『Crash』1985年10月号/創刊号
10月1日発行/白夜書房
<< 前回の記事を読む
サブカル要素もオタク要素も両方持ってた
──『Hey!Buddy』と『Billy』(最後の9カ月の誌名は『Billyボーイ』)が廃刊になった後、新しく出た雑誌『Crash』(1985年10月創刊号/白夜書房)に、青山さんと永山さんは対談「変態雑誌 現在・過去・未来」で登場しています。これはどういう流れで企画されたんですか?
永山:『Hey!Buddy』と『Billy』のライターが話してるってことだと思いますよ。でも20年前のことだからね……。「妻に隠れてやるオナニー最高っすね!」とか言ってたのは覚えてるんだけど(笑)。わざわざダブルベッドの中で奥さんが寝てからやるとかさ、陰毛が落ちてるのを奥さんに発見されて追及されたとか、それを嬉しそうに言うんだ(笑)。くだらないことばっかり話してたね。青山はね、バカ話をする友達、っていう感じ。まあ仕事通じての友達なんで、企画とかでは会う。80年代のその頃で覚えてるのはね、とある一般誌で「マイナー雑誌座談会」っていうのをやったことがあるの。それは青山くんも出た。それはもうヤバイ話が多すぎて、いま出せないかもしれない。青山が嬉しそうに話すんだけど、編集者がドン引きしてて、できた雑誌を見たら「●くん」「○くん」になってて、僕らの名前は一切出てこない(笑)。
──それは気になりますね(笑)。青山さんとは世代が違うけど気があった、ということですかね。
永山:僕は世代的にいうと、全共闘の直後。 彼は世代的にいうとオタク新人類の世代なんですよね。わりとなんていうかな、へんなサブカル? 当時はそういう言い方はしてなかったけど、サブカル要素もオタク要素も両方持ってたんですよね。竹熊(健太郎。1960年生)さんなんかも近いと思うけど、彼もミニコミ誌『摩天楼』を作ってて、マンガ家の藤原カムイとかと自販機本やったりしてたよね。
『フィリアック』『サバト』の頃
──『Crash』の対談には、『Billy』を受け継ぐ変態雑誌が創刊する、という流れで青山さん編集の『フィリアック』の名前が出てくるんですが、てっきり『Billy』の路線を『フィリアック』が引き継ぐかと思いきや、そうでもなかったですね。永山さんは一度『フィリアック』について取り上げていますよね(『熱烈投稿』1997年7月号)。「当時としても装幀はダサイし、いかにも突貫作業」と書かれてました。
永山:『フィリアック』はね、あんま面白くないもん。面白くないし、自慢がさ、ケツの穴を表紙に載せたって、「それだけかよ」みたいなさ(笑)。
──(笑)たしかに中身は中途半端というか。『フィリアック』自体よりも、『Crash』対談に出てくる青山さんのエピソード「忍び込んだ高校の更衣室にあったテニスルックを着て、最後にテーブルにウンコをして帰った」という話の方がヤバすぎて笑えます。『フィリアック』は、於岩稲荷にモデルの女の子を連れて行ってヌード撮影&放尿という、バチあたりな企画だけすごいですけど。
永山:有名な話だよね。その後、青山くんが地下鉄の柱にぶつかって目の上を三針縫ったりして。「やっぱお岩さんの祟りかねえ」とか嬉しそうに言うんだよ(笑)。次は将門の首塚で撮影をやる予定だったらしいんだけど、ロケハンに出かけたらどうしても辿り着けなかったらしい。「将門め、結界張りやがったな」みたいな。こんなこと言っちゃ悪いんだけど、青山くんって言ってる事は面白いんだけど、出てくるものはいまいちだったりするんだよね(笑)。その点、『危ない1号』はすごくいい仕事だよね。『サバト』なんかも非常に作りはいいと思うんだけども。栗本慎一郎とか出てるしね。
──『サバト』には永山さんも「わくわくSMランド」を寄稿してますね。この雑誌、今からするとすごくマニアックな人選で作られてますが、当時はそんな印象はなかったですか?
永山:当時は単にマイナー。それにしては表紙に名前がみんな大きく載ってる(笑)。狭い世間だったから。知り合いの知り合いに会えば趣味があった。
──『フィリアック』のあとの続編『ビッチ』は覚えてませんか?
