WEB SNIPER Cinema Review!!
第67回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門グランプリ&パルムドッグ賞W受賞
雑種犬に重税が課せられる街。13歳の少女リリ(ジョーフィア・プショッタ)は父親に愛犬のハーゲンを捨てられてしまい、必死に探しまわるが見つけることができない。一方、街を彷徨っていたハーゲンは、やがて人間に虐げられてきた保護施設の犬たちと邂逅、共に人間への反乱を起こすのだが――全国順次公開中
映画が始まってから終わるまで一体、どこが舞台の映画なのかわからなかったがハンガリーだったのか、不思議な国。主人公(ジョーフィア・プショッタ)は学校で楽団に入ってるんだけど、授業の一環のように見えて、楽団には遥か年上に見える生徒たちもいるし、それどころか中年のおっさんまでいる。どういう集まりなのか? クラブに行くとき、あきらかに未成年にしかみえない主人公が、IDチェックもなしに入れてもらえる。街は石畳の道路で、教会からは鐘の音が聞こえる。ユーロが流通していて、でも地下闘犬シーンがある。主人公の父親(シャーンドル・ジョーテール)はいつも不機嫌で、音楽の教師もいつも不機嫌で、アパートの同居人は腐った性格をしていて、その他まっとうな大人が一人も出てこない。なにか、近未来のディストピアなのだろうか?それとも?
主人公は離婚した母親がオーストラリアに行く間、父親のアパートに預けられてしまう。父親もアパートの住人も主人公の犬を毛嫌いし、越した翌日には通報によって保険局がやってくる。あげく「雑種の犬を飼うなら、税金を払わないといけない」という謎の法律があり、ついに犬は捨てられてしまうのだった。引き裂かれた、犬と主人公。彼らは再び出会うことができるのか!?というのが大筋となって映画は進んでいく。
監督は本作のラスト40分について「大衆の蜂起の瞬間だ」と言っている。なるほどそこにいたるまで、前半の展開は『ゼイリブ』(ジョン・カーペンター監督)とか『未来世紀ブラジル』(テリー・ギリアム監督)とか、80年代によくあった「ディストピア社会で真実に目覚めた主人公が立ち上がる」系の映画と同じ構造をしている。でも蜂起するのは犬なんだけど、というのがカンヌで「パルムドッグ賞」を受賞したゆえんで、監督がどこまでマジなのか。犬への愛が強すぎるあまり、フォースのギャグサイドへ落ちているのかいないのか、その微妙な境界を楽しむ 2時間となっている。
飼い犬から一転、野良へと転落してしまった主人公の犬は、やがて空き地が野良犬のたまり場なっているのを発見する。この展開は、真実に目覚めたら家を追い出されてホームレスになってしまうが、街外れにレジスタンスたちの隠れアジトを発見する、というディストピア映画のあるある展開だ。でも犬だから、「この世界がおかしいと思っていたのは、俺だけじゃなかったのか?!」「同志よ!」みたいな会話はなく、犬同士でクンクンやって、なんとなく気があってる感をかもしだしているのがかわいい。もちろんそういうアジトは当局の襲撃を受けると相場が決まっていて、本作の場合は野犬狩りの保健局がやってくる。
主人公の犬は逃げる途中で闇の闘犬屋に捕まってしまう。これが後半の革命戦士化への伏線になっているんだけど、ここから本作は格闘映画になっていく。この、犬がランニングマシーンを走っているシーンで、監督はフォースのアホサイドに突入しているなと確信しましたね。さらに覆面して犬を虐待し始めるあたりからアホサイドを突き抜け、監督の秘められた犬への欲望が全開になっていく。哀れかわいかった飼い犬は、憎しみに駆られる野獣へと調教されてしまう! 監督はブローカー役で登場しているんだけど、本当はこの変態調教師をやりたかったに違いない。
そのころ主人公は、犬を探して張り紙をしてまわったり、家出をしたり、クラブで飲酒した挙句、捕まったりして、順調に非行化の道を辿っている。このクラブでかかっていたVolkova Sistersの「Trouble」はかなりかっこよかった。ひかえめなキックから始まるダークな曲が、荘厳さと荒廃が同居する東欧を感じさせる。ああハンガリー行きたい、クラブ行って身ぐるみ剥がされたい、そんな気分になってくる。
今年はほかにも『シーヴァス』に、『ベル&セバスチャン』と犬映画があったけど、本作には1匹の犬のかわいさじゃなくて、複数のまとまりとしての犬のよさが感じられる。クライマックスでは、大きさも形も違う犬たちが勢揃いする。そのシルエットの1匹1匹が「ああ、違うな」という、その差異がかわいいのだ。犬たちが保健所から脱走するときの、フェンスから折り重なって走り出すシーンには、蛇口をひねったらあらゆる種類の犬が流れ出してきたかのような「いいもの観た!」感があった。人の代わりの犬ではない、犬そのものから物語を捉えようとしているところに、本作の挑戦がある。
悲しみを超えた主人公の犬は、犬の中の犬、ジャンヌ・ダルクかナポレオンかみたいな状態になって帰ってくる。殺戮マシーンへと改造され、革命の挙手へと成長した彼の前で、かつての飼い主はただの少女でしかない。2人の間にそれでもまだ絆が生じる余地があるなら、それは愛しかない! 犬への愛と引き換えにフォースのアホサイドに足を突っ込んだ監督は、その愛をどうスクリーンに映し出すのか。私はその最後のシーンに『パフューム ある人殺しの物語』(トム・ティクヴァ監督)を連想したんだけど、みなさんはどうでしょう。
文=ターHELL穴トミヤ
目覚めた野性、崩れだす均衡。
この争いを止めるのは、少女と愛と勇気。
『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』
全国順次公開中
関連リンク
『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』公式サイト
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