エロマンガ・スタディーズ―「快楽装置」としての漫画入門/著=永山薫
2006年11月発行/イーストプレス
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怠け者だからオウムにいかなかったと思う
──80年代後半に青山さんがホラー映画の本を書く予定もあったみたいなんですが、それ以外に本の予定はなかったんでしょうかね。
永山:彼はドラッグの本で注目されちゃったけど、音楽とか、そういう方向でいけばまた違ったんだろうね。音楽もノイズだけじゃなくて、プログレや民俗音楽、古楽系ですね。僕も古楽は聞くんでそういう話はしたんですよ。15、16世紀の音楽とフォルクローレが似てたりするんです。それは結局、大航海時代の影響もあって、ヨーロッパの古い音楽が、意外と南米に残ってたりとか。そういう「中世音楽って面白いよね」みたいな話はしてました。宗教音楽もある意味、飛ぶクスリなんで、キメながら聞いたらどうとかね。ミニマムな、反復して反復して、少しずつズラしていって螺旋形を描いていくような。キリスト教がヨーロッパで勢力をのばしたのは音楽の力も大きいと思いますよ。
──言葉がわからなくても音楽ならわかると。
永山:彼のやってきたこと、彼がやろうとしてたことは、日常的な意味や人間的なものから、ステージを一つ上にあげたかったのかなというのは感じますね。ただ怠け者だったから(笑)。怠け者じゃない人達はオウム真理教に行ったんだと思う。ちゃんと修業しようとした人はオウムに行っちゃったんだけど、超越的なとこに憧れていても、青山くんは怠け者だから、オウムにはいかなかったと思う。ショートカットだからね。
青山正明とインターネット
──永山さんは初期からウェブ上で自身のサイトを作っていましたが、青山さんがインターネットに興味をもったりはしていなかったですか?
永山:詳しいことは知らない。アイツも新しいもの好きだし、クーロン黒沢とつながりがあったと思うし、それなりに知ってるはずだし、興味は持ってたと思うけど。
──『SPA!』誌上での青山さんの発言で、「今では活字や映像メディアのみならず、パソコン・ネットにしろ、いくらでも情報を入手する手段って広がってるからね。(略)下手したら、僕が十年がかりでコツコツ蓄積したものを、今の人ならその気になれば半年くらいで超えられてもおかしくないんですよ」というのがあるんですが、実際はどれくらい使ってたのかなと気になっていて。
永山:僕もそうなんだけど、海外の情報、埋もれてる情報を紹介するっていうライターの仕事には、インターネットは諸刃の剣だよね。便利になった反面、もうこのネタ出ちゃったか、みたいになる。今はまだ、ネットにのらないネタっていうのはあるじゃないですか。本一冊まるごと、雑誌一冊まるごとはないですよね。海外の文献なら、実際の本や雑誌を輸入しないと本当のところはわからない。インターネットで何がデカイかって語学力ですよ。英語使えると世界が一気に広がるしね。僕はエロ関係の英文なら読めるんで、海外のエロの伝統とか趣味の世界はわかるんだけど。そういうのを見てると、これからライターやる人は語学力は絶対に必要ですよね。青山くんは語学はできたのかな。
──『Hey!Buddy』で書いてた時期のドラッグ話は、海外文献の翻訳っぽい印象を受けます。
永山:クスリ関係の海外の文献は読めたんだろうね。だからその辺は敵はいなかったんだと思う。
晩年の青山正明
──いちばん最後に会ったのはいつですか。
永山:それはさっき言ったデータハウスの本の企画。それが一緒にやった最後の仕事だった。その後は電話もしてないですね。だから、あとで吉永嘉明さんの本(『自殺されちゃった僕』)を読んで、あの本はすごく、ちゃんとわかってる人が書いてるなって思って。胸を一番うたれたのは、「最後の最後まで死にたくなかったんじゃないか」というのが書いてあって、僕は個人的には吉永さんとは接点がないんですけど、「その通りだよ」って思った。
──青山さんは自殺を望んでいたような人ではない?
