」を観たら、脳味噌がショートしてしまった…」とある。この「エイズの単行本」というのは青山の著作にはないので、ゴーストライター仕事だと思っていいだろう。1987年5月発行『エイズ最新情報と怖くない生活法』(主婦の友社/塩川優一監修)は青山のゴーストライター仕事だと判明している一冊だが、おそらくこれの評判が良かったことで、次のエイズ本をどこかから頼まれたのだろうと推測できる。その後『別冊宝島172 決定版!エイズを生きる本』(1993年3月/宝島社)を編集するのは、この頃に得た知識の再利用という側面があるはずだ。
(続く)
『月刊ビデオでーた』
1987年10月号/角川書店
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ばるぼら ネッ
トワーカー。周辺文化研究家&古雑誌収集家。著書に『教科書には載らないニッポンのイ
ンターネットの歴史教科書』『ウェブアニメーション大百科』など。なんともいえないミ
ニコミを制作中。
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09.02.01更新 |
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