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「お絵描き文化」の特異な発達を遂げた国、日本。「人は何のために絵を描くのか」、「人はなぜ描くことが好きに/嫌いになるのか」、「絵を描くとはどういうことなのか」――。さまざまな形で「絵を描く人々」と関わってきた著者が改めて見つめ直す、私たちと「お絵描き」の原点。
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絵を描く人々 第5回 人体デッサンのハードル

絵描きになりたい人も、彫刻家になりたい人も、漫画家やイラストレーターになりたい人も、ファッションデザイナーになりたい人も、人体の構造や形態を勉強せねばならない人のすべてが必ずチャレンジするのが、人体デッサンや人体クロッキー。その中でも、ヌードは中心的モチーフだ。
ヌードと聞いて、女性モデルを思い浮かべる人は多いだろう。周囲を見渡しても、古今東西の名画から雑誌のグラビアまで、数としては女性のほうがずっと多い。画家=見る者=男、モデル=見られる者=女、というジェンダーは根強いようだ。
実際は、男性も女性も、痩せた人から太った人まで、若い人から年輩の人まで、いろんな人間の体を観察し、描けるようになるのが理想。ヌードで人体の構造をちゃんと理解して描ければ、着衣姿も自信をもって描ける。
美術系大学でも入試に男性モデルのデッサンを課すところがあるし、欧米のヌードクロッキー指導書には、男女を問わずさまざまなタイプの人体が登場する。ただ現場ではまだ全体的に、女性モデルが多い。

ヌードは非日常的なものだ。性的なイメージにも直結している。それを実際に観察して描くのは、絵を勉強し始めた若者にとって、当初はかなり緊張の強いられる体験となる。
高校が美術科だったので、私は16歳で女性のヌードデッサンやクロッキーを初体験した。高三の夏休みに受けた予備校の夏期講習でも、来たのは女性のヌードモデル。すでに学校で描き慣れていたので平気だったが、別の高校の普通科から来ている男子たちは、明らかに緊張していた。
生まれて初めて女の裸を間近にじっくり見るとなれば、そりゃ落ち着かないだろうね。ドキドキソワソワするだろうね。でも、こっちは見慣れてるもんね。というか、あたし女だし。彼らの緊張ぶりを冷静に眺めるくらいの余裕が、その時の私にはあった。
棒立ちの男子の横にさっさと陣取って描いた。下向いてないで、早く描けば? これ、勉強だよ。ゲイジュツだよ。ヘンなこと考えてんじゃないわよ。

その講習会にある時、彫刻科の講師の知り合いだという男性のモデルさんが来た。今でもよく覚えているが、髪が長くてキリストみたいな顔をした痩せた人だった。パフォーマンスというかコンテンポラリーダンスというか、そういうものをやってる人ということであった。
タオルを腰に巻いて更衣室から出て来た彼は、みんなの前でタオルをはらりと取った。私は心の中で「きゃっ」と言った。初めて見るすっぱだかの男性。もちろん絵画や彫刻では見たことがある。父親の裸も(風呂場でのニアミスで)見たことがある。でも目の前にいる男の人は、それとは全然別種。
その別種の次元のものが、もぞもぞくにゃくにゃと動き出した。たぶんダンスだ。裸の男を注視するだけでも精一杯なのに、その予測不能な怪しい動きを捉えてクロッキーせねばならない。
それよりさ‥‥‥、あそこがぶらぶらしちゃってるんですけどそれも描かなきゃいけないの? 私はクロッキー帳を手に固まってしまった。

その頃の彫刻科受験者に女子はまだ少なく、その授業では12人くらいの中でたまたま女子は私だけだった。他の男子は真面目な顔でモデルを取り囲み、真面目な顔で描いている。ビビっていると思われたくないので、私も眉間に皺を寄せてガシガシと描いた。最後は男子の輪の前まで出て、かぶりつきで描いた。終わった時はヘトヘトだった。
講評の時、講師(男性)に「大野さん、初めて男性のヌード描いてみてどうだった?新鮮だった?」と訊かれた。何と答えたらいいのだろう。新鮮と言えば新鮮だったが、初めて見る生きもののようでもあり。
うーん‥‥‥と考えて「なんか、不思議な感じがした」と答えると、どっと笑いが起きた。あの時の何とも言えない微かな敗北感は、いまだに忘れられない。

