THE ABLIFE February 2011
「あぶらいふ」厳選連載! アブノーマルな性を生きるすべての人へ
縄を通して人を知り、快楽を与えることで喜びを得る緊縛人生。その遊行と思索の記録がゆるやかに伝える、人の性の奥深さと持つべき畏怖。男と女の様々な相を見続けてきた証人が、最期に語ろうとする「猥褻」の妙とは――
縄は、わらで編んだ荒縄である。
町内には縄のかかった商品の木箱を
店の前に積み上げている小さな商店が多かった。
店の前の道路には、縄の切れ端がいくらでも落ちていた。
私は荒縄でぐるぐる巻きにされ、
さらに電信柱に縛りつけられた。
町内には縄のかかった商品の木箱を
店の前に積み上げている小さな商店が多かった。
店の前の道路には、縄の切れ端がいくらでも落ちていた。
私は荒縄でぐるぐる巻きにされ、
さらに電信柱に縛りつけられた。
このときの私は、小学校三年生である。九歳か十歳である。
隣家の小一の娘に対して行なおうとしていた行為の意味を知っていたとは、とても思えない。
私は、いわゆる餓鬼大将ではなかった。外で遊ぶことがあまり好きではなく、家に閉じこもって本ばかり読んでいた、内気な小学生だった。他人から見たら陰気な暗い子供だったにちがいない。
私の母は、下町生まれの下町育ちである。
「うちで本ばかり読んでいないで外へ行って遊んできな!」
と、母はつねに私をどなり、
「そんなに本ばかり読んでいると、目が悪くなるよ!」
と言って私を叱った。
私は学校では成績がよく、「理想的」なおとなしい生徒であり、毎年「優等生」の賞状を校長からもらった。級長にも何度かなっている。
親の留守中に、小さな女の子を柱に縛りつけて、自分の股間のものを、その子の顔の前でふりまわすような子供ではなかった。
外から帰ってきた母に、
「なにやってんだよ、お前、バカ、やめな!」
どなりつけられて、私はあわててやめた。
私を叱る母の声はいつも明るく元気だったが、このときはあたりをはばかるように低くおさえた、鋭い声だったように思う。
母の鋭い口調で、私はそれが何か秘密をふくんだ行為のように感じた。
このとき母にみつからなくても、私は彼女の口の中へ、自分のペニスを入れるようなことまではしなかったように思う。
子供が思いついた一瞬のいたずら程度の行動ではなかったか。
いやいやそうではなく、七十年たったいまでも、こうやってそのときのことを記憶しているのだから、やはり私の性の芽生えの一端だったのかもしれない。
性の芽生えといったところで、小三の子供だから、まだ体内に精液など溜まっていない。肉体的に未成熟である。「精通」はまだしていない。
「精通」というのは、精液が体内に充満し、それがペニスを通って外に溢れ出す。つまり射精できる状態になることだ。即ち一人前の「男」になった証明である。
私はキミコの小さな口の中に射精しようなどとは、まったく思っていなかった(あたりまえだ)。そういう性的な知識がなかった。つまり、フェラチオのなんたるかを知らなかった(あたりまえだ)。それなのに、なぜあんな真似をしたのだろうか。
で、この話は、ざんねんながらここでおしまいである。
いわゆる「お医者さんごっこ」みたいな遊びの経験は、私にはない。
大工の娘のキミコは、小一の少女にふさわしい親しみのこめ方で私にまとわりついてきたが、私はキミコのスカートをまくり上げ、ズロースをおろして性器を見たりするような性的ないたずらをしたことは記憶にない。
柱に縛りつけて、自分の股間を彼女の目の前にむき出したこと、それだけだった。
ここで私がもっともらしく――私は子供がよくやるお医者さんごっこみたいなノーマルな性的いたずらには興味がなく、少女を柱に縛りつけて口を開かせ、ペニスを押しつける欲望をもつ少年であった――などと書けば、いかにも濡木痴夢男らしいと、他人はおもしろがってくれるのだろうが、事実はまあ、こんなものである。人間の性なんて、そんなわかりやすい単純なものではない。もっと複雑怪奇である。
少女を柱に縛りつけての理不尽な行為はそのときだけだったが、まだ十歳の未精通な私に、なぜそういう不埒な真似ができたのか、そのへんは謎である。遺伝子のなせるわざとでもいうより仕方がない。
私は家の中に閉じこもって本ばかり読んでいる子供ではあったが、近所に住む同級生たちに呼び出されて、たまには外で遊ぶこともあった。
この時代、はっきり記憶にのこっていることが一つある。
当時、子供たちのあいだに「悪漢探偵ごっこ」という遊びがはやっていた。一人が悪者になって逃げまわり、あとの数人がそれを追って、つかまえたら縄で縛るという、それだけの遊びであった。「鬼ごっこ」の変形のようなものである。
その遊び仲間に入れられ、やがて私に悪漢の役がまわってきた。私は逃げたり走ったりすることが苦手である。すぐに捕まってしまい、縄で縛られてしまった。
縄は、わらで編んだ荒縄である。町内には縄のかかった商品の木箱を店の前に積み上げている小さな商店が多かった。店の前の道路には、縄の切れ端がいくらでも落ちていた。
私は荒縄でぐるぐる巻きにされ、さらに電信柱に縛りつけられた。
電信柱も現在のようなコンクリート製とか、金属製のものではない。節やコブや割れ目のある木製の素朴な形の電柱である。
私がいまでも木の柱に執着するのは、このときの原風景が忘れられないからかもしれない。
電信柱に縛りつけられて、私はもがいた。拘束感によるあまずっぱいようなかなしみと、縄の摩擦による刺激に全身が包まれた。
肩をゆすってもがくと、縄がいっそう腕や胸に食いこみ、気持ちよかった。はっきりとした快感があった。
自分が縛られる前に、悪漢役の仲間を、そのときは探偵役の私も手伝って縛ったのだが、なんの快感もなかった。
縛る役のときは快感などなく、縛られる役のほうが気持ちよかった。そして私のペニスは硬直していた。硬直といっても、このときの私は、やはりまだ小四か小五だったろう。ペニスにしても当然その年齢の大きさのはずである。
それでも硬直し、勃起した。手に触れて確かめなくても、自分のペニスが硬直しているのを、はっきりと自覚していた。
ただし、縄で縛られることによる快感と、ペニスの硬直とのあいだに、どういう関連があり、因果関係があるのか、わからなかった(じつはいまでもわからない)。
(続く)
『濡木痴夢男の秘蔵緊縛コレクション1「悲願」(不二企画)』
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