永山:見た記憶はあるんだけど、家に残ってるかな。『フィリアック』っぽい感じだったと思う。
──ちなみに永山さんはこの時期はもうエロマンガレビューは始めてらしたんですか?
永山 『漫画ホットミルク(1986年創刊、98年廃刊。白夜書房発行)』で本格的にレビューを始めたのは1984年くらいだったと思います。その前に『Billy』でも書評やってたんで、その流れで。その頃からマンガ評論家っぽい感じになったのかな。一カ月に100冊読んでたら、他のことはそんなに出来ないですよ。当時の他の仕事は『ビデオ・ザ・ワールド』で月20本エロビデオ見て、『ボディ・プレス』で自販機本や裏本のレビュー。
──永山さんはもうそれから20年以上エロマンガレビューを続けてらっしゃる形ですか。
永山:でもエロマンガはね、即物性・実用性が重要というかな。僕みたいにこねくりまわすレビューは今、それほど求められてないのかもしれない。もともとヌケるヌケないの実用性が重要なのだから、もとからこちらの読み方が異端なのかもしれないけど。そもそもエロマンガ誌に読み物ページって、今ほとんどないでしょう。ものによると読者ページもない。いまレビューやってるのは『お尻倶楽部』くらいです。
──青山さんはエロマンガは読んでたんでしょうか?
永山:大正屋(『Hey!Buddy』を辞めた後に青山が勤めていたマンガ系の出版社)でマンガ雑誌作ってるでしょ? だから読んでたみたいですよ。でも話した記憶はあんまりないかな。
左/ 『熱烈投稿』1997年7月号 7月1日発行/コアマガジン 右/同左 P156「極楽的図書館」
関連記事
新宿アンダーグラウンドの残影 〜モダンアートのある60年代〜
【プロローグ】 【1】 【2】 【3】 【4】 【5】 【6】 【7】 【8】 【本文註釈・参考文献】
10月1日発行/白夜書房
<< 前回の記事を読む
サブカル要素もオタク要素も両方持ってた
──『Hey!Buddy』と『Billy』(最後の9カ月の誌名は『Billyボーイ』)が廃刊になった後、新しく出た雑誌『Crash』(1985年10月創刊号/白夜書房)に、青山さんと永山さんは対談「変態雑誌 現在・過去・未来」で登場しています。これはどういう流れで企画されたんですか?
永山:『Hey!Buddy』と『Billy』のライターが話してるってことだと思いますよ。でも20年前のことだからね……。「妻に隠れてやるオナニー最高っすね!」とか言ってたのは覚えてるんだけど(笑)。わざわざダブルベッドの中で奥さんが寝てからやるとかさ、陰毛が落ちてるのを奥さんに発見されて追及されたとか、それを嬉しそうに言うんだ(笑)。くだらないことばっかり話してたね。青山はね、バカ話をする友達、っていう感じ。まあ仕事通じての友達なんで、企画とかでは会う。80年代のその頃で覚えてるのはね、とある一般誌で「マイナー雑誌座談会」っていうのをやったことがあるの。それは青山くんも出た。それはもうヤバイ話が多すぎて、いま出せないかもしれない。青山が嬉しそうに話すんだけど、編集者がドン引きしてて、できた雑誌を見たら「●くん」「○くん」になってて、僕らの名前は一切出てこない(笑)。
──それは気になりますね(笑)。青山さんとは世代が違うけど気があった、ということですかね。
永山:僕は世代的にいうと、全共闘の直後。 彼は世代的にいうとオタク新人類の世代なんですよね。わりとなんていうかな、へんなサブカル? 当時はそういう言い方はしてなかったけど、サブカル要素もオタク要素も両方持ってたんですよね。竹熊(健太郎。1960年生)さんなんかも近いと思うけど、彼もミニコミ誌『摩天楼』を作ってて、マンガ家の藤原カムイとかと自販機本やったりしてたよね。
『フィリアック』『サバト』の頃
──『Crash』の対談には、『Billy』を受け継ぐ変態雑誌が創刊する、という流れで青山さん編集の『フィリアック』の名前が出てくるんですが、てっきり『Billy』の路線を『フィリアック』が引き継ぐかと思いきや、そうでもなかったですね。永山さんは一度『フィリアック』について取り上げていますよね(『熱烈投稿』1997年7月号)。「当時としても装幀はダサイし、いかにも突貫作業」と書かれてました。