そのずっと後、美術系予備校で講師として働くようになり、ヌード・クロッキーやデッサンの授業を数えきれないほどやった。
最初壁に背中をひっつけんばかりにして遠目で描いていた男子や女子も、5回目くらいにはモデルの1メートルくらいにまで接近して、しげしげと観察していたりする。中には、積極的にポーズを提案する生徒も出てくる。
受験のため、そしてゲイジュツのためという大義名分があるというのは、すごいことである。

デザイン専門学校でもヌードクロッキーの授業があったが、ある時一人の女子が、「私、休みます」と言ってきた。理由を尋ねると、どうやら裸の女性を見ることではなく、それをみんなで描くという状況に、強い抵抗があるらしい。
すっぱだかの無防備な女を密室に閉じ込め、服を着た男女が取り囲んで無遠慮に観察するのだ。それも裸など見慣れた人ばかりのヌードグラビアの撮影現場などではなく、生まれて初めて直に目にするような若者ばかりが集まっている場。異常な事態と言えないこともない。
女子にしてみれば、モデル台に立っている裸の女と自分は、同性である。にも拘わらず、立場が全然違う。しかし一つ間違ったら、まるで自分がすっぱだかで男子に注視されているような。視姦されているような。そこに、デリケートな心は敏感に反応するのだ。
高校の時から美術系だったせいで、そういうことに鈍感だった自分を、私は恥じた。

初心者のヌードクロッキーやデッサンにおいて時々見られる現象として、他のところは描くのに、股間をちゃんと描かないということがある。私にも昔、経験がある。
だがそこを曖昧にしていると、臍から股までが変に短かく見えたり、脚の付き方がおかしくなったりする。授業でも、「股間を描け」「股を描かなきゃ脚が描けないよ」「恥骨重要」とうるさく言って、加筆して、ようやく描くようになる。
なかなかモデルさんの正面に来ない学生もたまにいる。やっと正面に来ても、股間はおろか乳首も描こうとしない。「乳首、描け」「乳首重要」。やっと描く。
気持ちはわかるのだ。だってちょっと恥ずかしいもんね。その感受性は大切にしたい。内心「うわー」とか「生身直視するのむずい」とか思っていても、勉強だと肚を括って乗り越えるのだ。

もう一つ、デザイン専門学校での話だが、女子は最初から比較的冷静に観察して描いている一方、男子にはそれができない人が時々いた。ちっともモデルを見てないので、形が狂いまくっている。
見ていいとわかっていても、見られないのだ。じっと観察している自分の姿を、モデルさんや先生や他の生徒に見られるのは、どことなく恥ずかしい。
シーンとした中で交錯する様々な視線。様々な邪念。邪念を振り払おうと眉間に皺寄せて見ていたら、向こう側の女子の視線を感じたりして。
ヌードを描きたくないと言った女子と、モデルをじっと見られない男子は、同じ"異常"な状況に対するネガポジの存在なのだった。

ベテランのヌードモデルさんに、こんな話を聞いたことがある。あるアニメ専門学校で、クロッキーの授業が始まってしばらくしたら、気分が悪いと言って退室する学生が幾人か出たという。初めてヌードモデルを描くという緊張感で気分が悪くなったのか? 後で教官に訊いてみると、どうもそれだけではなかったらしい。
アニメーションコースに来るような学生は、だいたい女の子の絵を厭というほど描いている。そこで頭の中に、かわいくて理想的な女の子の身体イメージというものが、すでに確立されている。
しかし、現実の女性はアニメ絵とは違う。ずっとずっとナマナマしくリアルそのものだ。どんなきれいなヌードでも、アニメの女の子のようには脚が長くないし、じっと見ていればさまざまな「ノイズ」が目に入ってくる。
二次元では余計なものとしてあらかじめ省かれたり、簡略化されたりしている細部。体を捻った時にできる皺とか脂肪の盛り上がりとか毛とか、その他いろいろ。

