WEB SNIPER's book review
ママ38歳、愛よりも、性。
熟女AVモデルにして希代のM女。マニア系AVレーベルのプロデューサーやエロ系ライターという顔も持つ57歳。私は実際にお会いしたことはないが、エロ業界で生きる女性なら絶対に存在を知っているような人だ(詳しい作品や活動については、私よりもWEBスナイパー読者のほうが詳しいと思う)。
本作はそんな彼女が2人の娘を持ちながら38歳で離婚し、性を追いかけるべくアダルト業界(しかもかなりコアなSM)に入っていった、これまでの人生を描いた自伝である。
本当のことを言うと、私は最初この本を読むのが少し怖かった。
目次にずらりと並ぶ「存在しない子宮の痙攣」「脳への侵入」「乳首を、食べて。」なんていうショッキングなタイトルにヤラれたのではない。38歳という女としては盛りを過ぎた年齢でそれまでの生活を捨て"性"を追い求めた彼女のことが眩しかったのだ。
めくるめくセックスやものすごい快楽に憧れない女はいない。でも、多くの人は自分の欲望と日々の幸せや責任を秤にかけて諦める。
たとえ性生活に不満がなくても、周囲の目やリスクを気にして自分が本当にやりたいことに目をつむって生きているとしたら同じことだ。
もちろん今45歳の私もその一人であり、だからこそ自分に正直な彼女の姿を見たら落ち込みそうな気がして怖かったのである。
物語の冒頭では、まず彼女の家族と幼少期が語られる。
両親は早くに離婚し、賢く社交的な祖母と仕事ができて美しい母の3人家族。男はこりごりだと思っている大人たちの中で「女系家族団」のメンバーとして育てられた彼女は、その反動もあってか「なんとしても普通のまっとうな家庭を築いてやる」と決心する。そして20代前半で結婚し2人の娘を儲けるのだが、夫とはセックスレスに陥ってしまう。まあ、女の人生にはありがちなことだろう。
寂しさからその頃流行っていたテレクラにハマり何人かの男性と会ううちに、彼女は「結婚では得られなかったものを与えてくれる人に出会えるかもしれない」と、真剣かつ過剰な期待を抱くようになる。やがてその思いは、38歳でがんを患い子宮を全摘出したことで爆発する。
「こんなところで寝てられない。喪った子宮をこのまま葬るのか取り戻すのか、自分の手で明らかにしなくては――」
2人の娘を連れて夫と離婚し、派遣社員として銀行で働き始めるつばき。
ツーショットダイヤルのSM回線でアレクセイという年下の恋人と出会ったり、濡木痴夢男の緊縛美研究会で縄の快感に目覚めたり......。感情的じゃなく読みやすい文章なのだが、このへんのくだりは新しい人生に踏み出した女のワクワクキラキラが滲み出ていて、グッとひきこまれてしまう。
やがて、ライターやモデルとしての仕事が増えてきた彼女は派遣を辞め、完全にエロ業界の人になっていく。
しかし、当たり前だがセックスというのはワクワクキラキラばかりじゃない。
会えない寂しさから他の男とのプレイをブログに書き愛する人に見せつける。そんな自分の「ゲスさ」に落ち込んで運命の人だと思ったアレクセイと別れてしまう。
その後も彼女の前には、人間的に尊敬できて「もしかしたら結婚までいったかもしれない」鳶の親分、殴打プレイマニアでAVメーカーを始めるきっかけとなったフリーAV監督、フィストファックの快楽を教えてくれた年下の坊やなど何人かのパートナーが登場する。興味深いのは、そこまで深い快楽を共有した相手なのにもかかわらず、いつも終わりはあっけないことだ。
心から欲しているのに甘えられない。心を開くことができない。たった一度プレイがうまくいかなかったり、相手の健やかさに尻込みしたり、そんなことでフッと手を離してしまう。
終盤、年をとって性のパワーが落ちたのか、冒険をやり尽くしたのか、憑きものが落ちたのか。突然の離婚から十数年を経て、つばきは唐突に性のオデッセイに終止符を打つ。
最後のパートナーは20歳年下の学芸員だ。
このエピソードはビビりな私にとってはちょっと痛すぎるので割愛するが(いわゆる「イタい」ではなく本当に肉体的に痛い!)、男と暮らす部屋に次女も住まうようになり、彼女は結果的に家族をとる。ほのぼのムードの大団円とは言い難いけれど、彼女が性を追い求めたことによってバラけていた家族がもう一度一つの部屋に集うシーンは、まるで冒険を終えて港に帰ってきたかのようでホッとする。
「ゲスママ」というショッキングなタイトルは、彼女自身が自分の行動を「ゲス」だと感じてつけたのか、それとも出版社がパンチを利かせるためにつけたものなのだろうか。どちらかはわからないが、私は本書に一度もゲスな印象は受けなかったし、最初に心配したように落ち込んだりすることもなかった。
それは、神田つばきという女性が、自分の「業」を誰のせいにもしていないからだと思う。
ゲスな自分を省みることはあっても、「女だから生きづらい」とか「こんな家庭環境だから」という被害者意識は微塵も感じられない。だからこんな魂をさらけ出すようなヘビーな話でも冒険譚として読めるし、さわやかだ。
そういえば、彼女が本書を書いたのは、すでに成人していた長女に「昔ママとお風呂に入ったときにあった傷は、お金のためにやったの? それともママが好きでやったことなの?」と質問されたのが大きな理由だったそうだ。
「ごめんね、ママが好きでしたことなの」と答えると、照れ臭そうに「そうなんだ、よかった」と答えたという。
男性不在の女系家族団で育ち、父親の愛情に憧れていた神田つばき。それを追い求めるあまり性の冒険に旅だった彼女は、生きづらい自分を変えることはできたけれど、愛をうまく紡げない母系家族の因縁を断ち切ることには失敗してしまった。
私も身に覚えがあるが、母子の問題というのは本当に複雑だ。母親も一人の人間であり一人の女だと納得することでしかきっと解決しない。
母親ではなく、一人の女として全てをさらけだした神田つばき。
その勇気と真摯な思いは、けして「ゲス」ではないと思う。
文=遠藤遊佐
『ゲスママ』(コアマガジン)
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