Special issue for Golden Week in 2010.
2010ゴールデンウィーク特別企画/WEBスナイパー総力特集!
世界を接続する程度の能力
上海アリス幻樂団による「東方Project」としての作品は、2002年8月からリリースが開始されました。それが『東方紅魔郷』。ZUN氏の手によって制作されたものとして、通算で6作目の作品でした。弾幕系シューティングである東方作品群がユーザーから様々な形で愛されるきっかけとなったこの作品。それはZUN氏によって明確に意図された新しい世界の誕生でもあったのです。『東方Project」特集、本日はさやわか氏による東方作品についての論考をお届けします。
「東方Project」は同人サークル「上海アリス幻樂団」様の作品です。
もちろん、個々のユーザーがそのように東方を鑑賞することには何の問題もない。ただ、それは「物語」として東方が持つ可能性についての話であって、東方がゲームであるという事とはさほどの関係はないかもしれない。控えめに言っても、シューティングゲーム(STG)であることとは無縁なのだ。要するに、たとえば二次創作を広く認めているとか、キャラクターや世界設定が面白いというだけなら、これがノベルゲームであってもいいはずなのである。「音楽がよい」という意見にも、ほぼ同様のことが言える。しかしそれでも東方はSTGとして注目され、人気を博した。それはひとえに物語のせいであって、ゲームとして他にない魅力があったからではないとは、どうしても言い切れない。つまり、ゲームとしての東方を考えるとはこういうことである。東方はSTGとしてどのように革新的だったのだろうか。あるいはSTGとしてどのように魅力的であるのか。
もっとも、他のSTGと比較して、つまりゲームのシステム面で東方に注目すべき目新しさがあったのかというと、そうとは言い難い。敵弾が大量に放たれるSTG、つまり弾幕STGというアイデアはもちろん東方の専売特許ではないし、強力なボムショットで難局を切り抜けるのも、敵弾すれすれに移動する事でプレイヤーが有利になるボーナスが手に入るのも、複数のプレイヤーキャラクターを使い分けるのも、細かなルールの違いはあっても今日のSTGにおいてさほど珍しくない要素である。『東方夢時空』(1997年)あるいは『東方花映塚』(2005年)のような対戦型という、STGに慣れていないプレイヤーには奇異に見えるアイデアですらも、先行する諸作からインスパイアされている。先行作品からの影響という観点だと「敵の攻撃を撮影する」という『東方文花帖』(2005年)のシステムは特殊だが、しかしこれこそが東方の独自性そのものなのかというと疑問が残る。ZUNもこの作品を「第9.5弾」として、外伝的に位置づけている。
むしろZUNは、STGのシステム面で他のゲームと大きな差別化を図るつもりはないようだ。過去の作品からルールやフィーチャーのアイデアを得ることに躊躇はなく、今まで誰も見た事がないようなものを連発して新しもの好きのシューティングゲームのファンを唸らせようとは、さほど考えていない。しかし、それでもSTGとしての新しさを求めていないわけではないし、実際に東方Projectは革新的なSTGを作ったと言える。
どういうことだろうか。おそらく、ZUNが考えているのはもっと基礎的なことなのだ。それがゲーム全体の意味をひっくり返すと彼は信じている。一言で言えばZUNの発明したSTGにおいてもっとも革新的な要素とは、敵の攻撃パターン(弾幕)に名前が付いている事、つまり「スペルカードシステム」である。これについては他でもないZUN自身が2002年に掲示板で次のように語っていた。
スペルカードシステムは、3年ほど前から暖めてたのですが、そろそろ他に先越されそうな気がして、今回作っとくことにしました。つまり、紅魔郷自体、このシステムを入れたいが為に創ったものです。攻撃に名前を付けたとこで、ボスキャラの個性が出るということと、文面での弾幕の伝え方が変わるということ、(今までは、3面ボスの第二段階、とか言っていた)が目当てです。
つまり、スペルカードとはバトルマンガやアニメにおける必殺技のようなものとして想起されている。東方について、少女が弾を撒き散らすというゲームに違和感を覚える人もいるかもしれないが、そこにあるのが一対一で向き合ったキャラクターたちが必殺技を繰り出しながら殺し合いを演じるという物語なのだと思えば理解できるだろうか。同様の発言は後の4Gamerでのロングインタビューでも以下のように繰り返されている(このインタビューはZUNの考えのみならず昨今のSTGの状況についても考えさせられる優れた記事なので、読者諸氏にはぜひ読んでもらいたい)。
どうやって敵を魅力的に見せるかというところから,どうやったら魅力的になるかを考えていって,「弾幕に名前を付けて必殺技みたいにすれば,キャラクターが立つな」と。そういう流れで新しいシステムができてきたんです。
弾幕一つ一つに名前を付けるというのは,東方でしかやってないし,東方が初めてなのは間違いないと思います。
