A tribute to Yukimura haruki
追悼 雪村春樹
雪村春樹氏の死を悼み、親交の深かった方に思い出を語って頂きます。1人目は2007年から雪村氏に弟子入りを果たし、雪村流の最初の指導員となった長田スティーブ氏です。故・長田英吉氏よりSMショーの流儀を先に学んでいたスティーブ氏が振り返る雪村流の縄、そして雪村春樹とは――。長田スティーブ(以下「長」) もちろん。でも特に計画があったわけではなく、毎日の縛りの中で自然と変化していきました。
編 あなたは10年前に「自分はまだ緊縛師ではない。あと3年はかかる」と仰っていました。
長 そうですか。でもそれは間違いでしたね。3年経ってみたら、まだあと3年かかると気づき、次の3年後も同じ繰り返しです。ただ、今は「緊縛師」という呼称は相応しくなく、自らを「縄師」もしくは「縛師」であると考えています。
編 10年前に訪ねたのは明智伝鬼さんが亡くなったときでした。そして今回は雪村春樹さんの話を伺いたいのです。
長 私は長田(英吉)先生、次に明智先生のもとでキャリアを積みましたが、雪村先生にも2007年に弟子入りして勉強を重ねました。そして自分のモデルに対するアプローチも変わりました。大きな影響を受けたと言えます。
編 この10年間で、緊縛が海外に急速に広まったと感じます。もちろんあなたの力による影響は測り知れないのですが、あなたの知り得る限りで、海外における雪村さんの影響を教えてください。
長 私は海外でワークショップを何度も開催していますが、先生に弟子入りしてから、アメリカやヨーロッパで先生のワークショップを開催しました。先生のスタイルはモデルを主体としたコミュニケーションを重視するソフトな手法で、モデルが望むプレイで喜ばせ、綺麗で色っぽく見せるため、大変な人気を博しました。
編 雪村さんがご自分の緊縛について話されるとき、テクニックだけでなくマインドが大事だとよく仰っていました。そうした点は海外においてどのように捉えられているのでしょうか。
長 日本はテクニック重視ですが、海外でも同じです。それに対して、先生は考え方、マインドに目を向けさせました。また先生は写真も撮られますが、視覚的に綺麗な写真、表情やポーズなど見た目の美しさをメインに捉えました。テクニックとしても大変にレベルが高いと思います。
編 あなたは10年以上前から雪村先生と面識があったように記憶しています。
長 実は2001年から弟子入りを志願していましたが、2007年にようやく弟子にしてもらいました。真面目に頑張りましたよ。雪村流の最初の指導員として免許も伝授して頂きました。
編 あなたが考える雪村さんの緊縛の魅力を教えてください。
長 サディズムが薄く、エゴがないところでしょう。モデルの女性にとってどのような縛りがベストなのか、どうすれば女性が喜ぶのかをきちんと考える思いやりがありますね。
編 あなたはそれを受け継ぐことができたと感じていますか。
長 大変に強い影響を受けました。もちろん明智流のハードな責め縄も出来ます。しかし元々自分にはソフトなスタイルが性に合っているようです。ゴールはモデルとの結びつきです。モデルがどういうタイプで、どうすれば喜ぶのかを常に考えます。自己中心的になってはいけません。もちろん仕事の面もありますが、哲学でもあります。あくまでモデルがメイン。まずモデルが喜ぶことによって、自分も満たされる。それでようやくハッピー・トゥギャザー(笑)。これがおそらく雪村先生の考え方です。綺麗な女性が来ても、身体を触ってやろうとかファックしてやろうとは考えません。もちろんしたいことに変わりはないけどね(笑)。
編 雪村先生との個人的な思い出を聞かせてください。
長 まず思い浮かぶのが、とても綺麗で趣味のいい女性をモデルにしていたことですね。和室と和服の似合うような......大和撫子タイプと言いましょうか。たとえば杉浦則夫先生だとちょっと違います。先生の撮影の仕事もしましたが、杉浦先生の場合は責め縄でモデルが苦痛に表情を歪めるのに対し、雪村先生はいつもモデルを喜ばせることに徹していました。私はそこに惚れ込みました。だから弟子にしてほしいと先生を追いかけ続けたんです。ようやく願いが叶った時は本当に嬉しくて、猛勉強しましたよ。雪村先生との出会いによって私の人生は変わった。先生の哲学はこれまで考えたこともないものでした。とても力強くて優しい。優しい男ほど寝技をするし、心はより強いものです。先生は世界一強い男だと言えます。なぜかって? 女性に対して本当にやさしいからです。私の考えではね。たとえばモデルがスパンキングを嫌うか喜ぶかは、実際の反応を見ればわかります。しかし先生はモデルを叩くこと自体しなかった。どんな形でも女性を傷つけるのが嫌だったのかもしれません。
