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話は更に逸れるが、『突然変異』は当時の『週刊宝石』でも紹介されたことがある。1981年後半といえば世間はロリコン・ブームに突入していた時期で、『突然変異』もロリコン現象の一つとして扱われていたのだ。問題の10/24号の「大学生・ビジネスマンの間に、幼女性愛趣味が激増!!」という記事では、他にもロリコン雑誌の『少女趣味』や、伝説のロリータ同人誌『PEPI』が紹介されており、ロリコン趣味のウジウジした大学生集団のように書かれた『突然変異』側は、11月15日発行の3号で、抗議として取材記者の名前と電話番号を誌上で暴露した。
ロリコン雑誌扱いにうんざりした『突然変異』は、以後少女ネタを扱うのをやめるが、そのロリコン記事をきっかけに、青山正明に転機が訪れる。2号に掲載されたロリータ記事「6年4組学級新聞」を見た白夜書房の編集者から連絡があり、執筆依頼をされたのである。こうして同年12月の『ヘイ!バディ』誌の「少女の時代」特集に「HOW TO LOLITA」を寄稿、商業誌デビューを飾った。この記事の受けが良かったのか、以降82年2月号から、『突然変異』のスタッフと共同で「6年4組学級新聞」の連載を『ヘイ!バディ』誌上で始めることになる。
今では伝説のロリコン雑誌として扱われる『ヘイ!バディ』の81年から82年前半にかけては、ロリコン記事は単なる1コーナーの扱いで、まだメインではなかった。しかし当時のブームにのっかって82年5月号から「愛しのロリコン雑誌」をキャッチコピーに全面ロリコンへ移行した(全盛期には8万部を売り上げたという)。『ヘイ!バディ』がロリコン路線になったのは、青山正明の影響が多大にあるような気がしなくもない。とにかく、青山正明はまずロリコン・ライターとして始まったのだった。
「6年4組学級新聞」の連載は82年9月号まで続き、共同執筆者との些細ないざこざがきっかけで終了。10月号からは装いを新たに「Flesh Paper 肉新聞」として連載を再開した。内容はロリータから大幅に外れ、奇形児写真をフィーチャーし、ドラッグ紹介やスプラッター映画の紹介、海外の面白ニュースや著名人批判など、青山正明の趣味色が濃厚になっていった。
『週刊宝石』2号
1981年10月24日発行/光文社
左=『PEPI』7号/右=『少女趣味』4号
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ばるぼら ネットワーカー。周辺文化研究家&古雑誌収集家。著書に『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』『ウェブアニメーション大百科』など。なんともいえないミニコミを制作中。
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08.04.13更新 |
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