WEB SNIPER's book review
「黒バス」脅迫犯の獄中手記!
私の周りにも、希死念慮を抱えた若者はたくさんいる。自殺未遂を繰り返して集中治療室に何度も入っている子や、20代のうちに死ぬつもりで刹那的に生きている子、一見幸せそうなのに漠然と死にたがっている子など。彼らはたいてい真面目で頭もよく優しい。「人に迷惑をかけずに死にたい」というのが定番の台詞だ。話を聞くと、彼らはそもそも「人生を楽しむ」という概念がないことに気づく。何をしても楽しくなく、幸せが何かわからない。生きていることに意味を見出せないから、将来に期待することもない。そして総じて自己肯定感が低い。自己肯定感とは、「自分は大切な存在である」と思える意識のことで、幼少期の親の接し方で決まるといわれている。例えば親が"自分の都合のいい子供"を求めて、少しでも理想から外れると怒るようであれば、子どもは自分が「愛され受け入れられた」という気持ちを持つことはできない。親の愛が欲しくて、勉強を頑張ったり、大人しいいい子になって努力するものの、根本に「親の期待に応えなければ必要とされない」という自覚があるため、常に大人の顔色を窺ってビクビク行動するようになる。「他人が要求する自分」を必死で演じるため、自分が何をしたいか、ということを二の次、三の次にする。気付けば、そうした生き方しかできない大人に育っている。そんな彼らにとって生きることはただ苦しいだけなのだ。だから、死んで楽になりたいと願うようになる。
若者が自殺に向かう心象風景として、これがもっとも多いのではないかと、私は思っている。
さて本書は、2012年から13年にかけて世間を騒がせた「『黒子のバスケ』脅迫事件」の犯人である渡邊博史が、獄中で書き下ろした手記である。前半は事件の状況を細かく描写し、後半では自分の生い立ちや心理を描いている。本書の凄いところは、虐待を受けて育った人間の目には、世界がどう見えているのか、ということが手に取るようにわかるところだ。自殺に向かう現代の若者の心理が、見事に描かれているように見えるのだ。
事件を起こしたとき、渡邊博史は、事件を通して何をしたかったのか、その意味をわかっていなかったという。そして自分が虐待を受けて育ったことにも、気付いていなかった。獄中で差し入れられた、虐待に関する本を読んで、初めて自分の認知の歪みと、事件を起こした理由に気付くというわけである。
渡邊博史は、両親から虐待を受けて育った。といっても、殴る蹴るなどの分かりやすい虐待ではない。傍目にはわかりづらい情緒的虐待である。一見すると、子供のためを考えたかのような「厳しい躾」。しかしそこには、徹底して愛がなかった。
例えば母親は、博史の容姿をことあるごとに貶め、クラスメイトと並んだ写真を見ては「一番顔が汚い」と罵り、父親が死去したときは、「お父さんじゃなくて、お前が死ねばよかったのよっ!」(P205)と叫ぶような人だった。父親は、塾の月例テストで上位者一覧に入らなかった博史を殴って首を絞めたりもしている。とても親が子にする仕打ちとは思えないエピソードは、他にもわんさとある。
渡邊博史の家では、マンガ、アニメ、ゲームは全面禁止だったが、そもそも父親のマンガ嫌いが常軌を逸している。
小4の時でしたが、父親に「タイムマシーンがあったら何がしたい?」と聞いたんです。父親は「赤ん坊の手塚治虫を殺しに行きたい。そうすればこんなにマンガが世の中に氾濫しなかった」と答えました。
平然と語るエピソードには背筋がゾッとする。また父親は、勤めている会社の部下が、昼休みにマンガを読んでいたというだけでボーナス査定を最低にし、
(P185)
「仕事の出来不出来以前に、マンガを読むなんて人間として論外だ」
と言うような価値観を持っていた。
(P185)
唯一、観ることを許された「将棋」のテレビ番組も、博史が将棋の面白さに気付きはじめると、突如として禁止された。追い立てられるように強いられていた勉強も、塾の講師から渡された中学受験用の算数の問題集が楽しくなってくると、母親に破り捨てられ、禁止された。そして小学生用の簡単な計算ドリルを渡され、繰り返し解くことを強制される。恐ろしいことに、子供が楽しそうにすることを許さない親というのは現実に存在するのだ。
両親によって自尊心をごっそり削ぎ取られた渡邊博史は、当然のようにオドオドして自信のない人間に育った。こうした子供は、親のように自分を苛めてくる人間を引き寄せやすい。博史は、学校でも苛めのターゲットにされ、教師からもことごとく嫌われた。
「自分は努力しても必ず酷い目に遭う」という世界観を持つようになりました。
そんな渡邊博史にとって、喉から手が出るほど欲しかった「少年ジャンプ」を筆頭とするマンガは、
(P184)
「みんなは手に入れられるけど、『ヒロフミ』である自分だけは、好きになることすら許されないもの」の象徴
実際に渡邊博史が始めてジャンプを購入したのは27歳のときで、それも心理的抵抗が強すぎて、本屋で4時間くらい逡巡してやっと買えたという。
(P190)
