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1980年9月号「読者プレイ報告 デカ尻調教記」
たっぷりとした滑らかなヒップとはかくも豊穣で味わい深いものだったのか……。「デカ尻」の魅力に憑かれた男が語る、その美味しい責め方・食し方とは。『S&Mスナイパー』1980年9月号に掲載された読者告白手記を再編集の上で紹介。アブノーマルな感性を駆使して試される生々しい羞恥調教の実体験報告を全4回に分けて掲載しています。もっともこの煙草責めは私のプレイの、ほんの序ノ口である。夏休みは長く、私の冴子のデカ尻責めは毎日、いろいろと趣向を変えておこなうのだ。私はそれがたのしみで軽井沢まで冴子をつれてきた。
こういうのもおこがましいが、私はサディストといっても暴力団でもなく、やくざ者でもない。昔もいまもそうである。四十三歳、私はこれでも東京に会社を持つ貿易商である。
主に東南アジアと魚介類の貿易をやっているが、社員も十数人いてまあまあの中小企業である。私は若いときのガリ勉が崇ってか、身体の発育がわるく、160センチ、50キロしかない。また顔も美男とは縁遠く、女性にモテなかった。私がたとえ中小企業でも社長になれたのはそんな劣等感が奮起をさせてくれたせいだ。
小男で醜男の私がさらに困っているのは、この二、三年来、突然、インポになってしまったことだ。それまでもセックスが弱く、だから私は独身でいたのだが、まったく出来なくなってしまった。エレクトはするがインサートできないのだ。そのエレクトもまともな手段では駄目なのである。たったひとつ、私を興奮させるのは乳房でも、性器でもなく、女性の臀部を責めることだった。それもまともな大きさではいけない。デカ尻でないと私は燃えず、エレクトしない。私はそのために千葉栄町や、西川口のトルコへでかけてはデカ尻の女たちを責め、辛うじて欲望を満足させていたのだ。
しかしトルコ嬢というのは諸君もご存知のように肥満体の女は少ない。まるで美人の条件は痩せてることだというように、浅丘ルリ子型が多いのだ。したがって尻もどうしても小さく、私の欲情を満たす相手はいないのだった。
やむなく私はトルコ遊びをやめ、素人を相手にすることにした。そして素人女の中にびっくりするほどのデカ尻がいることを発見した。つけ加えておくが、いくら私がデカ尻女を好むといっても、ぶよぶよとした肉質の女は好まない。
肥満体の女はたいていそうで私の好みではない。私の理想とするのは相当な美人であって、痩せていても臀部だけ大きい女なのだ。臀肉はしこしことキメこまかく、また臀型もまろやかな果実型がよく、出っ尻や、垂れ尻では興奮しないのだ。我侭なようだが、相当、相手に対する条件はきびしい。
ではこんな女は現実にいないかというと結構いるのだ。服をつけているときは小さいが、脱ぐと意外なほどデカ尻の女はかなりいる。着痩せするタイプの女は、みんなそうだった。着ているときはナヨナヨと上品でも裸になるとルノワールの裸婦のようになるデカ尻女はいっぱいいる。
どうしてわかるかというと、たとえば夏の湘南海岸や、大洗海岸をあるいてみればいい。水着姿の豊満な女たちは、着ているときはそれほどの肉体に見えない。たとえば最近、ハダカになった松坂慶子や佐久間良子など、よく見るとかなりデカ尻なのだ。
ただ女優は体をよく動かすので、肉質はぶよぶよではなく、しこしこと硬肉である。よく締まっていて出っ尻でないから、そう大きくは見えぬが相当なサイズである。ウエスト60センチ、ヒップ90センチという女性タレントはいっぱいいる。
こういうデカ尻の女たちを見ると、私はいつも責めてやるか、痛めつけてやるかというあらぬ空想に胸がときめくのであった。私の経営している会社でも、毎年、新しい女事務員を採用するが、私は面接試験では頭よりも何よりも臀型をポイントとした。デカ尻の女を採用し、そばにおく。そんな女たちを並べておいて、鑑賞しながら仕事をするのはまことに楽しい限りだった。
そしてときどき打診する。鑑賞するだけで私は物足らなくなり、ぜひ責めてみたくなるからだ。
「私とつきあわないか」
ずばりと私はアプローチする。その点、私は独身なので有利である。小男で美男子でなくても、現代のOLは割り切ってモノを考える。“社長夫人”もまた、彼女たちにとってひとつの打算かも知れない。
「まじめにつきあって貰えるんですか」
三人に二人は私の言葉に対して、そう返事をした。
「そういわれると困るが、私としてはまじめなつもりだ」
私は言って食事に誘い、飲ましてから告げたものだ。
「きみのお尻を責めたいんだ」
こういう時は余計な表現はいけない。単刀直入がいいのである。
「えっ……」
誰もが顔色を変える。まっ赤になる女も、まっ青になる女もいる。けらけらと笑いとばす娘も、悲鳴をあげて拒否する娘もいる。しかし三人に一人は「社長さんが言うのなら……」となんとなく了解した。
そこで私は喜び勇み、ホテルへつれていってプレイの序奏にはいる。もちろん、セックスはできない。セックスが目的でなく、彼女たちのまろやかなデカ尻をアノ手コノ手で責めまくるのが目的なのだった。
私の責めはしつこく、ねちねちと、くどかった。たいていの女は悲鳴をあげた。そして何回かのプレイの果て、会社を辞めていくのだった。
私に対してのあらぬ風評がおきないのは、私が相当、慎重に行動したことと、彼女らに相応のギャラを支払ったからだった。
「社長さんって変なひと……」
彼女たちはギャラを受けとり、私から去っていった。私はもっと長くつづけたがったのだが、むこうが私を避けるのでやむを得なかったのだ。だが世の中はひろい。私の臀部責めに興奮するマゾ女性も何人かいた。
中には浣腸を待つ女もいた。
断わっておくが私は浣腸は苦手なのだ。なぜかというとよくわからないが、性に合わない。臀丘そのものを責める私にとって、アヌスはその象徴としての存在なのであった。
「浣腸はやらないんだ」
私はそう言って断わったこともある。
こういう性癖をよく知ってくれる女ほどありがたいものはない。たとえばいま、私のプレイの相手になっている鳴沢冴子はそのひとりであった。
彼女は昨年春に人社した。K短大卒で英語が達者、スチュワーデスを志望したこともある美人である。いまの女優でいえばちょっとバタ臭い感じの、梶芽衣子に似ている。もっとも彼女より十歳以上若く、今年二十歳、いまが女の匂う盛りと言えようか。
私は冴子のデカ尻に惚れ込んだ。採用すると私は彼女を「海外資料室担当」とした。この仕事は海外貿易の情報資料をセレクトする閑職で、時間の余裕が多い。私は彼女のデカ尻をたっぷり責める作戦を、こうして昨年からたてた。
この春につづき、夏も私は冴子を軽井沢へ“研修”の名目で呼び寄せた。因果を含めてあり、彼女はためらいながらも私の別荘で起居することになる。その豊満なデカ尻を私に責められてもらうために……。
(続く)
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