『美少女まんがベスト集成』
1982年11月10日発行/徳間書店
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ロリコンにおける青山正明(3)
『Hey!Buddy』がリニューアルして以降の、1982年後半のロリコン関連で話題になったのは、篠山紀信の「激写文庫」シリーズに触発されたと思しきロリータ写真の文庫本の刊行が続いたのと、清岡純子による『プチトマト』シリーズが始まったのと、『小さな花・パート2』(東京スタジオ)が発禁になったことなどである。また細かな時期は不明だがいくつかの少女愛好家のサークルが発足し写真集を発行しており、幼女愛好会の『Fairy Collection』、No Angle Photo Club(NAPC)の『NAPC』、タビの会の会報などがそれにあたる(余談だが、こうした少数派の性的嗜好は同好を得るとエスカレートしやすいため、近年刊行されているロリコンマンガ誌などはあえて読者投稿欄を設けていないという)。
さらにあまとりあ社の『レモンピープル』や、徳間書店の『美少女まんが大全集・アップルパイ』『美少女まんがベスト集成』などマンガ誌創刊が相次いでおり、明らかに一つの流行となっている。流行とはつまり余裕を生む場で、実験的試みや異分子の登場を受け入れる土壌となりやすい。1983年にリニューアルしたロリコンマンガ誌『漫画ブリッコ』が岡崎京子を輩出したのはよく知られるところだが、青山正明もまた時代の波にのり、ロリコンを武器の一つにライターとしての居場所を確保していくのである。
『Hey!Buddy』で青山正明は何を担当していたのかといえば、ドラッグや不謹慎ネタを取り上げたメイン連載「Flesh Paper」以外にも、堅実にロリータ関係のコラム、ビデオ・レビューなどを行なっている。無記名もあるようで断定はしづらいが、例えば記名原稿では、1983年7月号で「少女の乳房」と題した乳房の成長過程のレポート連載、8月号で「ロリータムックで追う実例発育段階別少女の乳房」として「私だから言えたロリ本ムック裏話」を書いており、その中に以下のような余談が語られている。
HB'82・7月号の巻頭グラビアをつとめていた青木秋子も、前中氏(引用者註:前中行至)の見つけて来たモデルである。ちょっと目はひどいが、鼻筋の通った、なかなかの美少女である。昨年夏、「あゆみ12歳・小さな誘惑」という本邦初のロリータ・ビデオが発売されたが、あそこに出演していたのが、この青木秋子であり、製作者はもちろん前中氏であった。そして、なんと、あのビデオでツトム役の青年を演じていた美少年が、何を隠そう、この私、青山正明であったという事実は誰も知らない。/あのビデオを購入して、美少年青山正明でセンズリをこいた若者もいられるのではなかろうか。ありがとう。ロリコン青年のNO1オナペット、青山正明です。
9月号では裏ビデオ・レビュー「13才と16才 日本人ロリータ本番ビデオ「処女の泉」「ザ・ガール」」を担当しているが、それによれば新宿の裏ビデオ屋で扱っていたものを編集長が入手してきたものだったようだ。前出のコラムによればムックや写真集など紙モノはおさえていたようだが、ビデオの、とくに非合法な側は、まだこの時期は手を伸ばしていなかったということかもしれない。
1983年末、青山はロリコン関係でもう一本ビデオに出演している。といっても男優ではなく司会進行役だが、『テレ美少女コレクション』(カラー30分、9800円、いちご通信社)という、テレビの少女シーンだけを集めて編集した著作権無視の作品で、11月号に販売のお知らせが、12月号にレビューが掲載されている。いわく「当ヘイ!バディ誌上で(のみ)有名な、青山正明氏と股見けい子女史がお作りになったビデオだそうです。お二人の司会が、頭痛いけど面白い。人間て、一度恥を忘れさえすれば何でもできるんですね」だそうで、ぜひ中を確認したい内容である。
『ヘイ!バディー』1983年8月号
白夜書房
『ヘイ!バディー』1983年12月号
白夜書房
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新宿アンダーグラウンドの残影 〜モダンアートのある60年代〜
【プロローグ】 【1】 【2】 【3】 【4】 【5】 【6】 【7】 【8】 【本文註釈・参考文献】
1982年11月10日発行/徳間書店
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ロリコンにおける青山正明(3)
