The ABLIFE February 2012
「あぶらいふ」厳選連載! アブノーマルな性を生きるすべての人へ
縄を通して人を知り、快楽を与えることで喜びを得る緊縛人生。その遊行と思索の記録がゆるやかに伝える、人の性の奥深さと持つべき畏怖。男と女の様々な相を見続けてきた証人が、最期に語ろうとする「猥褻」の妙とは――
私が舞台ではなく、客席にすわっていて、
つまりこの芝居を観る側にいたとしたら、
このシーンを観て激しく興奮しただろうと思う。
役人に引かれていく哀れな百姓娘の、わずかな一分間のシーンに、
客席の私は血が熱くなるほど興奮し、たちまち勃起し、
周囲の状況によっては、自慰行為に及んでいただろうと思う。
つまりこの芝居を観る側にいたとしたら、
このシーンを観て激しく興奮しただろうと思う。
役人に引かれていく哀れな百姓娘の、わずかな一分間のシーンに、
客席の私は血が熱くなるほど興奮し、たちまち勃起し、
周囲の状況によっては、自慰行為に及んでいただろうと思う。
男の一生のうちで、最も感受性がつよく、性欲が盛んな十代後半の時代に、私は毎日舞台へ出て、縄で縛られた女優を引いていく役を演じていたが、そのときに興奮した記憶は一度もない。
これは、ほんとのことである。
「遺書」と名づけたこういう文章の中で、いまさら気どったり、ウソをつこうとは思わない。
その芝居はセルバンテスの『ドン・キホーテ』であり、おもに小中学生を団体客に迎えて演じるものであった。当時の呼び名でいうと「移動演劇」である。
進行する劇の途中で、縛られた女が登場するからといって、もちろんそういうシーンを売り物にしている芝居ではない。
SMという言葉すらない時代である。
権力者に仕える下っ端役人というのが、そのときの私の役であり、年貢の納められない貧しい百姓娘に扮した女優を、地方公演の一年間に、計五百回以上も縛った。
が、その佐々木洋子という女優(二十歳前後だったと思う)も、毎日二回ずつ、三回公演のときには、一日に三回私に縛られていても、どうという反応もなかった。
舞台に出ているのは、一分間か、せいぜい二分間ていどの短い時間である。
ドン・キホーテと、従者のサンチョ・パンサの前を、ただ通りすぎていく通行人みたいな役なのである。
いくら毎日私に縛られているからといって、彼女が何かを感じることなんて、あろうはずがなかった。
舞台へ出る前に、袖幕のかげで縛ってから縄尻をつかんで彼女を引き立てる私のほうも何も感じない。
ただ台本に書かれているとおりに演じていただけである。
だが(ここが肝心のところなのだが)私が舞台ではなく、客席にすわっていて、つまりこの芝居を観る側にいたとしたら、このシーンを観て激しく興奮しただろうと思う。
役人に引かれていく哀れな百姓娘の、わずかな一分間のシーンに、客席の私は血が熱くなるほど興奮し、たちまち勃起し、周囲の状況によっては、自慰行為に及んでいただろうと思う(自分の手で女を縛って興奮するよりも、自分以外の他人が女を縛っているのを距離をおいて眺めているほうが、より強度の刺激をうけるというマニアが意外に多く存在することを、あとになって私は知った)。
この時から一、二年後、私は東京都内の軽演劇を上演している劇場に通い、ステージで女が縛られているシーンが少しでもあると、それを観ながら客席の隅で自慰行為にふけった。
映画館とちがって、実演劇場の客席は暗くならず、敗戦直後の椅子は粗末な木造で、すぐにガタガタ揺れる。
そういう椅子にすわって恥ずかしい行為に及ぶのは冒険だったが、二十歳前の旺盛な欲望をおさえきれず、となりの客の気配に神経を遣いながらやった。
客席が満員のときは、通路の側にある壁によりかかって、立ったまま右手を動かしてやった。左手に上着や鞄を持ち、それを隠した。
つまり、上手通路側際の壁に右上半身をもたせかけて、右手を使うのだ。
視界の左側は、すべて客席である。私の右手の動きは、客席からは見えない。
立ったままで射精する。その瞬間の快感に、がくんがくんと膝が折れそうになる。頭の中が真ッ白になって、目が見えなくなる(放出したあとの始末まで書こうと思ったが、露悪にすぎるかもしれないので、それはやめた)。
だがしかし、そんな軽演劇の中に、女が縛られるシーンなど、めったにあるものではなかった。
比較的多いのは、浅草のヌード劇場でストリップの合間にやる短い軽演劇やコントの中に、お目あてのものがときどき登場した。
が、それらのほとんどは下品な、ふざけたもので、私が望むシーンには、はるかに遠かった。縛りそのものも当然きわめていい加減で、私は失望を繰り返していた。
不満ではあったが、スクリーンに映写されるモノクロの幻影とちがって、たとえだらしのない縛りにしても、ナマの女性が体に縄をまとってくれるのである。
縛りのゆるさは、私の妄想で補うことにして、私は根気よく都内の軽演劇やストリップの劇場へ通った。
この時期は前述のように、同時に映画館にも通っていたので、客席でスクリーンとナマの女体を眺めながら、私はウッ屈した欲情を噴出させていたのだ。
それから二十数年後、私はいわゆる「SMビデオ」の撮影現場で「縛り係」を仕事とするようになった。
何度かロケでヌード劇場を借りての撮影があった。開演前の劇場内を使わせてもらうのだが、誰もいない客席のシートに、おびただしい量の自慰の痕跡を見て、唖然としたことがあった。
もちろんそれは乾ききっているものだったが、数百人、いや数千人の快楽の果ての証拠が歴然としみついている光景は、壮観であり、凄惨であった。
一つ一つのシートに、まんぺんなく重なり合ってしみついているそれらのほとんどは、縄とか縛りとは無関係に、ステージで演じられるヌード嬢たちの、ノーマルなエロティシズムを楽しみながらの行為の結果に違いなかった。
たとえ単純でノーマルなエロティシズムにしても、客席でのひそかな自慰は、実際に女性の肉体を抱いての直接性行為よりも、快感度においては、あるいは豊かでぜいたくなものだったような気がする。
客席にいる一人一人の脳の中には、それぞれにちがった妄想があり、その妄想力がフルに働いて、女性を抱いての単純摩擦行為よりも、ロマンティックな物語に色どられた多彩な快楽があったにちがいないと思うからである。
(続く)
『濡木痴夢男の秘蔵緊縛コレクション1「悲願」(不二企画)』
関連リンク
緊美研.com
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風俗資料館
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