編 具体的なエピソードがあれば教えてください。
長 先生は「モデルがスパンキングを好むなら縄をもう1本追加してやりなさい、もっと好きならもっと追加してやりなさい」と言っていました。そうすることにより、自らの縛りも上達すると。一本縄ですぐにファックに持ち込むようだと進歩がありません。先生は「ファックがいいなら縄はなし。スパンキングの代わりに縄をやる」といった具合です。本当にハイレベルでした。誰しもが、母親や学校の先生によって刷り込まれた様々なフィルターを通すことでしか、物事を見つめることは出来ません。自ら設けたフィルターで視界が曇っています。雪村先生は無我の境地から一点の曇りなく見つめることが出来るため、目の前の人間の本質をすぐに理解していました。何度もそういう場面に遭遇しましたが、それが先生の特別さでしたね。虚心坦懐に、寛大な心、それに曇りのない精神が成せる業だったと言えるでしょう。
編 そうした教えを受けたあなたは、これからどんなマスターになるおつもりですか。
長 まず技術的には、自らが到達したレベルに満足はしています。引き続き研鑽に励みますが、十分であると感じています。技術以外の話ですが、雪村先生には敵がいなかった。他人の縄に対して批判することもなかった。私も年をとったので、これからは先生のように穏やかな心で、教え子に目くじらを立てることなく、平和なファミリーを築いていきたいですね。雪村先生のような真の先生は、いちいち喧嘩をしない。明智先生もそうでした。緊縛とは別の部分で、先生のような人格者になることを目指します。「これもダメ、あれもダメ」と言わないような大人になりたいです(笑)。
編 あなたの年齢は聞いてもいいですか。
長 ノーコメント(笑)。ただ業界でも最高齢でしょう。引退も近いと思っています。ただ精神的には年相応にもっと成長したいですね。心が子供と同じなもので......。今はただこれまで自分が築いたものに満足しています。足りないものもないし、変化を求めて挑戦することもありません。
編 あなたの道場、STUDIO SIXは15周年ですね。
長 2000年に長田先生とともにスタートしました。もうすぐ16年ですね。正しくこの場所で先生はショーをやっていらっしゃいました。
編 では多くの生徒がいらっしゃるのでは。
長 コペンハーゲン道場では60~80人が長田流を学んでいます。その他の道場はもう少し小規模ですが、同じく長田流を学んでおり、私自身面識のない生徒も多数います。実は日本では生徒はいません。日本人は勉強が嫌いだと思います。それに授業料が高いですしね。日本人はお金も時間もない。ガッツとやる気もない。私のメインの生徒は外国人で、今日もつい先ほどまで7時間ほど、ヨーロッパからの生徒へ授業を行っていたところです。2週間泊まりがけで来る生徒に毎日3~5時間の授業を2コマなので、ほとんど指導に明け暮れています。彼らは日本へ高い費用を払ってやってくるのですから、外国人の生徒は真剣そのものです。マインドについても多くの指導を行なっています。
編 今後も外国人に対しての指導は続けていくんですね。
長 そう思います。10年前は外国からの生徒は疎らでしたが、今年は8月まで予約が埋まっています。例えば今日レッスンを受けた彼は飛び込みで来ましたが、2週間待って今日初めての授業となりました。希望者は増え続ける一方ですが、1日の指導時間も限られるのでこれ以上引き受けることは考えられないですね。ただこの傾向はしばらく続くのではないでしょうか。1週間に8日働いている気分です(笑)。
編 最後に読者に対してメッセージをいただけますか。
長 心を穏やかに。形やテクニックにこだわり過ぎず。大事なのは一緒に楽しむこと。テクニックではなく、心を大事に。
編 長田スティーブと雪村春樹の哲学のミックスですね。
長 雪村先生の哲学を下地にした私の哲学です。わたしの緊縛の50%以上は、雪村先生を受け継いでいますから。
文=編集部
翻訳=荒井圭介
翻訳=荒井圭介
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