『Hey!Buddy』がリニューアルして以降の、1982年後半のロリコン関連で話題になったのは、篠山紀信の「激写文庫」シリーズに触発されたと思しきロリータ写真の文庫本の刊行が続いたのと、清岡純子による『プチトマト』シリーズが始まったのと、『小さな花・パート2』(東京スタジオ)が発禁になったことなどである。また細かな時期は不明だがいくつかの少女愛好家のサークルが発足し写真集を発行しており、幼女愛好会の『Fairy Collection』、No Angle Photo Club(NAPC)の『NAPC』、タビの会の会報などがそれにあたる(余談だが、こうした少数派の性的嗜好は同好を得るとエスカレートしやすいため、近年刊行されているロリコンマンガ誌などはあえて読者投稿欄を設けていないという)。
さらにあまとりあ社の『レモンピープル』や、徳間書店の『美少女まんが大全集・アップルパイ』『美少女まんがベスト集成』などマンガ誌創刊が相次いでおり、明らかに一つの流行となっている。流行とはつまり余裕を生む場で、実験的試みや異分子の登場を受け入れる土壌となりやすい。1983年にリニューアルしたロリコンマンガ誌『漫画ブリッコ』が岡崎京子を輩出したのはよく知られるところだが、青山正明もまた時代の波にのり、ロリコンを武器の一つにライターとしての居場所を確保していくのである。
『Hey!Buddy』で青山正明は何を担当していたのかといえば、ドラッグや不謹慎ネタを取り上げたメイン連載「Flesh Paper」以外にも、堅実にロリータ関係のコラム、ビデオ・レビューなどを行なっている。無記名もあるようで断定はしづらいが、例えば記名原稿では、1983年7月号で「少女の乳房」と題した乳房の成長過程のレポート連載、8月号で「ロリータムックで追う実例発育段階別少女の乳房」として「私だから言えたロリ本ムック裏話」を書いており、その中に以下のような余談が語られている。
HB'82・7月号の巻頭グラビアをつとめていた青木秋子も、前中氏(引用者註:前中行至)の見つけて来たモデルである。ちょっと目はひどいが、鼻筋の通った、なかなかの美少女である。昨年夏、「あゆみ12歳・小さな誘惑」という本邦初のロリータ・ビデオが発売されたが、あそこに出演していたのが、この青木秋子であり、製作者はもちろん前中氏であった。そして、なんと、あのビデオでツトム役の青年を演じていた美少年が、何を隠そう、この私、青山正明であったという事実は誰も知らない。/あのビデオを購入して、美少年青山正明でセンズリをこいた若者もいられるのではなかろうか。ありがとう。ロリコン青年のNO1オナペット、青山正明です。
9月号では裏ビデオ・レビュー「13才と16才 日本人ロリータ本番ビデオ「処女の泉」「ザ・ガール」」を担当しているが、それによれば新宿の裏ビデオ屋で扱っていたものを編集長が入手してきたものだったようだ。前出のコラムによればムックや写真集など紙モノはおさえていたようだが、ビデオの、とくに非合法な側は、まだこの時期は手を伸ばしていなかったということかもしれない。
1983年末、青山はロリコン関係でもう一本ビデオに出演している。といっても男優ではなく司会進行役だが、『テレ美少女コレクション』(カラー30分、9800円、いちご通信社)という、テレビの少女シーンだけを集めて編集した著作権無視の作品で、11月号に販売のお知らせが、12月号にレビューが掲載されている。いわく「当ヘイ!バディ誌上で(のみ)有名な、青山正明氏と股見けい子女史がお作りになったビデオだそうです。お二人の司会が、頭痛いけど面白い。人間て、一度恥を忘れさえすれば何でもできるんですね」だそうで、ぜひ中を確認したい内容である。
(続く)
『ヘイ!バディー』1983年8月号
白夜書房
『ヘイ!バディー』1983年12月号
白夜書房
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ばるぼら ネットワーカー。周辺文化研究家&古雑誌収集家。著書に『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』『ウェブアニメーション大百科』など。なんともいえないミニコミを制作中。
「www.jarchive.org」 http://www.jarchive.org/ |
08.11.02更新 |
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天災編集者! 青山正明の世界