THE ABLIFE January 2011
「あぶらいふ」厳選連載! アブノーマルな性を生きるすべての人へ
縄を通して人を知り、快楽を与えることで喜びを得る緊縛人生。その遊行と思索の記録がゆるやかに伝える、人の性の奥深さと持つべき畏怖。男と女の様々な相を見続けてきた証人が、最期に語ろうとする「猥褻」の妙とは――
ある日、私はそのキミコと、私の家の中で遊んでいた。
はじめのうちはママゴト遊びのような遊びだったが、
そのうちに私は、キミコの体を柱の前にすわらせ、
紐で動けないように縛りつけてしまった。
はじめのうちはママゴト遊びのような遊びだったが、
そのうちに私は、キミコの体を柱の前にすわらせ、
紐で動けないように縛りつけてしまった。
私は、私の仕事部屋へ、だれもいれない。
大体、私のところへなんか、あまり人はやってこない。
たまに出版社の人がたずねてくることがある。そのときは駅前の喫茶店で会って話し合う。
数年前、私が出演するドキュメント映画の企画があって、私の仕事部屋をぜひ撮らせてくれとくどかれたのだが、このときも断わった。
かなりいい仕事をする高名な監督らしいのだが、無口で、自分の意思や感情を外に表わさない人だった。情熱に乏しい、得体の知れない人物のように思われたので、私の仕事部屋へは一歩も入れなかった。
その監督も、一緒にくっついているプロデューサーも、以前から私のファンで、どこかの撮影現場で私と会っているという話だったが、それもどこかあいまいで、本性の知れないところがある。
仕事部屋を撮影することは拒否したのだが、なりゆきで、その映画の出演は引き受けてしまった。
気がのらない仕事だったが、そこが私の生来卑しいところで、わずかばかりのギャラが欲しいばかりに、つい引き受けてしまった。
あとで後悔し、おのれの軽率さを深く恥じ、完成試写会のときも劇場公開のときにも行かなかった。
濡木痴夢男と名乗って姿を露出する仕事は、双方の呼吸が合わないとうまくいかない。べつにもったいぶってこんなことを言うのではなく、元来、そういう性質の仕事なのだ。
誇張して言えば、撮影するほうと撮影されるほうの魂と魂がうまくかみ合い、熱く弾け合わないと、内容の乏しい、つまらないものになる。
以上までが、じつは、今回の前説なのである。これから本題に入る。
きのう、私の仕事部屋へ、はじめて人を入れてしまった。一人は、某一流出版社の敏腕美人編集者、もう一人はこれも先鋭的な切り口の写真で知られる高名な某カメラマン。
仕事の内容は、手短にいえば、私へのインタビューである。美人編集者は七、八年前からの知り合い、カメラマンのほうは、以前から私のファンだという。
ずっと前から私のファンだと言ったところで単に濡木という名前を知ってるだけで、ファンでもマニアでもないという人に、これまで何度も会ってきている。そして、屈辱も味わってきている。
ファンだと言って近づいてきても、信用できない人には、私は徹底的に答えをはぐらかす。ときには非人間的、非人道的だと自分でもあきれるくらいに相手を嘲弄し、話をはぐらかしてしまう。
ところが、このカメラマンは信用できた。まず、私および私の仕事に対する敬意が感じられた。人なつこい柔和な表情で、ニコニコしながら無駄な言葉を発することなく、畏敬の念とともに、私にむかって最も核心的な鋭い質問をしてきた。
このとき私は、その質問が私にとってあまりにも核心的であり、鋭いものであったので、答えることができなかった。
カメラマンに対し、恥ずかしくて書けなかったことを、今回この快楽遺書の中で書こうと思っていたのだ。
ところが、いつもの悪いくせで、つい前置きが長くなってしまった。
だが、書かねばならぬ。私はもう先がない。恥ずかしいものは何もないはずである。きのうが満八十一歳の私の誕生日だったのだ。
だが「誕生日おめでとう」などと言ってくれる人間はだれもいない。そういう交際相手はいないので、本当に、だれもいない。
いや、一人いた。私が所属している話芸の会の女性から、可愛らしいピンク色のチェック模様の封筒が郵送されてきた。(断わっておくが、縄の世界とは全く無関係の女性である)。
封筒の中身は、いい香りのするペーパークラフトで、指で左右にひろげると、色彩豊かなデコレーションケーキが立体的にできあがり、その下側に、
「先生、誕生日おめでとうございます。先生にとってこれからもよい年でありますように」
と肉筆で書かれている。私の誕生日を祝ってくれるのは、これだけである。
いまの私は、ぜいたくきわまる自由と快楽の日々を謳歌している身なので、これだけで十分である誕生日おめでとうの声が雨のように降ってくる中にいたら、自由も快楽もたちまち奪われてしまう。私にとって自由と快楽ほど貴重なものはない。
また話が横道に外れた。どうもいけない。
私は、私の仕事部屋へ、はじめてカメラマンを入れた。そして私の自由と快楽の砦であり、あるいは私の終(つい)の棲み家となるやもしれぬ私の部屋を、すみからすみまで、浴室からトイレまで撮影してもらった。
格好の餌を目の前にした猫が、舌なめずりをして、うなり声をあげるような迫力で、カメラマンはシャッターを押しつづけた。その姿勢はカメラマンへの私の信頼度を、さらに深めるものであった。
撮影が一段落し、カメラマンは改まった真摯な表情で私に質問してきた。前述のようにその質問に、やはり恥ずかしくて私は答えられなかった。私は彼に「それは『猥褻快楽遺書』の中に書くから読んでくれ」と言った。
で、これからすこしずつ、ここに書いていこうと思う。
私が小学校三年生のとき、隣家に夫が大工の夫婦者がいて、キミコという娘がいた。小学校に入学したばかりの小さな女の子だった。
ある日、私はそのキミコと、私の家の中で遊んでいた。はじめのうちはママゴトのような遊びだったが、そのうちに私は、キミコの体を柱の前にすわらせ、紐で動けないように縛りつけてしまった。
そして小便をするような格好でペニスをつまみだすと、キミコの口をあけさせ、それをなめさせようとした。
キミコはきょとんとした目で私の顔を見上げ、口をひらいた。そのとき、私の母が外から帰ってきた。
(続く)
『濡木痴夢男の秘蔵緊縛コレクション1「悲願」(不二企画)』
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