WEB SNIPER Cinema Review!!
第25回東京国際映画祭のコンペティション部門で観客賞を受賞
世界的なディジュリドゥアーティストとして活躍してきたGOMAは、2009年11月26日、首都高速で追突事故に遭遇した。この際の怪我の影響として記憶の一部が消えてしまったり、新しいことを覚えづらくなるという高次脳機能障害の症状が後遺する。ディジュリドゥが何なのかすら認識できないほどの状態に陥ったGOMAが、そこから少しずつ回復していく様子を彼と妻すみえの交換日記を交えて振り返るドキュメント。新宿バルト9他全国順次公開中
2月16日より、ヒューマントラストシネマ渋谷、吉祥寺バウスシアターにて公開決定
ディジュリドゥ(オーストラリア先住民の楽器)奏者のGOMAは、2009年に交通事故にあった。その結果、彼には高次脳機能障害という後遺症が残ってしまう。それはどんな障害なのか? 意識が有り、会話もできる。日々の生活は普通にすぎていく。ところが過去の記憶がすっぽりと消え、新しい記憶もなかなか定着しない。彼は帰宅後しばらくして、突然絵を描き出す。今まで、絵を描いたことなど一度もなかったのに。その絵は点描で、まるで南米のインディオの絵や、幻覚剤でぶっ飛んだ人の描く絵にも見える。彼はディジュリドゥを見ても、それが何かわからない。常連だったそば屋に行き、「今日の店はおいしかった」と日記に書く。世の中にそんな「ケガ」の仕方が有るんだということすら、この映画を観る前は知らなかった。これはそのGOMAについての3Dドキュメンタリーである。
とくれば当然「なんで3D?」という疑問が浮かんでくるのだが、本作は後半、それが必然となって観客に迫ってくる。これはまったく新しい3D映画だ。と同時に、1人の人間を記録したドキュメンタリーとしても傑作になっていた。
映画は大きく分けて、事故前と事故後に分けられる。GOMAは90年代から自己の映像を撮りためており、映画はまだ20代の彼がオーストラリアでディジュリドゥの修行をし、フェスに出演し、イギリスに渡りやがて娘が生まれという一連の流れを映し出す。海外のレイヴだろうか、もう立てるようになっている娘が、音楽を聴いていてやがてタコのように踊りだす映像がすばらしい。家庭用カメラで撮られたこれらの映像は当然2Dだ。時々入る説明文が手前に飛び出し、飛び出すライブ映像もあり、「ディジュリドゥって形からして飛び出すのにぴったりだよね」などと思うが、しかしこれだけでは3Dの必然性はないように思える。
やがて事故の日がやってくる。2009年11月、GOMAは荷物をとりに車で都心に向かった帰り、渋滞中の首都高で後ろから追突されてしまう。鉛筆で描かれたようなアニメーションが、普通ではない、その1日の片鱗を感じさせるうまい演出だ。ここから映画の中の時間は輪切りにされ、第2の人生が始まる。
奥には妻とGOMAの日記が交互に映される。手前には、小さく飛び出して演奏を続けるGOMA & The Jungle Rhythm Section(ちなみに、撮影時のライブPAは元Dry&Heavyの内田直之だ)の姿が現われる。それは『モスラ』に出てくるザ・ピーナッツや、『スターウォーズ』でR2-D2から放射されたホログラムのレイア姫を連想させる。それは小人や妖精のような、運命に関して、なにか重要なメッセージを発している存在だ。
「パパは昨日の事故のことを全く覚えていないようだ」という妻の日記から始まる事故後の生活は、やがて2人の日記のずれを通して、何かがおかしいという静かな不安に支配され始める。スクリーンの奥で事故が日常生活へおよぼす影響が明らかになっていく中、手前ではバンドの音楽がいよいよ激しさを増し、GOMAの低周波は吹き上がり、それは戦いの歌にも聞こえる。
記憶がないと、過去の自分から切りはなされる。最近のことをどんどん忘れていくと、周りの人間や世界から切りはなされる。それがGOMAの苦しみだ。監督は、3Dによってスクリーンの奥から手前へと流れる時間を作りだした。しかし、その2つの層はつながっていない。飛び出して演奏しているGOMAは、後ろのGOMAを思い出せない。本作の3Dは断絶を演出しているのだ。
やがてGOMAが過去との連続を取り戻すきっかけとなるのが、体の記憶だというのがおもしろい。映画にでてくるGOMAは体を「ぬいぐるみ」と表現する。それは、人の実体は魂で、体はその乗り物にすぎないというという考え方ではないだろうか。しかしそう考えていたGOMAが、体とディジュリドゥの関係に救われていく。
ある夏の日、西日の中で妻と娘と3人、背の高い草が茂った横の道を自転車で走っていく。蝉の声が聞こえ、iPhoneで撮影したのだろうか、この映像は思い出そのもののように遠く、美しかった。誰もが人生の中に1つは持っている、自分の人生をなりたたせる要になるような記憶。それはすべての映画が、求めている映像ではないか。
映画はこの場面で3Dであることをやめる。この3Dドキュメンタリーは、3Dでなくなることを熱望するドキュメンタリーだ。本作で最も印象的だったのは、そこにある子供への愛だった。
奥に過去があり、手前に現在がある。フラッシュバックメモリーズ3Dの並び方は、じつは葬式と同じだ。葬式で後ろにひかえる過去は遺影で、手前にある現在はお棺になる。ところが本作ではその手前の位置に、飛んだりはねたりする小さなGOMAがいる。娘が愛おしくて、また音楽という魔法があるために、暗闇の中から、またみんなの世界に戻ってきた男。その奇跡こそが、このドキュメンタリーなのだ。
初日上映では、上映と一緒に松江監督、GOMAによる舞台挨拶も行なわれた。印象的だったのは、本作のプロデューサーによるGOMAへの「企画を打診されたとき、受けることに迷いはなかったのか」という質問だ。GOMAはまず、事故後は自分を受け入れることができず、誰も自分のことを知らない場所に移住しようかとまで思い詰めていたことを明かした。その自分が抱えている問題を人に向かって話さなくてはいけない、それがプラスになるのかマイナスになるのか、当初はジャッジできなかったという率直な思いを述べた。障害があることを話すと、今でも色眼鏡で見てくる人がいるという。一方で、心の底からはげましてくれる人もいるという。そんな中で、しかしプロデューサーや監督と話すうち、自分の心のドアが少しずつ開きだし、(どういう生き方をしても)最終的にこの世を去るのなら、自分のちっちゃな部屋から飛び出して、もう一度みんなといっしょに思い切り笑おうと、最後にはそう気づいたのだと、述べていた。
世界とつながることを信じて、心を開いたGOMA。話を聞いていて、がらにもなく感動した。彼が語り終わると会場から拍手が巻き起こり、僕も拍手をした。
文=ターHELL穴トミヤ
『あんにょん由美香』の松江哲明監督が放つ、全く新しい形の3D 映像作品!!
『フラッシュバックメモリーズ 3D』公開中!
関連リンク
映画『フラッシュバックメモリーズ 3D』公式サイト
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