永山:僕は医者じゃないからわからないけど、うつ病で自殺する人って最後の最後まで死にたくないんだろうなって。あんだけ死ぬことを怖がってたのもそうですし。
──死ぬのを怖がっていて、かつ色々な自殺のやり方は知っていたはずなのに、なぜ首吊りのような苦しい死に方をしたのかは、たしかに謎のままなんです。目の病気や借金などが自殺の理由とも言われますが、永山さんが最後に仕事をした時は、悩んでいたりうつ病っぽくはなかったんですか。
永山:元気でしたよ。目の病気もそんなでもなかったと思うし。いつも明るくて軽薄で、面白い男でしたよ。でもやっぱり、なんだろう、彼は本当は何をやりたかったのか、その辺がもう一つわからないところではあるんですよ。僕は例えば創作をしたいとずっと思ってる人間なんだけど(※永山氏は本名の福本義裕名義で小説も書いている)、彼は編集者がゴールだったのか。編集は生活のためだったのか、編集こそが彼の天職だったのか、それともライターとしてもっと自由な立場でものを書いていきたかったのか。そこは最期までわからなかった。
2007-2008 マンガ論争勃発/著=永山薫・昼間たかし
2007年12月発行/マイクロマガジン社
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2006年11月発行/イーストプレス
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怠け者だからオウムにいかなかったと思う
──80年代後半に青山さんがホラー映画の本を書く予定もあったみたいなんですが、それ以外に本の予定はなかったんでしょうかね。
永山:彼はドラッグの本で注目されちゃったけど、音楽とか、そういう方向でいけばまた違ったんだろうね。音楽もノイズだけじゃなくて、プログレや民俗音楽、古楽系ですね。僕も古楽は聞くんでそういう話はしたんですよ。15、16世紀の音楽とフォルクローレが似てたりするんです。それは結局、大航海時代の影響もあって、ヨーロッパの古い音楽が、意外と南米に残ってたりとか。そういう「中世音楽って面白いよね」みたいな話はしてました。宗教音楽もある意味、飛ぶクスリなんで、キメながら聞いたらどうとかね。ミニマムな、反復して反復して、少しずつズラしていって螺旋形を描いていくような。キリスト教がヨーロッパで勢力をのばしたのは音楽の力も大きいと思いますよ。
──言葉がわからなくても音楽ならわかると。
永山:彼のやってきたこと、彼がやろうとしてたことは、日常的な意味や人間的なものから、ステージを一つ上にあげたかったのかなというのは感じますね。ただ怠け者だったから(笑)。怠け者じゃない人達はオウム真理教に行ったんだと思う。ちゃんと修業しようとした人はオウムに行っちゃったんだけど、超越的なとこに憧れていても、青山くんは怠け者だから、オウムにはいかなかったと思う。ショートカットだからね。
青山正明とインターネット
──永山さんは初期からウェブ上で自身のサイトを作っていましたが、青山さんがインターネットに興味をもったりはしていなかったですか?
永山:詳しいことは知らない。アイツも新しいもの好きだし、クーロン黒沢とつながりがあったと思うし、それなりに知ってるはずだし、興味は持ってたと思うけど。
──『SPA!』誌上での青山さんの発言で、「今では活字や映像メディアのみならず、パソコン・ネットにしろ、いくらでも情報を入手する手段って広がってるからね。(略)下手したら、僕が十年がかりでコツコツ蓄積したものを、今の人ならその気になれば半年くらいで超えられてもおかしくないんですよ」というのがあるんですが、実際はどれくらい使ってたのかなと気になっていて。
永山:僕もそうなんだけど、海外の情報、埋もれてる情報を紹介するっていうライターの仕事には、インターネットは諸刃の剣だよね。便利になった反面、もうこのネタ出ちゃったか、みたいになる。今はまだ、ネットにのらないネタっていうのはあるじゃないですか。本一冊まるごと、雑誌一冊まるごとはないですよね。海外の文献なら、実際の本や雑誌を輸入しないと本当のところはわからない。インターネットで何がデカイかって語学力ですよ。英語使えると世界が一気に広がるしね。僕はエロ関係の英文なら読めるんで、海外のエロの伝統とか趣味の世界はわかるんだけど。そういうのを見てると、これからライターやる人は語学力は絶対に必要ですよね。青山くんは語学はできたのかな。
──『Hey!Buddy』で書いてた時期のドラッグ話は、海外文献の翻訳っぽい印象を受けます。
永山:クスリ関係の海外の文献は読めたんだろうね。だからその辺は敵はいなかったんだと思う。
晩年の青山正明
──いちばん最後に会ったのはいつですか。
永山:それはさっき言ったデータハウスの本の企画。それが一緒にやった最後の仕事だった。その後は電話もしてないですね。だから、あとで吉永嘉明さんの本(『自殺されちゃった僕』)を読んで、あの本はすごく、ちゃんとわかってる人が書いてるなって思って。胸を一番うたれたのは、「最後の最後まで死にたくなかったんじゃないか」というのが書いてあって、僕は個人的には吉永さんとは接点がないんですけど、「その通りだよ」って思った。
──青山さんは自殺を望んでいたような人ではない?
永山:僕は医者じゃないからわからないけど、うつ病で自殺する人って最後の最後まで死にたくないんだろうなって。あんだけ死ぬことを怖がってたのもそうですし。
──死ぬのを怖がっていて、かつ色々な自殺のやり方は知っていたはずなのに、なぜ首吊りのような苦しい死に方をしたのかは、たしかに謎のままなんです。目の病気や借金などが自殺の理由とも言われますが、永山さんが最後に仕事をした時は、悩んでいたりうつ病っぽくはなかったんですか。
永山:元気でしたよ。目の病気もそんなでもなかったと思うし。いつも明るくて軽薄で、面白い男でしたよ。でもやっぱり、なんだろう、彼は本当は何をやりたかったのか、その辺がもう一つわからないところではあるんですよ。僕は例えば創作をしたいとずっと思ってる人間なんだけど(※永山氏は本名の福本義裕名義で小説も書いている)、彼は編集者がゴールだったのか。編集は生活のためだったのか、編集こそが彼の天職だったのか、それともライターとしてもっと自由な立場でものを書いていきたかったのか。そこは最期までわからなかった。
文=ばるぼら
2007-2008 マンガ論争勃発/著=永山薫・昼間たかし
2007年12月発行/マイクロマガジン社
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ばるぼら ネットワーカー。周辺文化研究家&古雑誌収集家。著書に『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』『ウェブアニメーション大百科』など。なんともいえないミニコミを制作中。
「www.jarchive.org」 http://www.jarchive.org/ |
08.10.12更新 |
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