永山:『フィリアック』はね、あんま面白くないもん。面白くないし、自慢がさ、ケツの穴を表紙に載せたって、「それだけかよ」みたいなさ(笑)。
──(笑)たしかに中身は中途半端というか。『フィリアック』自体よりも、『Crash』対談に出てくる青山さんのエピソード「忍び込んだ高校の更衣室にあったテニスルックを着て、最後にテーブルにウンコをして帰った」という話の方がヤバすぎて笑えます。『フィリアック』は、於岩稲荷にモデルの女の子を連れて行ってヌード撮影&放尿という、バチあたりな企画だけすごいですけど。
永山:有名な話だよね。その後、青山くんが地下鉄の柱にぶつかって目の上を三針縫ったりして。「やっぱお岩さんの祟りかねえ」とか嬉しそうに言うんだよ(笑)。次は将門の首塚で撮影をやる予定だったらしいんだけど、ロケハンに出かけたらどうしても辿り着けなかったらしい。「将門め、結界張りやがったな」みたいな。こんなこと言っちゃ悪いんだけど、青山くんって言ってる事は面白いんだけど、出てくるものはいまいちだったりするんだよね(笑)。その点、『危ない1号』はすごくいい仕事だよね。『サバト』なんかも非常に作りはいいと思うんだけども。栗本慎一郎とか出てるしね。
──『サバト』には永山さんも「わくわくSMランド」を寄稿してますね。この雑誌、今からするとすごくマニアックな人選で作られてますが、当時はそんな印象はなかったですか?
永山:当時は単にマイナー。それにしては表紙に名前がみんな大きく載ってる(笑)。狭い世間だったから。知り合いの知り合いに会えば趣味があった。
──『フィリアック』のあとの続編『ビッチ』は覚えてませんか?
永山:見た記憶はあるんだけど、家に残ってるかな。『フィリアック』っぽい感じだったと思う。
──ちなみに永山さんはこの時期はもうエロマンガレビューは始めてらしたんですか?
永山 『漫画ホットミルク(1986年創刊、98年廃刊。白夜書房発行)』で本格的にレビューを始めたのは1984年くらいだったと思います。その前に『Billy』でも書評やってたんで、その流れで。その頃からマンガ評論家っぽい感じになったのかな。一カ月に100冊読んでたら、他のことはそんなに出来ないですよ。当時の他の仕事は『ビデオ・ザ・ワールド』で月20本エロビデオ見て、『ボディ・プレス』で自販機本や裏本のレビュー。
──永山さんはもうそれから20年以上エロマンガレビューを続けてらっしゃる形ですか。
永山:でもエロマンガはね、即物性・実用性が重要というかな。僕みたいにこねくりまわすレビューは今、それほど求められてないのかもしれない。もともとヌケるヌケないの実用性が重要なのだから、もとからこちらの読み方が異端なのかもしれないけど。そもそもエロマンガ誌に読み物ページって、今ほとんどないでしょう。ものによると読者ページもない。いまレビューやってるのは『お尻倶楽部』くらいです。
──青山さんはエロマンガは読んでたんでしょうか?
永山:大正屋(『Hey!Buddy』を辞めた後に青山が勤めていたマンガ系の出版社)でマンガ雑誌作ってるでしょ? だから読んでたみたいですよ。でも話した記憶はあんまりないかな。
左/ 『熱烈投稿』1997年7月号 7月1日発行/コアマガジン 右/同左 P156「極楽的図書館」
関連記事
新宿アンダーグラウンドの残影 〜モダンアートのある60年代〜
【プロローグ】 【1】 【2】 【3】 【4】 【5】 【6】 【7】 【8】 【本文註釈・参考文献】
ばるぼら ネットワーカー。周辺文化研究家&古雑誌収集家。著書に『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』『ウェブアニメーション大百科』など。なんともいえないミニコミを制作中。
「www.jarchive.org」 http://www.jarchive.org/ |
08.09.28更新 |
WEBスナイパー
>
天災編集者! 青山正明の世界