『HEAVEN』 |
毎週日曜日更新! The text for reappraising a certain editor. ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者! 青山正明の世界 第3回 取材・構成・文=ばるぼら 21世紀を迎えてはや幾年、はたして僕たちは旧世紀よりも未来への準備が整っているだろうか。乱脈と積み上げられる情報の波を乗り切るために、かつてないほどの敬愛をもって著者が書き下ろす21世紀の青山正明アーカイヴス! |
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“脳細胞分裂マガジン”と銘打った『突然変異』創刊号の奥付の日付は1981年4月15日。内容はといえば、ロリコン、フリークス、差別ネタ、ドラッグ、自慰、皇室揶揄など、明らかにタブーといえるものをメインに取り上げている。のちに参加スタッフが語ったところによれば、それほど青山正明が積極的に絡んだわけではなかったそうだが、『突然変異』1号の編集後記で彼が書いた「私にとっては、過激こそ真実」という一文は、のちの活躍を予見しているといえる。
『突然変異』2号は同年7月15日発行。方向性は前号と変わらないものの、読んでいて感じるのは、当時の『Jam』『HEAVEN』に代表される自販機本から強く影響を受けているだろうということだ。自販機本がよくやっていた手法に、誰も見ていないのをいいことに、海外雑誌の記事を無断翻訳して掲載してしまう荒業があるのだが、『突然変異』2号も、海外『WET』誌に掲載された元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのニコのインタビューを、勝手に翻訳して載せている。
過激な内容が話題を呼び、順調に売り上げを伸ばしていた『突然変異』だが、同年8月5日の『朝日新聞』誌上では椎名誠から批判的に紹介されたことで、書店が取り扱いを拒否しはじめてしまう。いわく「こういうのは典型的なビョーキ雑誌というのである。ゴミ雑誌、ゴキブリ雑誌の下。バイキンをまき散らすだけの雑誌なのだ」。ある意味『突然変異』を正しく理解していると言える。だが、このあとに「書店はもっと中身をきちんと見て扱った方がいい」と続けて一方的に断罪するような姿勢は、独善的すぎだとして、『突然変異』スタッフ側は猛抗議した(この評が収録された単行本『むははは日記』では当該部分が削られている)。
この事件は最終的に、翌1982年の『週刊プレイボーイ』2/9号誌上に、『突然変異』側が椎名誠への公開挑戦状として、4月8日に上野動物園のキリン舎の前で決闘する旨を掲載したが、当日椎名は現れず、うやむやになったそうだ。当時の雑誌に以下のようなレポートがある。
「ところで、4月8日の甘茶の日、小雨の降りしきる中を3時に上野動物園キリン舎前までわざわざミニコミ誌「突然変異」VS「本の雑誌」の決闘を見に行ったのですが、「本の雑誌」の椎名誠らは現れず結局「突然変異」の不戦勝というような形になったようです。かなりハデになるかとも思ったのですが、「突然変異」側も勝鬨をあげるわけでもなくしみったれてました」(『ヘイ!バディ』82年6月号編集後記)
『Jam』
1978年から1981年にかけて発行されていた自販機本。自販機本とは一般書店の流通を通さずに、自販機だけで売られていたエロ雑誌のこと。中でも『Jam』『HEAVEN』は破天荒かつ前衛すぎた伝説の存在。山口百恵のゴミを漁って誌上で公開したことで知られる。青山氏は『別冊宝島345 雑誌狂時代!』(宝島社/1997年)掲載記事で「面白かった時代っていうと、やっぱり『ジャム』『ヘヴン』の頃。要するに、エロとグロと神秘思想と薬物、そういうものが全部ごちゃ混ぜになってるような感じでね。大学生の頃にそこらへんに触れて、ちょうど『ヘヴン』の最終号が出たくらいのときに、『突然変異』の1号目を作ったんです」と語っている。
『フォトジェニカ』10号
1982年4月頃/海鳴書房
その他の参考文献:
『別冊危ない1号 鬼畜ナイト』(データハウス)
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ばるぼら ネットワーカー。周辺文化研究家&古雑誌収集家。著書に『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』『ウェブアニメーション大百科』など。なんともいえないミニコミを制作中。
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08.04.06更新 |
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