ただ、これらの発言は、まずはSTGの物語性を高めるためにスペルカードシステムを導入したというように読めるため、やはり東方の魅力がキャラクターや物語に集約されていくことの証左と思われるかもしれない。それは同時に、まずは敵弾を躱して相手を撃墜するSTGというゲームシステムが存在して、そこに物語が流し込まれているという考え方を強化してしまう。しかしZUNがやったことは、そうではないようだ。むしろ東方の物語設定とゲームシステムは分かちがたくあり、そのピークこそが「敵の弾幕に名前が付いている」という形で顕れているようにすら見える。説明すればこういうことである。スペルカードシステムはゲーム上だと「ボスの攻撃開始時に弾幕の名前が表示される」ということでしかないように見える。しかしそれは世界設定の上では、必殺技を使って互いに殺し合うという幻想郷で流行している「遊び」でキャラクターがバトルを繰り広げるという意味になっている。ところが「遊び」であるという設定は、実際のゲーム上において弾幕が華美なものであったり、ギリギリで避けられるように作られていたり、敵の弾幕を全て攻略するとプレイヤーの勝利となるということの理由になっている。ここには攻撃される理由だけでなく、回避可能である理由まで存在する。さらに、華美な弾幕、避けにくい弾幕、簡単な弾幕など、それぞれの攻撃パターンは敵キャラクターの設定上の性格から導かれるようにデザインされているし、逆に、たとえばチルノの「アイシクルフォール(Easy)」の例が有名であるようにスペルカードからキャラクターの性格を推し量る事もできる。つまり、ゲームシステムと物語設定が相互に影響しながら成り立っているように見えるのだ。そのマジックを成り立たせたのがスペルカードシステムという発明だった。『東方紅魔郷』(2002年)はシリーズ初のWindows版だったというだけでなく、スペルカードシステムが導入されたという点でエポックメーキングであり、ゲームとしての東方の革新性はここで決定づけられたし、二次創作的な想像力が開花することになった発端もここに求められると言っていいだろう。
弾幕一つ一つに名前を付けるというのは,東方でしかやってないし,東方が初めてなのは間違いないと思います。
『The Grimoire of Marisa』(一迅社、2009年)は、東方の主人公の一人である霧雨魔理沙が、過去の作品に登場した弾幕に解説を加えるという本だ。ここでZUNは魔理沙の口を借りながらスペルカードシステムとSTGについての持論を多く述べている。
スペルカードといったルールを弾幕に設けるというと、自由度が下がったように見えるが実はそうではない。何も制限されていないという事は、何でも出来る反面、すぐに最適解が求まってしまい、余計な事はしなくなるのだ。
自由ならば『最も使いやすく、最も効果的な攻撃』だけを行えばよい。
弾幕に置き換えていえば、出来るだけ隙間の無いように撃つか、出来るだけ速く、大きな弾を撃てば良いだけなのだ。それでは弾幕とは呼べなくなってしまうだろう。
つまり、ルールの無い世界では弾幕はナンセンスである。
自由ならば『最も使いやすく、最も効果的な攻撃』だけを行えばよい。
弾幕に置き換えていえば、出来るだけ隙間の無いように撃つか、出来るだけ速く、大きな弾を撃てば良いだけなのだ。それでは弾幕とは呼べなくなってしまうだろう。
つまり、ルールの無い世界では弾幕はナンセンスである。
『The Grimoire of Marisa』
著=ZUN 発行元=一迅社 発行日=2009年8月5日
上記はつまり「プレイヤーを殺したいなら避けられない弾幕を出せばいいが、それだとゲームにならない」という話である。従来のSTGでは、敵はしばしば非人間的で、圧倒的な火力を持ち、プレイヤーを殲滅しようとしていることになっていた。それは『怒首領蜂』(CAVE、1997年)シリーズが最後に述べる「死ぬがよい」という言葉で象徴できるだろう。ところが実際のSTG(とりわけ弾幕ブーム以降の)では、弾の速度は遅く、当たり判定は小さく、何らかの手段によって必ず避けられるか、プレイヤーが避けたいと思えるように作られている。それがゲームであるということだ。スペルカードシステムは「幻想郷で流行っている殺し合いという遊び」という設定だが、それはついに我々プレイヤーが「避け損なったら死ぬゲーム」を行うことにまで意味を与えている。スペルカードを軸に据えると、幻想郷とゲームシステム、そしてプレイヤーレベルの3つの世界を接続する魔法が突然に起動し始めるのだ。先に述べたように、ZUNが考えたのは基礎的なことだ。すなわち究極的には、プレイヤーはなぜゲームをしているのか? スペルカードシステムはその解答としてある。それは単に撃ち合いに物語上で納得できる理由を与えたという以上のことであり、STGという強固で様式的なジャンルでそんなことを考えたのは、たしかに東方が初めてなのである。
文=さやわか
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さやわか ライター/編集。『ユリイカ』(青土社)等に寄稿。『Quick Japan』(太田出版)にて「'95」を連載中。また講談社BOXの企画「西島大介のひらめき☆マンガ 教室」にて講師を務めている。
「Hang Reviewers High」
http://someru.blog74.fc2.com/
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