The ABLIFE December 2012
アブノーマルな性を生きるすべての人へ
縄を通して人を知り、快楽を与えることで喜びを得る緊縛人生。その遊行と思索の記録がゆるやかに伝える、人の性の奥深さと持つべき畏怖。男と女の様々な相を見続けてきた証人が、最期に語ろうとする「猥褻」の妙とは――
私は職業柄、
他の女性の悪口を書くことができないのだが、
一つだけ書く。
二人きりになったとき、
陰唇がだらしなくのびきり、
すぐにそこを濡らすような女は嫌いである。
そういう女だとわかったとき、私はすぐに逃げ出す。
他の女性の悪口を書くことができないのだが、
一つだけ書く。
二人きりになったとき、
陰唇がだらしなくのびきり、
すぐにそこを濡らすような女は嫌いである。
そういう女だとわかったとき、私はすぐに逃げ出す。
女性がその気になって両足をひろげているというのに、そして男も下半身をむきだして女体の上にのしかかろうとしているのに、その男のかんじんなものが勃起しなかったら、これほどあせることはないだろう。
だが、私の場合はあせらない。
勃起しなくても、あわてない。
女の体の上からおり、共に寝て寄り添って、やさしく、彼女の丸い尻を撫でるだけだ。
女は、後ろ手に縛られている。
縛ったのは、むろん私だ。
彼女は、落花さんである。
その気になって足をひろげ、などとうっかり書いたが、彼女はそういう足の緊張をゆるめるようなポーズを絶対にとらない。
もう六、七年のつきあいになるが、その種の下品なポーズをとったことは一度もない。
足をひろげるどころか、膝と膝のあいだを最初から最後まで固く閉じ合わせたままだ。
背中を極端に丸め、顎を引いて布団の上に顔を伏せている。
ふつうに言えば、男を拒否する頑強な姿勢である。
だが彼女は私に対して拒否する心も抵抗する意志もない。
極端な羞恥からこういう丸まった団子虫みたいな姿勢になっているのか。
いや、そういう羞恥の心もあるだろうが、それだけではない。羞恥と同時に、強い誇りとか自尊心のような意識もあるにちがいない。
彼女が私のペニスの侵入を期待していないことを、私はまたも知ることになる。確認する。
すでに確認しているくせに再度挑戦してみせるのは、男の欲望というより、やはりプライドみたいなものが私にあるのだろう。挿入しようと思えば、いつだって挿入できるんだぞ、というプライド、いや、虚栄か。
挿入しようとして私が彼女の両足を全身の力をこめてひろげようとしても、彼女は私以上の力をもって鋼鉄のように左右の膝を閉じ合わせる。
私は力が尽き、挿入をあきらめる。
挿入できなくても、べつに怒りはしない。失望もしない。イライラもしない(ここが他の男と違うところだ)。
なにしろ、彼女はこのようなラブホテルへ仲良く一緒に入り、なんの抵抗もなく縛られてくれたのだ。しかも、いい形の後ろ手に。
私が理想とする高手小手の形だ。手首が背中の高い位置に痛々しい風情で上がっている。合意の上でなければこんな刺激的ないい形には上がらない。
私は両手で彼女の顎をはさみ、顔を上に向かせる。
唇を吸う。彼女の唇の感触は固い。私にとって好ましい唇の固さなのだ。
彼女がだらしなく唇を開いた顔なんて、私は一度も見たことがない。いつも凛然として引き締め、清冽の気概をただよわせている唇の形だ。
だが、私が顔を接近させても、彼女は唇を避けたことはない。いつも素直に応じる。
十分に吸ってから舌の先で彼女の唇を上下に開かせ、舌をさしこむ。彼女の舌に私の舌をからませる。
私の舌の動きに、彼女の舌はまかせるままである。逃げたり避けたりはしない。積極的に応じることもない。
といって無関心、無感動とも思えない。自然である。彼女は彼女なりに接吻の快感を味わっているように思える。この種の性技に慣れていないだけだと思う。こういう彼女のつつましい自然の反応が、私は好きである。
