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『ドキュメンタリー映画 100万回生きたねこ』の小谷忠典監督作品
近代メキシコを代表する女性画家フリーダ・カーロ。死後50年を経て姿を現わした彼女の遺品へ、国際的に活躍する写真家の石内都がカメラを向ける――。3週間に亘る撮影の過程に密着し、写真家のまなざしが「ひとりの女性」を写していく現場を追ったドキュメンタリー。8月7日(土)より、シアター・イメージフォーラムほか全国劇場公開
メキシコと日本の女性のグイグイが、ときを超え邂逅しているわけです。フリーダ・カーロをよく知らない人でも、あの立派すぎるうえつながった眉毛、しかも髭まで生えたインパクトのある自画像は見たことがあるに違いない。初めてあの絵を見たとき「うわっ、これ女なのか!外国にはこんな毛深い女性がいるのか......」と驚いた。フリーダ・カーロは20世紀を代表する画家。そして恋多き女性であり、その相手はイサム・ノグチからトロツキーまでまさに伝説的な男ばかり、現在ではメキシコの英雄となっている女性です。でもなんで?あの絵の感じだとそんなモテるとは思えないんだけど?と思っていたら、写真で見るとすごく美しい人なんですね。
彼女は1954年に亡くなりますが、遺言によってすべての遺品は死後50年間、非公開のまま自宅の(なぜか)風呂場に封印されていました。その期限がきれたのちの2012年、膨大な遺品を撮影するプロジェクトが開始されます。何人かの写真家が試されたあと、石内都に白羽の矢が立つ。そしてこのドキュメンタリーが始まるわけです。
石内都は1979年に『APARTMENT』で木村伊兵衛賞を受賞した写真家。以後、身体についた傷を撮影した『キズアト』『scars』といった作品や、広島の犠牲者の服を撮影した写真集『ひろしま』などを発表してきました。この『ひろしま』を撮るきっかけにもなった、母親の遺品を撮影した『Mother's』がヴェネチアで関係者の目に留まり、今回の依頼につながった。
フリーダ・カーロは、幼い頃に小児麻痺にかかり、左右の脚の長さが違います。さらに18歳の時、生死の境をさまよう大事故にあっている。その後遺症のせいで、彼女は身体に巻きつけたコルセットや、左右で靴底の厚さが違う靴、そしてモルヒネをはじめとする鎮痛剤とともに、生涯を送りました。その絶望の底から絵を描き、着飾って美を発揮してきた人なんですね。だから傷跡と共に生きた人を撮るという点からも、残された服を通して人を撮るという点からも、石内はこの依頼にぴったりに思える。
ところが、ここでグイグイが発揮され石内都は受けた仕事はやるけど、「私は、フリーダ・カーロの作品も人もそれほど興味があったわけではない」とか言っていて、メキシコ側のテンションと比較して大丈夫なのかみたいな感じで始まってくる。フリーダの夫、ディエゴ・リベラはずっと年上の男でやはりメキシコの英雄です。ところが、石内は夫の絵も「すごいけど、ずっとみてると飽きちゃう。プロパガンダだから」とかいって切り捨てている。これまた正直で面白い。フリーダ・カーロは病室で絵を描き始め、当初それは趣味程度の評価しかされていなかった。生前の彼女はむしろ、英雄の妻として有名だったそうです。彼女がはるか年上の英雄と結婚したのは、もちろん純粋に尊敬や愛もあったんだろうけど、打算や野心もあったでしょう。そして夫に浮気されたり、離婚したり再婚したり、自分も恋に生きたりしながら絵を描き、今では彼女のほうが芸術家として評価されている。ここにはフリーダ・カーロのグイグイを感じます。2つのグイグイ、フリーダも石内も来るものは拒まず、でも迎合しない。そんな女性同士がときを超えて出会っているわけです。
石内は学芸員に「1939年のVOGUEの表紙を飾った時の服です。同じコーディネートでとりますか?」と聞かれても「別にいい」とか言って、VOGUEが何よ的グイグイを発揮する。遺品は位置をちょっと調整するにも、全部メキシコ側の学芸員が手袋して作業してるんだけど、石内はあやうく素手で触りそうになったりしている。後半は案の定グダグダになっていて、これも石内のグイグイにメキシコ側が押しやられているともいえる、おもしろい展開でした。フリーダが好んで着ていた故郷オアハカの民族衣装も、「なにか女性蔑視なデザインに見える」とか言って、メキシコ学芸員が「そんなことないんです!」と説明をはじめたり、グイグイからのバチバチの気配すら漂う。
石内は『ひろしま』で服全体を撮りながらときどき、ほつれをかがった跡や、服に編み込まれたかわいい模様をクローズアップで写していました。すると、突然そこに人が見えてくる。今回もフリーダの痕跡を、クローズアップで探して、彼女の息づかいを写そうとしている。そのとき石内は、「服の奥にある伝説」ではなく「今現在、目の前の服」を撮っているのだと強調します。それは今も存在している霊的なフリーダを、1人の女性として伝説の奥底から引きはがしてくる作業でもある。さらにピラミッドに出かけたり、衝撃的な電話を受けたりしているうちに、石内は民族衣装についても、フリーダについても新しいイメージを獲得していく。グイグイなまま石内とフリーダ・カーロの波長が合っていく、その先にいたフリーダ・カーロはどんな人だったのか。その写った写真を、最後までみせてくれないから、この映画かなりやきもきさせられます。
後半はフリーダの原点、オアハカ州イスモ地方の民族衣装の生産現場が映し出される。そこでは日記のようにドレスが編まれ、完成した服はときに個人の所有を超えて「着るべき人に着てもらう」べく受け渡されていました。それは石内が伝説の遺品を、いま目の前の服へと変えていく作業とも呼応していた。過去を今に存在させる服という不思議、そこにせまるグイグイ。情念の力をより深く信じている人だけが達することができる、そんな時間の流れが本作には流れていました。
文=ターHELL穴トミヤ
時空を超えて2人の女性が交差する、
「記録」と「記憶」を巡るドキュメンタリー
『フリーダ・カーロの遺品 -石内都、織るように』
8月7日(土)より、シアター・イメージフォーラムほか全国劇場公開
映画『フリーダ・カーロの遺品 -石内都、織るように』公式サイト
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