『Billy』1983年7月号/白夜書房
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80年代前半のビザール/ボンデージ状況
永山:青山くんの話に戻すと、知り合ったのは白夜書房で仕事をするようになってから。『Billy』の仕事を編プロから受けて、白夜と仕事をするようになった。それから知り合ったんだけど、なんだろう、結構お互いの興味の範囲が似てたっていうか。
──『Billy』ってそれ以前のエロ本にあった日本的情緒を削ぎ落として、あっけらかんとした「変態」のパワーを誌面に出してた、とんでもない雑誌ですよね。スカトロ、SM、獣姦、死体、フリークスなどがページを埋め尽くしていました。それにしても、たとえば死体ネタって当時はどこで調べるんですか?
永山:僕がやったときは、よそから写真が回ってきたの。コレクターがいるんですよ。でも書き手がいないんで、「やんない?」って誘われて、書くよって。『Billy』でやってた仕事のうち、死体は自分が持ち出したネタじゃないですね。自分が持ってきたネタはボンデージ。50、60年代のビザール・アートは自分で探してきた。あとは書評や人生相談のページを担当。
──ビザール雑誌は個人で輸入するんですか?
永山:いや、洋書屋の隅っこにあったんですよ。いちばん手に入れやすかったのは、渋谷の大盛堂の地下にあった「アルバン(ARBAN)」(2004年7月28日閉店→オリエントルクス五反田店に統合)っていうマニアックな軍装と洋書の店。ナチの軍服とか洋エロ本とか変なモノがあって、店もどういう基準でやってるのかわからないけど、日本のエロマンガの逆輸入版とか。青山もこういう変なもん好きだったから、たまに会って雑談したり、企画一緒にやったりとか。そういう仲間でしたね。
──当時は青山さんはロリコンで有名だったんですか?
永山:彼はロリコンとクスリですね。ロリコン、クスリ、音楽。僕は『Billy』で死体、ボンデージ、あとバカなネタいろいろ。で、そのへんで「面白いヤツいるなー」って感じで。彼が『Hey!Buddy』やった後も、『サバト』や『フィリアック』とか、いつも「書かない?」「ネタ出ししない?」って声かけてくれた。『危ない1号』の4巻(青山正明全仕事)の中にも、僕の名前は出てないけど、一緒にネタ出ししたのが入ってますよ。「猫を四角い箱で育てると四角い猫ができるんじゃないか」とか、「イヤな奴の車に猫をガムテープでとめておけば、きっと楽しいことになるよ」とか、ネタ出ししながらそんなバカ話ばっかりしてたんですね。「究極のダイエットってなんだろう?」「やっぱ交通事故ダイエットだよね」「足一本何kgだろうね?」「一気に10kgは軽くなるよ」みたいな(笑)。
──青山さんの「鬼畜」のイメージからすると、『Billy』にもっと書いててもよさそうなんですけど、意外と書いてないんですよね。
永山:そうだね、『危ない1号』のイメージのせいでそう思っちゃうだろうけど、あれはたまたま、青山くんが『危ない1号』で鬼畜っぽいのをやったのが、世の中のタイミングとあった。『Billy』はちょっと早かった。死体も、ボンデージもそう。
──ボンデージもまだ変態扱いの時期ですよね? ファッションのイメージがまだない。
永山:マドンナとかが出て来てからだよね。一部では表のファッションに取り入れられていたのだけども、一気に広がったのはマドンナが衣装に使って出て来てからでしょう。それから、向こうのラバー関係を輸入して日本で売りはじめたよね。それまで真似してた日本のランジェリーもあったんだけど、かたちだけ真似したダサさがあったから。昔はまだ情報自体がなかったから。マニアは別として、詳しい人は何人もいなかったし。
──海外の文献を翻訳した情報があるだけでも、ありがたがられた時期というか。
永山:そういう意味では、僕も青山くんも、悪い言葉でいえば紹介屋。海外ではこんなのが流行ってるぜ、海外ではこういうクスリが流行ってるぜ、みたいな。あと彼は音楽だよね。青山くんと音楽の関わりって、そんなにまだ言及してる人っていないと思うけど、どうだろう? トランスとかノイズとか、あっちのほうだね。彼は秋田昌美さんのところでバイトしてたのかな、違ったっけ。
──ちょっと分かりません。ただ、青山さんは秋田さんがよく書いてた時期の『フールズ・メイト』に一ヶ月だけ在籍したらしいです。
永山:それは彼も常々言ってた。ひどい目にあったって(笑)。でも接点としてありだと思ってて、秋田昌美さんは緊美研(緊縛美研究会。不二秋夫、濡木痴夢男により1985年発足)のビデオに音楽をつけていたりするもんね。緊美研といえば、早乙女宏美(1984年にっかつデビュー。緊美研の作品に出演)は一度『Billy』で出てもらったことがある。「貧乏人にもできるボンデージ」とかいって、黒のゴミ袋をぴったりつけるとボンデージに見えるんですよ(笑)。大変でしたよ、息できなくなって。みんな結構むちゃくちゃやってましたから。
『Billy』1983年7月号
左/P63 「SM・ザ・ワールド」 右/P75 「大英帝国変態事情」
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新宿アンダーグラウンドの残影 〜モダンアートのある60年代〜
【プロローグ】 【1】 【2】 【3】 【4】 【5】 【6】 【7】 【8】 【本文註釈・参考文献】
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80年代前半のビザール/ボンデージ状況
永山:青山くんの話に戻すと、知り合ったのは白夜書房で仕事をするようになってから。『Billy』の仕事を編プロから受けて、白夜と仕事をするようになった。それから知り合ったんだけど、なんだろう、結構お互いの興味の範囲が似てたっていうか。
──『Billy』ってそれ以前のエロ本にあった日本的情緒を削ぎ落として、あっけらかんとした「変態」のパワーを誌面に出してた、とんでもない雑誌ですよね。スカトロ、SM、獣姦、死体、フリークスなどがページを埋め尽くしていました。それにしても、たとえば死体ネタって当時はどこで調べるんですか?