彼女の着ているものを剥がし、ブラジャーをずらし、乳房をつかみ、乳首を指の先で揉む。仰向けにさせて乳首を吸う。
このときになってようやく彼女は低い声をあげる。だんだん強く吸い、乳首を噛んだりする。
彼女は抵抗しない。あれほど両足を固く閉じ合わせて抵抗する彼女が、上半身においては私のなすがままとなる。
尻も私の自由となる。ぴっちりとショーツをつけた尻の形が美しい。数多くのモデルの尻を見てきた私が見惚れ、うなるほどの美しい丸みである。
ショーツをおろし、剥ぎ取るときも彼女は抵抗しない。裸になった尻の固い感触が好ましい。
柔らかい尻は下品で卑猥だが、彼女の固い尻には、犯してはならないような凛々しいエロティシズムの香気がある。
太腿から尻にかけての肉づきの美しさは、いつも私を恍惚とさせる。犯してはならない高貴なものを私は両手で抱きしめ、頬ずりする。吸い、なめる。
このときには全くの無抵抗で応じる彼女が、尻をひっくり返して、つまり正面から下腹部をさらけだすと、とたんに別人のようになって抵抗する。股間を私に見せることを極端に避ける。
といって、彼女の股間のあたりに異常な眺めがあるわけではない。
異常どころか、清潔感のある、つつましいいい形をしている。私が最も好きなたたずまいである。
私は職業柄、他の女性の悪口を書くことができないのだが、一つだけ書く。二人きりになったとき、陰唇がだらしなくのびきり、すぐにそこを濡らすような女は嫌いである。そういう女だとわかったとき、私はすぐに逃げ出す。
落花さんの性器は、あと十年二十年三十年つきあったとしても、ああいう私が逃げ出すような、だらしなく弛緩した形にはならないと思う。彼女の性器は、おそらく彼女が死ぬまで凛然とした、清冽な姿形を維持しているように思われる(これは私の願望かもしれない)。
それほどの彼女の口の中へペニスを挿入するのは、私はとても申わけのないことのように思える。彼女のような気品を持つ人に、私のものをしゃぶらせるなんて、罰当たりの所業だと思う。
だから、なるべく遠慮している。だが、何かの拍子でそういう欲望が起きることがある。
そんなとき私はためらいながら勇気を出して、彼女の顔の前に、自分の股間を押しつける。すると彼女は一瞬の逡巡もなく、すぐに唇を開き、それをやってくれるのである。
私は感動し、脳天がしびれたようになる。まだ三十歳前の若い美人が、もうすぐ八十三歳になる男のものをしゃぶってくれるのである。快楽と感謝の気持ちで、涙がどっと溢れ出す思いである。
じつはきのうも、落花さんとそういう一刻をすごしたのです。それで感激して、これまでに何度か書いたはずのシーンを、またまた書いてしまった。
きのうはラブホを出て、新宿の表通りを少し歩き、お腹がすいたので、ある老舗のレストランに入って食事をしました。
なんとか風のラザニアと、なんとか風のヤキソバを注文し、お取り皿を二つ注文しました。そのお取り皿に二種類の料理を半分ずつ分けます。
私と彼女がなんでも半分ずつわけて、こういう食べ方をするようになってから、もう一年以上たつ。
テーブルをはさんで正面に座っている彼女が、私の胸を見て、それから自分の胸を示し、
「ここ、ここ」
と言います。私が自分の胸もとを見ると、ヤキソバの端が三センチくらいついている。食べている途中で落として、それが着ている服の胸についているのです。
「ああ」
とこたえ、私は箸の先でそのヤキソパの端をつまみ、食べました。
すこしたつと、再び彼女は私の胸もとを見て、合図します。私はまたヤキソパの端を落とし、服の上につけているのです。
だらしがないったら、ありゃしない。
箸の先でつまんで、また食べました。
他人の目にはきっと、若い女性に介護されている老人の姿に見えたことでしょう。
(続く)
『濡木痴夢男の秘蔵緊縛コレクション2「熱祷」(不二企画)』
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