The ABLIFE January 2013
アブノーマルな性を生きるすべての人へ
縄を通して人を知り、快楽を与えることで喜びを得る緊縛人生。その遊行と思索の記録がゆるやかに伝える、人の性の奥深さと持つべき畏怖。男と女の様々な相を見続けてきた証人が、最期に語ろうとする「猥褻」の妙とは――
世間の人々に自慢することのできない
恥ずかしい仕事であることは、
骨の髄までわかっている。
ふつうの場所では隠しておきたい。
考えてみると、
私はこの恥ずかしい思いの中で
八十余年を生きてきたのである。
恥ずかしい仕事であることは、
骨の髄までわかっている。
ふつうの場所では隠しておきたい。
考えてみると、
私はこの恥ずかしい思いの中で
八十余年を生きてきたのである。
しかしまあ「縄師」なんていうのも因果な商売である(ちなみに私は自分のことを「縄師」などとは言わない。「縄師」なんて偉そうなことは言わずに、撮影現場で働く一介の「縛り係」と称している)。
さらに卑下して言えば「一介」の「介」には「芥」(あくた)の意味もある。「芥」とは、クズ、ゴミのことである。
縄師のどこが因果かと言えば、女を縄で縛って金をもらう仕事をやっている男のことを、世間一般の常識人たちは、どうしても血も涙もない鬼のような人間、という目で見る。
女を虐待して金を得ている男なんて悪逆非道とまではいかないにしても、それに近い人間だと思われる。
たしかにSM雑誌に掲載されている緊縛写真の中で、縄を操作している男の姿なんて、だれが見たってふつうではない、かよわい女をいじめる残酷な変態人間である。その写真だけで判断されたら、弁解の余地はない。
SMビデオなどのストーリー性のある映像では「縛り係」は文字通り画面の陰で女優を縛るだけの役目であり、縛り終えたらスタジオからさっさと退散し、あとの性的なアクションは男優にまかせてしまえばいいのでそれほど目立たない。
が、雑誌などの撮影で、縛っている最中のシーンをモデル女性と一緒に撮られ、それを掲載されてしまったら、これはもう証拠写真となって逃げることができない。
なので私は雑誌のグラビア撮影のときなんかは、できるだけ自分の顔や姿は写らないようにカメラから逃げていた。
カメラマンは緊縛された女体だけを撮ればいいので、縛っている男など撮る必要がないというのが私の考えであった。
マニア読者にとって、「縛り係」の存在なんて邪魔なだけである。若くて美しいモデルを縛りたいのは、本当はマニア読者のほうなのだ。「縛り係」はそういうマニアたちのために、代わりになって縄を握っているだけである。芝居の世界で言えば「縛り係」は黒子(くろこ)と同じなのである。
私はそのことを知っているので、カメラが自分のほうに向いているのを知ると、モデルから自分の体を離して逃げた。
ところが、当時はSM雑誌全盛時代で、毎月十数種類の専門誌が発行され、そのほとんどの撮影現場で仕事をしていた私は、どんなに避けても逃げても、どうしても自分の姿が写ってしまう。それが雑誌に掲載されてしまう。
常識的な一般社会の人間たちが、「SMエロティシズム」つまり「変態」を、いかに嫌悪し、忌避するかを私は知っている(嫌悪とか忌避ではなく、あるいは畏怖かもしれないが)。
嫌悪されるにしろ畏怖されるにしろ、「縛り係」なんて一般の常識社会においては、とても認知されない、容認されない異端の仕事である。
そのうちに正義と良識をふりかざす権力者たちによって、SM雑誌は「悪書」であると指定され、世間からいっせいに糾弾されることになる。
青少年を清く正しく育成しようという「ご立派な」教育指導権力団体の人々に私は呼び出され、取り巻かれて、吊るし上げを食らう運命になった。
「あなたはこういう汚らわしい写真を、家族の人たちに見られて恥ずかしくないのですか」
「こうやって縄をつかんで女の人に抱きついているのはあなたでしょう。こういう不潔な写真を、あなたの妻子にも見せられますか」
居丈高になって私に迫ってくるのは、教育団体に所属する中高年の女性が多かった。
自分も写っている女体緊縛写真を目の前に突きつけられては、私はもう頭を下げるより他はない。
マニアたちの繊細微妙にして複雑怪奇な性欲や心情を、いくら説明しても通じる相手ではなかった。うっかり弁解しようものなら、彼ら彼女らはいっそういきりたち、私を軽蔑して罵った。
そんなことが数回あってから私は警視庁に呼び出され、調書を取られ、果ては検察庁まで行くことになった。このへんのことは、河出書房新社刊の『「奇譚クラブ」とその周辺』という文庫本にくわしく書いておいたので興味のある方はお読みいただきたい。
しかし、そういうひどい目にあわなくても、私は「縛り係」なんてものが、うっかり人に言えない、因果な仕事であることを、端から自覚している。
どう考えてもまともな商売ではない。
世間の人々に自慢することのできない恥ずかしい仕事であることは、骨の髄までわかっている。ふつうの場所では隠しておきたい。
考えてみると、私はこの恥ずかしい思いの中で八十余年を生きてきたのである。言いかえれば、恥ずかしい性欲の所有者であるからこそ、八十余年を「縛り係」として過ごしてきたのである。
私は虚栄心の強い人間で、めったに弱音を吐かないのだが、一般人の宴席などで、
「この人の正体はSM雑誌はSMビデオの縛り係で、これまでに数千人もの女を縛ってきている。どうです、凄いでしょう」
などと、ふつうの常識社会に住む友人に、とんでもないタイミングで暴露されると、一瞬蒼白になり、落ち込む。イヤな気分が当分の間つづく。その友人は私のことをなぜか誇らしげに、自慢して紹介するのである。なので私はいっそうやりきれない。
「縛り係」を因果な商売と思う原因の一つは、じつはそのへんにある。つまり「縛り係」の過去を隠しておきたい場所において、私の素性を知っている人間に、おもしろおかしく、それが暴露されてしまうときの恥ずかしさ。いたたまれなさ、辛い、せつない心情に責めさいなまれる。
「でもね、濡木さん、縛りの仕事に対し、いつもそういうふうに忸怩たる負(ふ)の意識があるからこそ、濡木さんの縄には"味"があるのよ」
と、古いSM仲間の雨月小夜は、慰めるように私に言ってくれる。
「その"味"ってやつが、おれにはどうもよくわからないんだがなあ」
「私のように縛られてる女の側になってみるとよくわかるんだけどね。縛ったモデルのそばにくっついて、濡木さんが堂々と恥ずかしげもなく、一緒に写真を撮られるようになったら、濡木さんの縄の"味"は、たちまち消滅するわ」
「ほう、そういうものかね」
「そういうものよ。縛られる女も、縛る男のほうも、二人の心に忸怩たる思いがあるからこそ、それがからまり合ってマニアが感動する"味"のある縛りになるのよ」
「そういうものかね。自分じゃよくわからないな」
「そういうもんよ」
と、雨月小夜は自信たっぷりに言い、なんだかうれしそうに笑った。
(続く)
『濡木痴夢男の秘蔵緊縛コレクション2「熱祷」(不二企画)』
関連リンク
緊美研.com
濡木痴夢男のおしゃべり芝居
風俗資料館
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