永山:僕がやったときは、よそから写真が回ってきたの。コレクターがいるんですよ。でも書き手がいないんで、「やんない?」って誘われて、書くよって。『Billy』でやってた仕事のうち、死体は自分が持ち出したネタじゃないですね。自分が持ってきたネタはボンデージ。50、60年代のビザール・アートは自分で探してきた。あとは書評や人生相談のページを担当。
──ビザール雑誌は個人で輸入するんですか?
永山:いや、洋書屋の隅っこにあったんですよ。いちばん手に入れやすかったのは、渋谷の大盛堂の地下にあった「アルバン(ARBAN)」(2004年7月28日閉店→オリエントルクス五反田店に統合)っていうマニアックな軍装と洋書の店。ナチの軍服とか洋エロ本とか変なモノがあって、店もどういう基準でやってるのかわからないけど、日本のエロマンガの逆輸入版とか。青山もこういう変なもん好きだったから、たまに会って雑談したり、企画一緒にやったりとか。そういう仲間でしたね。
──当時は青山さんはロリコンで有名だったんですか?
永山:彼はロリコンとクスリですね。ロリコン、クスリ、音楽。僕は『Billy』で死体、ボンデージ、あとバカなネタいろいろ。で、そのへんで「面白いヤツいるなー」って感じで。彼が『Hey!Buddy』やった後も、『サバト』や『フィリアック』とか、いつも「書かない?」「ネタ出ししない?」って声かけてくれた。『危ない1号』の4巻(青山正明全仕事)の中にも、僕の名前は出てないけど、一緒にネタ出ししたのが入ってますよ。「猫を四角い箱で育てると四角い猫ができるんじゃないか」とか、「イヤな奴の車に猫をガムテープでとめておけば、きっと楽しいことになるよ」とか、ネタ出ししながらそんなバカ話ばっかりしてたんですね。「究極のダイエットってなんだろう?」「やっぱ交通事故ダイエットだよね」「足一本何kgだろうね?」「一気に10kgは軽くなるよ」みたいな(笑)。
──青山さんの「鬼畜」のイメージからすると、『Billy』にもっと書いててもよさそうなんですけど、意外と書いてないんですよね。
永山:そうだね、『危ない1号』のイメージのせいでそう思っちゃうだろうけど、あれはたまたま、青山くんが『危ない1号』で鬼畜っぽいのをやったのが、世の中のタイミングとあった。『Billy』はちょっと早かった。死体も、ボンデージもそう。
──ボンデージもまだ変態扱いの時期ですよね? ファッションのイメージがまだない。
永山:マドンナとかが出て来てからだよね。一部では表のファッションに取り入れられていたのだけども、一気に広がったのはマドンナが衣装に使って出て来てからでしょう。それから、向こうのラバー関係を輸入して日本で売りはじめたよね。それまで真似してた日本のランジェリーもあったんだけど、かたちだけ真似したダサさがあったから。昔はまだ情報自体がなかったから。マニアは別として、詳しい人は何人もいなかったし。
──海外の文献を翻訳した情報があるだけでも、ありがたがられた時期というか。
永山:そういう意味では、僕も青山くんも、悪い言葉でいえば紹介屋。海外ではこんなのが流行ってるぜ、海外ではこういうクスリが流行ってるぜ、みたいな。あと彼は音楽だよね。青山くんと音楽の関わりって、そんなにまだ言及してる人っていないと思うけど、どうだろう? トランスとかノイズとか、あっちのほうだね。彼は秋田昌美さんのところでバイトしてたのかな、違ったっけ。
──ちょっと分かりません。ただ、青山さんは秋田さんがよく書いてた時期の『フールズ・メイト』に一ヶ月だけ在籍したらしいです。
永山:それは彼も常々言ってた。ひどい目にあったって(笑)。でも接点としてありだと思ってて、秋田昌美さんは緊美研(緊縛美研究会。不二秋夫、濡木痴夢男により1985年発足)のビデオに音楽をつけていたりするもんね。緊美研といえば、早乙女宏美(1984年にっかつデビュー。緊美研の作品に出演)は一度『Billy』で出てもらったことがある。「貧乏人にもできるボンデージ」とかいって、黒のゴミ袋をぴったりつけるとボンデージに見えるんですよ(笑)。大変でしたよ、息できなくなって。みんな結構むちゃくちゃやってましたから。
『Billy』1983年7月号
左/P63 「SM・ザ・ワールド」 右/P75 「大英帝国変態事情」
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ばるぼら ネットワーカー。周辺文化研究家&古雑誌収集家。著書に『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』『ウェブアニメーション大百科』など。なんともいえないミニコミを制作中。
「www.jarchive.org」 http://www.jarchive.org/ |
08.09.21更新 |
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