The ABLIFE October 2012
アブノーマルな性を生きるすべての人へ
縄を通して人を知り、快楽を与えることで喜びを得る緊縛人生。その遊行と思索の記録がゆるやかに伝える、人の性の奥深さと持つべき畏怖。男と女の様々な相を見続けてきた証人が、最期に語ろうとする「猥褻」の妙とは――
私はここでは、
でき得る限り真実のことを書こうとしている。
なにしろ、これは「遺書」なのだから。
「遺書」にウソを書いてはいけない。
私はもうすぐ八十三歳になるのですよ、八十三!
まあ、とんでもなく長生きしたものだ。
でき得る限り真実のことを書こうとしている。
なにしろ、これは「遺書」なのだから。
「遺書」にウソを書いてはいけない。
私はもうすぐ八十三歳になるのですよ、八十三!
まあ、とんでもなく長生きしたものだ。
たとえば、夜(昼間のときもあるけど)女性と一緒に、店で酒を飲んでいる。
なりゆきで、私はその女性を、ラブホへ誘わなければならない状態になる(誘わなければならない、というのは妙な言い方だが、実際そういうことなのだから仕方がない)。
つまり、その女性のことをそれほど好きでもないのだが、ついつい会話がはずみ、調子にのって、そんななりゆきになったということである。
私は生来軽薄な人間であり、軽率な行動をよくとる。
そして、特殊な職業に従事してきたので、或る時期、こういう状況にたびたびぶつかった(こういう書き方をすると、モテない男性諸氏は、なにをコン畜生、勝手なことばかり書きやがって、ぶんなぐってやりてえ!とお思いになるでしょう。そう思われても仕方がない)。
恥ずかしいことだが、これは事実です。
私は、本気になって、真剣になって、女性とそういうセックスオンリーの場所へ誘ったことがない。
一緒に酒を飲んでいるこの女性に、いま誘いの言葉をかけないと失礼になるだろう、と思い、ときにはそれが一種の脅迫観念となって、つい、
「これから一緒にお風呂へ入ろうか」
と、軽い口調で誘ってしまうのである。
すると、相手はたいてい承諾する。ためらったりはしない。待ってましたとばかりに承諾する(このへんでまた読者は不快になるだろうなあ)。
でも、これは真実なのだから仕方がない。
私はここでは、でき得る限り真実のことを書こうとしている。なにしろ、これは「遺書」なのだから。「遺書」にウソを書いてはいけない。
私はもうすぐ八十三歳になるのですよ、八十三!
まあ、とんでもなく長生きしたものだ。
でも、見たところ、ヨボヨボでもなければヨレヨレにもなっていない(多少書き方がもたもたしているかもしれないけど)。
つい一週間前の私の舞台姿を、この連載の担当編集者が観にきてくれた。そのとき私は、役者として一人で五役をこなしていたのだ。
暴走バスの運転手、引退した老政治家、ピチピチの女子高生(!)、認知症の老人、アンパンマンに出てくるジャムおじさんの五役をやり、その上、白いスカートをはいて、両手にポンポンを持って踊ったのだ!
いや、ここでそんなことを威張ってみても仕方がない。
私の誘いを相手の女性が承諾し、ラブホテルへの道を並んで歩きかけたとき、私はいつも(しまった!)と後悔する。
そこから先にどういう行為があり、どういう思いをしたあとに、どういう別れがあるか、私にはもうわかっているからである。
だが、ラブホの前まで行ったら、引き返すことはできない。ただセックスするだけの密室へ入るより仕方がない。
私は彼女と一緒に風呂へ入り、湯の中で抱き合い、キスなどもして、自分は先に浴室を出て、ベッドで縄を用意して彼女を待つ(私はいつでもバッグの中に縄をひそませているのだ)。
浴室から出てきたタオル一枚腰に巻いただけの彼女を後ろ手に縛る(私と一緒にラブホに入る女性は、十人のうち九人までは、私に縄で縛られることを覚悟......いや、覚悟ではない、期待している)。
後ろ手に縛りあげた瞬間、すこしの間だけ私は興奮する。初めて縄をかける相手の場合は、さすがに新鮮な感じがする。
が、すぐに目に慣れる。
縛ることを仕事にしているので、相手が変わったところで、いまさらさほどの刺激もうけず、目に慣れるのも早い。
初めて縛った女性でも、反応にそれほどの違いがあるわけではない。
たいていはベッドの上で両足をややまげた形で横になり、目をとじて、じっとしている。
これからあとが、私にとって苦手な時間なのだ。
女を縛り終えると、私にはもう、やりたいことがなくなってしまうのだ。
そこでまあ、手をのばして、女の乳房を揉んだり、尻を撫でたり、一応の行為にとりかかる。
が、いつまでもさわっているわけにもいかない。
べつに惚れているわけでもないので、そういう擬似愛撫の行為も、すぐに飽きる。
これまでしつこく書いてきたように、私は女の股間にそれほどの執着心があるわけではない。
多くの男を狂わせる女のあの部分に対して、不潔だと思う気持ちのほうが強い。
だが、たいていの男はここでありったけの欲情を指先にこめてまさぐる。女のほうも、それを待っている、のだろうと思う。
待っている女を失望させるのも悪いと思って、私は、私もまた欲情しているのだと自分で思いこみ、指先を女のそこへのばしてみる。
ここでまた私は、私の軽薄な人間性を露出させる。つまり、
「わあ、もう濡れてる。凄いなあ、ぐちょくちょだ、べちょべちょだ!」
などと、通俗的な歓喜の声をあげてみせるのだ。すると女のほうも、
「イヤーン、エッチ! そんなことしないでェ......」
などとエロ本に書かれているような(エロ本などと軽蔑してはいけない。私もまたそういうものを書いて儲けているのだから)類型的なセリフを吐きながら尻をくねらせたりする。
くり返すが、私は女性のそういう部分で、自分の指を濡らすことが、あまり好きではないのだ。はっきり言ってしまうと、嫌いなのだ。とても不潔な感じがするのだ。
でも、そこまでこういうなりゆきできてしまったので、そのままつづけなければならない。
女がそこをびしょびしょに濡らして足をひろげてしまったら、私の愛息を挿入しないわけにはいかない。
いやだなあ、面倒だなあ、と思いながら、私は女の上になり、尻を抱えて挿入するのだ。
いやだったら立たないのではないか、とお思いだろうが、立たせようと思ったら、因果なことに、私はいつでも立つのだ。ホントです。いやだなあ、と思いながらも、立つことは立つのですよ。
(続く)
『濡木痴夢男の秘蔵緊縛コレクション2「熱祷」(不二企画)』
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