両親からの異常な躾により、渡邊博史は、喜怒哀楽の「喜」をすることに、凄まじい抵抗を感じる大人に育った。やりたいことがあっても、やる前に諦める。自分はみんなの迷惑になる存在だから距離を置く。当然、仕事も人間関係もうまくいかず、全てにおいて挫折する。
それでも渡邊博史は、「マンガ家を目指して挫折した負け組」という設定を作ることで、底辺で細々生きて行くことに納得していた。自分はただ能力がないだけ、と思い込むことで生きていたのだ。
ところが、「黒子のバスケ」によって、パンドラの箱が開いてしまったのである。
自分は「黒子のバスケ」の作者氏の成功を見て、「マンガ家を目指して挫折した負け組」という設定が嘘であり、自分は「負け組」ですらないという事実を突きつけられたような気がしたのです。
渡邊博史は、努力をすることも許されない状況で育った。漫画家を目指したり、バスケ部に入って人生を謳歌するなど、考えられなかった。両親によって手足をもぎ取られたかのように、絶対に何もできない人間に作り上げられていたのだ。そのことに気付いてしまった。
(P266)
この世の大多数を占める「夢を持って努力ができた普通の人たち」が羨ましかったのです。自分は「夢を持って努力ができた普通の人たち」の代表として「黒子のバスケ」の作者氏を標的にしたのです。
渡邊博史の通っていた高校は、元首相やノーベル受賞者を輩出している地元一番の進学校であったという。また本書を読んでいても、とても素人と思えない文章力の高さには驚く。彼はきっと、自分が健全な自己肯定感を持ってさえいれば、それなりに社会で成果を上げられたことを、心のどこかで自覚しているのだろう。だからこそ、"努力次第で夢は叶う"と考えられる健全な自尊心を持った社会的成功者に、人生の不平等さを自覚させられて、怒りを覚えたのだろう。
(P266)
人生に絶望し、自殺場所を考えていた渡邊博史は、「黒子のバスケ」の作者に怒りを転移させ、最後のエネルギーを振り絞って復讐に向かった。
自分は人生の行き詰まりがいよいよ明確化した年齢になって、自分に対して理不尽な罰を科した「何か」に復讐を遂げて、その後に自分の人生を終わらせたいと無意識に考えていたいのです。
その「何か」とは、自分を乱用してきた両親であり、いじめ尽くしたクラスメイトや教育者であり、さらに自尊心を剥ぎ取られて手も足もでない弱者の人生を「自己責任とする社会」への怒りであるように受け取れる。
(P161)
「黒子のバスケ」が自分の人生の駄目さを自分に突きつけて来る存在でしたので、それに自分が満足出来るダメージを与えることで自分を罰する「何か」に一矢報いたかのような気分になりたかったのです。
自分を罰しているのは、紛うことなき両親である。そして渡邊博史に、歪んだ教育を施した母親もまた虐待されて育った子供であった。母親は両親からネグレクトされて育ち、食事も与えられないような環境で育っている。また母の父は、詐欺事件を起こして逮捕された経歴があり、それを憎んでいた母親は、息子を犯罪者にしたくない一心で育てていたようである。つまり詐欺師にならないように、欲望の一切を捨てさせる教育を息子に施したという理屈なのだ。
(P162)
母親が子供を育てた理由は祖父母への復讐でした。(中略)母親の祖父母への復讐とは「子供を祖父のような犯罪者にしなかった祖母とは違う立派な母親になる」ことでした。(中略)
母親の生き方を「ネグレクトされた娘による両親への復讐物語」として見れば理解はできます。
それになぞらえるならば、「『黒子のバスケ』脅迫事件」は、まさに
母親の生き方を「ネグレクトされた娘による両親への復讐物語」として見れば理解はできます。
(P307)
「虐待された息子による両親への復讐物語」である。つまり連鎖なのだ。
渡邊博史が逮捕されたことで、おそらく一番困ったのは彼の母親だ。犯罪者にさせたくない一心で育てた息子が、犯罪者になってしまったのだから。渡邊博史は逮捕後、報道陣のフラッシュを浴びながら、笑みをこぼした。それはおそらく両親に復讐できて嬉しかったのではないかと思う。
逮捕されたことで、母親が自営していた店を畳まざるを得なくなったことに対し、博史はこう言った。
むしろ素晴らしい復讐を果たせたと思い満足しています。
本書を読んでわかるのは、親の教育がいかに子供の人生を左右するかということである。そして一人の犯罪者が出来上がる過程には、それよりもっと極悪な人間が、当人を追い込んでいる可能性があるということだ。
(P170)
ニュースを表面的に見ていただけでは、真実は何もわからない。特に「『黒子のバスケ』脅迫事件」は、売れっ子漫画家に執着した事件であるだけに、誤解を招きやすい。事実はまったく想像の斜め上を行く動機なのだ。
渡邊博史は、自分の行動の意味を誤解したままに事件を起こした。しかしそこにはちゃんと意味があった。人が無意識にとる行動には必ず意味があるのだ。人間の無意識の凄さにも気付かされる一冊である。
文=東京ゆい
『生ける屍の結末――「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』(創出版)
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