The ABLIFE September 2012
アブノーマルな性を生きるすべての人へ
縄を通して人を知り、快楽を与えることで喜びを得る緊縛人生。その遊行と思索の記録がゆるやかに伝える、人の性の奥深さと持つべき畏怖。男と女の様々な相を見続けてきた証人が、最期に語ろうとする「猥褻」の妙とは――
ここで私が言いたいのは、
私のようにフツーの性行為をあまり好きでない人間は、
男だけでなく、
女性の側にもいるのではないか、
ということです。
それも男と同程度の数が存在するのではないか。
私のようにフツーの性行為をあまり好きでない人間は、
男だけでなく、
女性の側にもいるのではないか、
ということです。
それも男と同程度の数が存在するのではないか。
私のように、いわゆるノーマルなセックスがあまり好きではない男、フツーの挿入性交よりも、縄による「縛り」のほうに性的コーフンを覚える男は、たしかに存在します。
こういう男は、全体の数からいったら、もちろん少数派ですが、一定の数は、たしかに存在しています。
このことを私が断言するのは、以前私が「緊美研」というグループを組織していて、女性モデルの股間を見せない、マタを見せないからもちろん男とのノーマルな性行為を一切しない「縛り」だけの映像を作っていたとき、それが、かなりの数売れたという実績があるからなのです。
どれくらい売れたか、その数をここに書けるといいのですが、私はその実数を知らない。
本当に知らないのです。数というものに私は無関心であり、もともと無知なのです。
ウソだと思わないでください。どれだけ売れて、どれだけ利益をあげたのか、そういうことに私は本当に関心がないのです。
思う存分女体を縛ることができて、ある程度のお金さえもらえればいいのです。
「緊美研」には縄好きマニアの人がたくさんいて、その人たちとのおつきあいも実際にいろいろありました。
ですから私と同じような性癖を持つ人が、私以外にも結構たくさんいるということを実感しています。
そして、ここで私が言いたいのは、私のようにフツーの性行為をあまり好きでない人間は、男だけでなく、女性の側にもいるのではないか、ということです。それも男と同程度の数が存在するのではないか。
しかし、これを実際に確かめることは容易ではない。一回会って話したくらいではわかるはずがない。心と心がぴったり通じ合わないと本当のところはわからない。それには手間も時間もかかる。エネルギーを必要とする。
ですが私は、こういう私の性癖に奇跡的にとも思えるくらいに合致した女性に、ようやく会うことかできました。
この「快楽遺書」のはじめのほうに登場する落花さんが、その女性です。
「落花さん」と「さん」付けにして書いているのは、私が彼女を尊敬しているからです。彼女の内に秘めている才能の豊かさを思うと、とても呼び捨てになんかできない。
縛られることを好む女性を下に見て「奴隷」などと呼んだり書いたりするようなことは、私にはとてもできない。私はそういう通俗三文SM小説的な軽薄な侮蔑表現を、極端に忌避し、嫌悪する人間です。
いま改めて読み返してみると、落花さんとのラブホテルにおける密事が、この「快楽遺書」の中にずいぶんていねいに細密に書いてある。だが、嘘とか誇張とかの表現は、全くない。
こういうときの自分の気持ちを、できるだけ正確に記録しておこうという姿勢で書いているので、エロティックであるべきシーンも意外に煽情性に乏しい。ワイセツな感じもあまりしない。
このときの私と、現在の私の考え方がすこし違ってきているところがあるので、それをこれから書いてみます。
縛りあげた彼女の下半身をひろげ、両手でおさえつけてペニスを挿入しようと思っても、彼女は固く両足を閉じ、そうはさせまいと抵抗しているシーン。
これを書いたときの私は、彼女が羞恥のために抵抗しているのだと思っていたが、そうではなく、自分の性器の中に男性器を挿入されることを彼女は嫌悪していたのだ。
男性器と女性器の接触と結合を忌避し、嫌悪し、それでかたくなに拒否していたのだ。
いまになって、ようやくそのことがわかった。なんという鈍感な私、頭の悪い私!
私が女の性器の中に、自分の性器を入れることが好きでないように、彼女も自分の性器の中に男の性器を挿入されることを嫌っていたのだ!
彼女は、男に性器を愛撫されることよりも、縄で縛られることのほうが好きな人間だったのだ。私が性器挿入よりも「縛り」のほうが好きだったように。
しかし、数年前の私は、いまここでペニスを彼女の中に挿入しなければ、彼女が私のことを男として認めてくれないのではないかという不安があり、心配があり、危惧があった。
いや、危惧とまでいってはオーバーかもしれない。自分を男として認めさせたい、という本能だったのかもしれない。
だから一生けんめい挿入しようとして、数年前のあのころは悪戦苦闘していたのだ。
悪戦苦闘とはいいながら、私はそのとき、べつに性的に興奮し、欲情に猛り狂っていたわけではい。なぜなら、挿入したいという切実な願望、一途な欲情が私になかったからである。
ここで挿入しなけれぱ、男としての体面が保てないのではないかという気持ちのために、なんとか入れようと努力していたのだ。
いま思うと、なんという無駄な努力だったのだろう。なんという愚かなむなしい男の矜持だったのだろう。
いまの私は、そういう無駄な、むなしい行為はしない。
ひと縄、ひと縄に、ひたすら思いをこめて、ゆっくりと彼女の反応を味わいながら縛っていくだけである。
縛り終えてから約十五分から二十分間、入念なキスをくり返す。
乳首、乳房を愛撫し、さらには下腹から太腿に舌を這わせる。何度も何度もそれをくり返す。
やがて私は疲れ、彼女のすぐとなりに横たわる。
私が愛撫をやめたあと、つまり、彼女から体を離したあと、彼女は間欠的に全身をけいれんさせる。
私は一指も触れていないのに、ときには五分間隔くらいで、ビクッ、ビクッ、ギクッ、ギクッと全身をさせる。声は出さない。目も閉じたままである。
私にはそのけいれんが、彼女の性的快楽の絶頂のように思われる。
快楽の絶頂を彼女は何度も何度もむかえ、味わっているように思われる。
縄を解いたあとも、じいっと横たわったまま、けいれんをくり返している。
そういうとき、私は彼女の邪魔にならないように、彼女から体を離し、黙って見守っている。
(続く)
『濡木痴夢男の秘蔵緊縛コレクション2「熱祷」(不二企画)』
関連リンク
緊美研.com
濡木痴夢男のおしゃべり芝居
風俗資料館
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