web sniper's book review
新世紀エヴァンゲリオンからニコニコ動画まで――
現代のセカイが見えてくる
『新世紀エヴァンゲリオン』以後のオタク評論が扱ってきた自意識の問題を軸にして、アニメ、ゲーム、ライトノベル、批評などなど日本のサブカルチャーを中心に大きな影響を与えたキーワード「セカイ系」を読み解き、ポスト『エヴァ』の時代=ゼロ年代のオタク史を論じる一冊。現代のセカイが見えてくる
「セカイ系」というのはフィクションの傾向の一つと考えて問題ない。時代によって意味も受容のされ方も異なるが、原義(2002年)は「エヴァンゲリオンっぽい作品」、途中(2004年)から「キミとボクと世界以外の、中間領域(=社会)が抜け落ちた作品」となる。本書で代表的な例としてまず挙げられている作品は『最終兵器彼女』『ほしのこえ』『イリヤの空、UFOの夏』の三作。これらはセカイ系を語る上で誰もが例示する典型的作品なのだが、実際は先ほどの説明を当てはめようとするとうまくいかない部分がある。そこで本書はそのブレと語られ方を整理し、作品に共通する「自意識」をセカイ系の発祥とすることでカテゴライズの問題を解決する。このオタクの自意識がエヴァンゲリオンからスタートしているから「ポスト・エヴァのオタク史」なわけである。
さて少し『セカイ系とは何か』から話をずらすが、先ほどの「エヴァっぽい作品」が自意識の問題に結びつくとして、後者の「中間領域のない作品」はあくまで物語の設定である。自意識を支える舞台として都合のいい設定ではあっても、それがすなわちセカイ系と不可分であるとは言えない。この内面から外部への飛躍がセカイ系を語る曖昧さと混乱の要因の一つである。一時期よく作品論を見かけた『デスノート』を例に取れば、主人公がより良い世界のために積極的に世の中を変えていこうとする意志はエヴァと反するものであるが、しかしその手段といえば死神のノートで犯罪者を殺していくというもので、政治を通して社会を少しずつ変えていこうとする道は描かれない。自分の主義主張に基づき、飛び道具で社会手続きを素っ飛ばし世界を変えようとする、まさに設定だけなら中間領域のないセカイ系である。この設定の上で「根拠がなくても何かを選択する」意志が〈決断主義〉で、「根拠がないから何も選択しない」意思が〈セカイ系〉なら、2000年代のオタク評論は最初からずっと自意識の問題を扱っていたわけだ。エヴァ以降のオタク作品について語るには、必然的に自意識と対面せざるを得ない。本書の基本姿勢はまずそこであり、各々の論の散らかりや解釈のバラバラさに一つの共通認識を与えるものとして、便利な一冊となるだろう。
蛇足の中の蛇足として書くが、本書は自意識にこだわったことで、前者の「エヴァっぽい作品」という定義については「ぷるにえブックマーク」(現在閉鎖したウェブサイトで、ここの管理人のぷるにえ氏が〈セカイ系〉という言葉を生んだ)から発祥した経緯を詳しく探求しながらも、後者の「中間領域のない作品」設定についての系譜がやや軽く扱われている。後者はアニメ雑誌『ニュータイプ』1998年10月号に掲載された庵野秀明と幾原邦彦の対談における、次の幾原の言葉がオリジナルだ。
幾原 日本の創作モノって、小劇場でも漫画だよ、はっきり言って。
庵野 うん。いまは一億総漫画です。ドラマもそうだし、極端にリアリティーを薄くした漫画っぽいものか、ドキュメンタリーっぽいバラエティしかウケてない。
幾原 何をもって漫画というのかっていうのははっきり言えないんだけど、ひとつには、ものすごい近いところと、ものすごく遠いところしか描かないってことが挙げられる。最近の歌謡曲って、みんなそうじゃない。彼のYシャツがどうとかという身近なところか、あとは宇宙の果てとかっていう、想像でしか語れない遠いところしか言わない。中間の、かかわると大変そうな距離の部分は絶対に言わない。それは漫画の世界だろうって思う。
庵野 うん。いまは一億総漫画です。ドラマもそうだし、極端にリアリティーを薄くした漫画っぽいものか、ドキュメンタリーっぽいバラエティしかウケてない。
幾原 何をもって漫画というのかっていうのははっきり言えないんだけど、ひとつには、ものすごい近いところと、ものすごく遠いところしか描かないってことが挙げられる。最近の歌謡曲って、みんなそうじゃない。彼のYシャツがどうとかという身近なところか、あとは宇宙の果てとかっていう、想像でしか語れない遠いところしか言わない。中間の、かかわると大変そうな距離の部分は絶対に言わない。それは漫画の世界だろうって思う。
この発言を批評家の東浩紀が、宮台真司との初対談の場で「最近の若い人はすごく近いことと、すごく遠いことしかわからない。恋愛問題や家族問題のようなきわめて身近な話題と、世界の破滅のようなきわめて抽象的な話とが、彼らの感覚ではペタっとくっついてしまっている」(雑誌『リトルモア』7号/1999年1月)と要約したことで、アニメファン以外にも知られるようになった(当時の講演でも同様に喋っていた)。
引用した幾原と庵野の対談の収録が、幾原が「少女革命ウテナ」の映画版を、庵野が「彼氏彼女の事情」のテレビアニメを控えていた時期だったのは重要だと思う。どちらの作品もポスト・エヴァながら、自意識からセカイへの飛躍が足りなかったのか、『セカイ系とは何か』ではほぼ取り上げられていない。ウテナに演劇的演出を施した幾原、および劇団「夢の遊眠社」の野田秀樹に影響されていた時期の庵野。演劇に接近していた両監督がある種の物語傾向に違和感を持っていたことの意味は、ここで詳解するつもりはない。「セカイ系とは何か」の問いに答えられた後に向き合いたい。
文=ばるぼら
『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』 (ソフトバンク新書)
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ばるぼら ネットワーカー。周辺文化研究家&古雑誌収集家。著書に『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』『ウェブアニメーション大百科』(共に翔泳社)『NYLON 100%』(アスペクト)など。『アイデア』不定期連載中。
「www.jarchive.org」 http://www.jarchive.org/