The ABLIFE September 2011
「あぶらいふ」厳選連載! アブノーマルな性を生きるすべての人へ
縄を通して人を知り、快楽を与えることで喜びを得る緊縛人生。その遊行と思索の記録がゆるやかに伝える、人の性の奥深さと持つべき畏怖。男と女の様々な相を見続けてきた証人が、最期に語ろうとする「猥褻」の妙とは――
私にしてみれば、
ヒロインを後ろ手に縛りあげたら、
それでもう、このシーンのクライマックスという気持ちになる。
あとは縛られたヒロインの悩ましい姿態の動きを、
前から後ろから、たっぷりと、
ていねいに撮ってもらいたい。
ヒロインを後ろ手に縛りあげたら、
それでもう、このシーンのクライマックスという気持ちになる。
あとは縛られたヒロインの悩ましい姿態の動きを、
前から後ろから、たっぷりと、
ていねいに撮ってもらいたい。
射精した直後は、全身の力がぬけ、目はかすみ、顔はかろうじてスクリーンにむけていても、映画はもう意識の中にない。
半分死んだような虚脱状態になっている。
その"縛り"のシーンが、好みに合った刺激度の高いものだったら、もう一度くり返して同じ映画を観る。
たとえその映像が四秒間か五秒間の短いものであっても、ふたたびそのシーンがスクリーンに映写されるまで、私は三時間でも四時間でも、体を縮めて客席の片隅にすわっている。
そして、待つ。ひたすら待つ。
現在のように、客席指定の一本立ての映画だったら、一回終映と同時に席を立ち、外へ出ていかねばならない。
だが、当時の三本立て映画館の場合は、朝入場券を買えば、夜おそく最終回の時刻になるまで客席にすわっていても、だれも文句を言わない。
上映時刻などを気にせずに映画館の中にとびこみ、途中から途中までを観て、見覚えのあるシーンまでくると、外へ出る、というのが一般的な客の鑑賞法だった時代である。
射精して虚脱状態になっているのは、せいぜい十分か十五分で、あとはもう、もとどおりになって私はスクリーンを眺める。
"縛り"シーンのない映画でも、もちろん嫌いではない。
どんなジャンルの映画でも好きである。
起承転結に富んだ物語が、映像に限らず、好きである。
同じ映画を繰り返し観ているうちに、私は筋の運び方、展開の仕方、つまりシナリオの書き方をしぜんにおぼえた。
ぼんやりスクリーンを眺めていても、まだ二十歳前という若さのせいで、皮膚の毛穴からしみこむように、ドラマ作りのコツみたいなものをおぼえた。
あとになってそれが役立つことにもなるのだが、この時代の数年間、週のうち二度三度と、"縛り"のシーンを求めて、都内や近郊の焼けのこった小さな映画館の中にもぐりこみ、暗闇の片隅で快楽を耽溺していたのである。
こんな私の状態を「オナニー地獄」などとオーバーな表現で書きはじめてしまい、書いた以上は、なるべく詳細に内容をならべるつもりでいたのだが、こういう描写ばかり続くのもどうかと思うし(やっぱりすこし恥ずかしい)、映画館での暗闇快楽の記述は、ちょっと休ませていただく。
じつは、回数は当然減ってはいるが、これはと思う映画が上映されているときには、現在もまだこの習慣をつづけている。
途中からテレビ時代に入り、台数が多く普及してからは、自分だけが小さな画面を独占して、自由な快楽を手中にすることができるようになる。
とくにテレビの初期(モノクロの時代である)は、美女緊縛のシーンは多かった。
連続時代活劇のときには、毎回ヒロインは悪者のために縄で縛られ、危機におちいった。
自分一人だけで観るテレビの場合、映画館のように、となりにすわっている子供に、
「おじさん、ガタガタ動かないでよ」
などと叱られ、恥ずかしい思いをする心配はなくなり、この快楽は増幅された。
録画万能の時代に入ると、私の快楽はさらに増幅される。
コレクション癖も加わって、私は緊縛シーンだけの録画に精を出した。
連続時代劇や現代サスペンス物のドラマを見慣れてくると、途中でもう、このヒロインはやがて悪者のために捕らわれ、監禁されるにちがいない、というカンが働く。
独特のカンであり、この予測は十中八九までは適中する。
刺激度に玉石混交はあっても、私はせっせと録画し(全部こまぎれのシーンをつなぎ合わせたものである)、ぼう大な量に達した。
一つのドラマ、あるいは映画の中に、せいぜい1分間か2分間ほど(ときには数秒間の短いもの)のきわめて短い断片的なものばかりだが、つなぎ合わせると長くなる。
そういうコレクションのほとんどはを風俗資料館に寄贈してしまったので、会員だったらだれでも見ることができる。
ただし、こういうシーンに関心のない人には、まったくつまらない、何が何だかわからない、くり返すが、断片的なつなぎ合わせた映像ばかりである。
私のものはすべてVHSであり、やがて劣化する運命にあるので、風俗資料館のほうでDVDに移してくれた。
私のひそかな(そして恥ずかしい)コレクションも、これでひと安心というわけである。
ただし、さらにくり返すが、こういうシーンに関心のない人には、まったくつまらない、何が何だかわからない、断片的なつなぎ合わせの映像であることを、改めてお断わりしておく。私にはこれが、宝物である。
どうしてこんな恥ずかしいことをぐだぐだ書いているのかというと、私や私の親しい仲間たちにとって、「縄」という存在が、いかに大きいかということを、すこしでいいから知ってもらいたいからである。
私は、これまでに何度もしつこく書いているように、かぞえきれないほど数多くのAV系のSMビデオの撮影現場で働いてきているが、ドラマのクライマックスで私がヒロインを縛りあげたあとで、監督がかならずといっていいくらい、つぶやく言葉がある。
「さあ、縛ったぞ、これから何をしようか」
この言葉を、ときには私にむかって発する。私は、
「うッ!」
と、返事につまる。私にしてみれば、ヒロインを後ろ手に縛りあげたら、それでもう、このシーンのクライマックスという気持ちになる。
あとは縛られたヒロインの悩ましい姿態の動きを、前から後ろから、たっぷりと、ていねいに撮ってもらいたい。そういうシーンを好む人が大勢いることを、私は知っているからである。
私は知っているが、監督は知らない。知識としては知っているだろうけど、感覚として、そういうことを信じない。
そこでひとまずヒロインに両足をひろげさせ、軽くバイブ挿入ということになる。
(続く)
『濡木痴夢男の秘蔵緊縛コレクション1「悲願」(不二企画)』
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