つまり、アニメ絵を見慣れた目には、現実の女の裸が「過剰なもの」に見えてしまうのだ。中には最初にチラッと一瞥くれただけで、後はひたすら下を向いて描いている学生もいたそうだ。見ると、目の前のモデルとは別人の完全なアニメ絵を描いている。
モデルさんにとってはちょっと失礼な話だが、学生のほうは初めて見る現実の女の身体の情報の多さとリアルさに対応しきれず、気分が悪くなってしまうということだ。
私達は、ノイズがあらかじめ消去されたクリーンな二次元表現を見慣れている。グラビアのヌードだってちょっとした陰や皺は修正されていることがあるだろうし、化粧品のコマーシャルの女優の顔のアップなど、毛穴が不自然なほど消されている。
そういうものに慣れて、知らないうちにそれを「自然」と認識していれば、混沌とした現実を目の前にした時、うろたえざるを得ない。

人体の描画に際しては、まず現実を観察し、現実のノイズに慣れ、そこから表現に必要なものだけ選んで作画していくというのが、古典的学習方法だった。しかし心理的なハードルが高いとなると、わざわざ実物を見なくても写真や絵を見て描く練習をしてもいいのではないか?という意見も出てくるかもしれない。人体デッサン指南本はたくさんあるし、ネットには人の描き方を事細かに解説する「ヒトカク」というサイトもある。
関節が自在に曲がる木製のデッサン人形を見て、人体の勉強をすることもできる。恥ずかしいという気持ちなど抱かず、心ゆくまで存分に観察できるのだから、このほうがトレーニングとしては合理的だという考え方もあるだろう。それで上達する人もいるだろう。
それでも個人的には、現実のナマナマしさに打ちのめされて、鉛筆をもつ手が止まってしまうような体験を何度かしておくほうがいいのではないかと思う。そういう体験は直接技能の習熟には結びつかなくても、その人の中で、「見ること」と「描くこと」をより複雑でスリリングで豊かなものにするはずだから。


どこの家にもあるアルミの薬缶。工業規格製品の整った形態と質感を、整然としたハッチングで表現するのがコツなので、左手にとっては厭な課題です。しかし毎回デッサンしていて思いましたが、形の取り方や描写方法は知っているので、左手で描いても初心者の絵のようにはなりません。最低限のポイントは押さえられる。ただキレイな線が引けない、あまり細かく描けないってだけ。そうなのです。第1回で「描けない人の気持ちがよくわかりました」などと書きましたが、正味のところ実はわかっていなかったのです......。

絵・文=大野左紀子

【イベント情報】メディアひろば Vol.2 トーク:ダブルヒロインの「距離」

近年、従来のヒロイン物語に替わってよく見られる「ダブルヒロインの物語」。
私たちがダブルヒロインに惹きつけられるのはなぜでしょうか。女の友情が美しく描かれているから? 
二人のどちらかに必ず感情移入できるから? 恋愛成就で一件落着......にはもう飽きているから? 
まだまだ隠された理由がありそうです。映画やドラマに登場したダブルヒロイン物語の二つの系譜、その「距離」を通して、女性同士の関係性について考えます。

スピーカー:大野左紀子(文筆家)
日時:2016月9月17日(土) 19:00~21:00(受付18:30~ 途中休憩あり)
料金:1,500円(1ドリンク付)
場所:スノドカフェ七間町
    静岡市葵区七間町7-8

※ご予約・お問い合せ
スノドカフェ七間町
電話:054-260-6173(受付時間 11:00~21:00)
詳細:http://www.sndcafe.net/event/2016/09/mediahiroba2.html
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絵を描く人々
第1回 人は物心つく前に描き始める
第2回 「カッコいい」と「かわいい」、そしてエロいvs
第3回 絵が苦手になる子ども
第4回 美大受験狂想曲

『あなたたちはあちら、わたしはこちら』公式サイト

大野左紀子 1959年、名古屋市生まれ。1982年、東京藝術大学美術学部彫刻科卒業。2003年まで美術作家活動を行った後、文筆活動に入る。
著書は『アーティスト症候群』、『「女」が邪魔をする』、『アート・ヒステリー』など
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16.09.03更新 | WEBスナイパー  >  絵を描く人々
大野左紀子 |