web sniper's book review 一生かかっても見られない世界へ。 『漫画をめくる冒険 ―読み方から見え方まで― 上巻・視点 (1) (ピアノ・ファイア・パブリッシング)』 著者=泉 信行/イズミ ノウユキ 文=さやわか
「漫画論は、面白い」 明快な基礎理論から始まり、作品論や作家論をこえて、メディアやコミュニケーションの問題へと視点は広がっていく。上巻で登場を願う主な作家は、浦沢直樹・小林尽・津田雅美・曽田正人。広大な「目で見える世界」をめぐる旅がスタートする。 |
『漫画をめくる冒険』は、今年3月に出版された漫画評論の同人誌である。同人誌でありながら夏目房之介や宮本大人、伊藤剛など漫画批評家界隈で非常に高い評価を受け、著者の泉信行は『ユリイカ』6月号の特集「マンガ批評の新展開」においても大きくフィーチャーされた。現在では同人誌イベントにて販売されているほか、「タコシェ」などの同人誌を販売する書店や「Lilmag」などを通じてネット通販で入手できる。
では、本書がここまで評価される理由とは何なのか。それはこの本が漫画評論の更新を図ろうとする意識で書かれているからだ。本書において泉は、漫画のコマを「誰でもない者の視点」と「誰かの視点」に分け、特に後者、すなわち漫画内のキャラクターごとに絵柄が変化するという事実に注目する。
どういうことだろうか。これまでの漫画表現論は、基本的に「読者の目から見て絵がどうであるか」という視点で読まれてきた。それは泉が本書を執筆するにあたって参考にしたであろう『マンガの読み方』(別冊宝島EX、宝島社、一九九五)においてもそうである。漫画のコマはカメラによって映し出された映像であり、従って「視点」を持つのは読者のみである。ところが泉の論は、各コマは登場人物である誰かによって見られた、いわば心象風景的な絵である可能性を示唆する。同じ人物の絵であっても、見るキャラクターの視点によって優しさが強調されたり、また別のキャラクターの視点によればきつそうな印象が強調される。漫画は、その視点の切り替わりを、人物像のタッチを変えて描くことで表現できているのである。
これはまさに漫画というメディアであることを条件として成り立つ表現方法だ。例えば映画やテレビドラマなどの三次元的なメディアでは、同じ人物を違うタッチで撮影することなどはせいぜい演出上の変化を付ける以外には不可能だが、漫画という二次元のメディアであればそれが可能なのである。そう考えてみると、ひょっとすれば泉の主張は漫画だけでなく、同じく二次元のメディアであるアニメに対してなら適用可能なものであるかもしれない。いずれにせよ、漫画のような視覚的なメディアにおいて一人のキャラクターが別の絵として描かれてしまうと、通常ならば「絵柄が安定していない」というような言い方がなされるのが常である。しかし泉の発見した「キャラクターによる視点」という見方を使えば、「このコマは誰の視点によるものか?」という注意深い態度をもって多角的に漫画を読み解くことができる。
本書に通底しているのはこのような注意深さ、謙虚さである。先に挙げた『マンガの読み方』では漫画表現が記号であることに注目し、例えば「水滴のマークは水・汗・涙・唾液・鼻水などを意味し、時に感情表現などのサインとして使用される」などの指摘を行なっているが、泉の議論は、これに比べてさらにマンガが記号であるということに対して注意深いものだと言える。漫画が記号であったとしても、その記号には意味が最初から内在しているわけではないという点まで正しく立ち返った上で本作りを行なっている。冒頭からずっと、「この表現はこのように解釈し得るかもしれない」「このような絵は、こういう感覚を読者に与えるかもしれない」という、入念すぎるほどに謙虚な態度が採られており、非常に好感が持てる。
これはしかし、単に漫画表現論に新しい見方を提供したというだけにとどまらない優れた指摘だ。この「キャラクターの視点」という考え方は、つまり「他者の視点」というものの存在に対する喚起でもあるのである。自分が見ている世界が、他人にとっては全く別のものかもしれないという可能性。世界が一つの姿を持ち、それに対応する一つの意味によって成り立つのではなく、各人にとっての見え方と解釈によって成り立っているのだという認識によって、広い視野を獲得しようとする姿勢がここにはある。すなわち泉の表現論は、他者についての想像力を伸ばすことを読者に啓発するものなのである。泉の言葉では次のようにある。「世界の姿は相対的にしか捉えられないという事実に突き当たった時、『私的な視点』を描き分けることで表現された漫画は、私達に世界の〈見方〉を実践的に教えてくれます」(本書145ページ)。世界にはさまざまな「見え方」があり、自分の見たものが絶対なわけではない――泉が読者に求めるのはこの謙虚さであり、そこから作品を読み始めれば、我々は豊かに漫画を、そして世界を楽しむことができるはずだ。
文=さやわか
『漫画をめくる冒険―読み方から見え方まで― 上巻・視点 (1)
(ピアノ・ファイア・パブリッシング)』
著者=泉 信行/イズミ ノウユキ
価格:1,680円
初版年月日:2008年3月14日
発行:ピアノ・ファイア・パブリッシング
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さやわか ライター/編集。『ユリイカ』(青土社)、『Quick Japan』(太田出版)等に寄稿。10月発売の『パンドラ Vol.2』(講談社BOX)に「東浩紀のゼロアカ道場」のレポート記事を掲載予定。
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