毎週日曜日更新! The text for reappraising a certain editor. ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者! 青山正明の世界 第5回 取材・構成・文=ばるぼら 21世紀を迎えてはや幾年、はたして僕たちは旧世紀よりも未来への準備が整っているだろうか。乱脈と積み上げられる情報の波を乗り切るために、かつてないほどの敬愛をもって著者が書き下ろす21世紀の青山正明アーカイヴス! |
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話を『突然変異』に戻すと、結果的に最終号となった4号は、『ヘイ!バディ』誌の連載を挟んだため、前号から随分と空いた1982年10月1日に発行された。この4号で注目したいのは、相変わらずの内容の記事よりも、広告である。日本で最初のロリータ・ビデオ『あゆみ11歳』(1982年8月/三田プロダクション)の広告が掲載されているのだ。何が問題かといえば、その広告の「出演・青山正明」の一文。なんと、このビデオに出演している大学生は、青山正明なのである。青山正明はロリータ・ビデオの先駆者でもあった。
このビデオについてのコラムが掲載されている『ミルク・クラブ』(1992年7月/白夜書房)によれば、「大学生のツトム君役で登場する青年は、当時、ロリータ関係のライターとしてはトップの座にいたA氏で、製作スタッフの中心的存在でブームの仕掛け人の1人と噂されている大物編集者兼スチールカメラマンと言う、趣味の人集団の力の結晶的作品」とのことで、この『あゆみ11歳』発売から半年以内に国内で50本以上のロリータ・ビデオが製作されたというから、まさに記念碑的作品といえる。
『突然変異』は4号で終わり、青山正明は大学に通いながら『ヘイ!バディ』の連載「フレッシュ・ペーパー」を中心にライター活動を行なっていく。同時に、連載ではほぼ毎号ドラッグ解説記事があり、ドラッグ・ライターとしても徐々に名を上げていった。
青山正明とドラッグの関係は切っても切れないものだが、果たしていつからドラッグに興味を持つようになったのか。『危ない薬』の著者プロフィールによると「大学入学と同時に自称“井上陽水にドラッグを提供していた”売人と懇意になり、その世界に足を踏み入れる」と説明されており、また『ヘイ!バディ』83年8月号には「連載当初は、ドラッグの事なんかこれっぽっちも知らず、只々ネタ探しに東奔西走。日本では群雄社出版でレイアウトやってる神崎夢現さんがその道の大家。何回か三鷹の御自宅におじゃまして、参考になる話をたくさん聞かせてもらいました。アリガトサン」とある。青山正明も当時はまだ駆け出しだったのが判る。
『ミルク・クラブ』
1992年7月15日発行/白夜書房
ロリコン雑誌『アリス・クラブ』の増刊で出たロリコン関係のデータ本で、1992年時点でのありとあらゆるロリコン・グッズを網羅しているカタログ。詳細は忘れたが何冊か出ていたかも。写真集、雑誌、ビデオから、ロリコン的見所のある映画や書籍などの紹介まで、細やかなフォローが行き届いていて、力の入れようが違う。『ヘイ!バディ』誌の新作グッズ紹介コーナーと見比べると若干の漏れはあるが、手軽に80年代のロリコン・ブームの全容を知りたい人にはお薦め。と言っても現在はロリコン関係の書物を売買することは禁止されているので、ゴミ捨て場をこまめに探すしかないと思うが……。
左=『少女激写』15号/右=『少女激写』19号/共にアリス出版
神崎夢現
1959年生まれ。東京出身のグラフィック・デザイナー。80年代初頭はアリス出版に勤務し、自販機本『少女激写』の末期編集長を務めていた。黒魔術を応用したというレイアウトは驚愕の一言。同誌の編集に関わっていた竹熊健太郎は神崎氏を“日本最後のヒッピー”と評した。退社後はフリーで『週刊本』などを手がけ、1990年に事務所を設立。漫画単行本の装幀、CD・DVDのパッケージデザインなどを行っている。現在amaty inc.代表。『STUDIO VOICE』誌2005年9月号の「ポスト=ジャケット・デザイン」特集号に、「日本のコミューンを横断した、ヒッピー・デザイン」と題した、70年代のミニコミの紹介記事を寄稿している。必見!
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ばるぼら ネットワーカー。周辺文化研究家&古雑誌収集家。著書に『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』『ウェブアニメーション大百科』など。なんともいえないミニコミを制作中。
「www.jarchive.org」 http://www.jarchive.org/ |
08.04.20更新 |
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