special issue for Golden Week in 2012
2012ゴールデンウィーク特別企画/特集:セックス表現の現在形2012
ロリコン漫画の不在形 文=さやわかかつては秘匿されてきた性の営みがメディアと技術の発展で白日の下に晒されている現在、様々なジャンル・作品においてセックスはどのように表現されていくのでしょうか。これまでの描かれ方も含めて改めて検証していく連休特集企画――。第5弾は、大変な速さで状況を変えゆく「ロリコン漫画」の今について。変容し続けているロリコン文化はどこへ向かっているのか、その一端をさやわか氏に切り取って頂きます。
そんなものには興味がないという人、ちょっとまあ聞いてほしい。
そもそも70年代後半から80年代初頭にかけての、俗に言うロリコンブームにおいては、漫画は一大勢力を誇るメディアだった。そんなことはWEBスナイパーの読者諸兄におかれては常識だろうし、そうでない者でも吾妻ひでおや内山亜紀の名は知っているかもしれない。
現在はどうか。現在ではそもそもロリコンブームというもの自体が成立していない。2003年あたりから活況を呈した「萌え」を合い言葉にしたオタク文化は、当初ロリコンブームの歴史的な文脈に関連づけて語られることも多かったように思うが、ここまでアニメや漫画などのジャンルが一般化した今では、そうした主張もなりを潜めている。言い方を変えれば、ロリコンという価値観じたいが――そしてアティチュードとしてのオタクも――、一般化されたアニメや漫画などのカルチャーの中に取り込まれている。それは広大なポップカルチャーの中でフェティッシュの一種でしかない。
「ロリコン」とは何かということについてここでゆっくりと定義を考えていくことはしない。ただ、たとえば2010年にネットで大きな話題となった「非実在青少年」にまつわる議論などは、あるいは初音ミクなど変容を遂げるキャラクター文化について考える時には、かつてのロリコン文化によって培われた議論が多くの示唆を与えてくれる。そういう例は今なお多い。なぜなら、ロリコン文化は生身の身体を持たない、リアリズムに基づかない図画がセクシュアリティを喚起するということについての、非常にラディカルな例だからだ。というか、そのことが意識されたからこそ、このフェティシズムはブームとなり得たに違いない。
ただ繰り返すが、今日の日本のポップカルチャーにおいては、ロリコンはむしろ単に性嗜好に近づいている。ロリコン専門の漫画雑誌「COMIC LO」などは意見広告などによってオピニオンを掲げ、幼児性愛を扱うポルノへの偏見を払拭しようという態度を表明している。だがそれは慎重にして、ロリコン漫画がどんな優れた作品を描くかということには踏み込もうとしない。彼らは「表現の自由」について価値ある主張を成している。そして雑誌編集部は作品の送り手であるから、その先を語らずとも当然かもしれない。しかし、幼児性愛によって現代の漫画家が何を語り得て、我々は何を読みうるのか。それを誰もが語らなくていいという道理はない。
だが結果としていま「COMIC LO」は、ポルノという許されたカテゴリの中でロリコンを専門にしているという説明だけで多くの者が納得している。そしてさらに、私たちは「COMIC LO」という雑誌の存在によってのみ、作品の内実とは無関係に、今日におけるロリコン漫画を語り得たと思ってしまうことができる。そのとき、ロリコン文化はむしろ社会にとってほとんど隠蔽されている。
だから以下に、ふだん「COMIC LO」に載っていないような作家による、しかし今どきのロリコン漫画を紹介しようと思ったしだいである。言うまでもないことだが、僕は「COMIC LO」よりもこっちを読めと言いたいわけではない。ぜひ「COMIC LO」も読んでほしいし、ここに挙げた以外のロリコン漫画も読んでほしい。そして、作者が何を描いているのか、その表現をあなたにも面白がってほしい。同誌創刊の二年後、2004年に同じ茜新社から創刊され、多くのロリコン漫画を掲載して一時代を築きつつ、2012年4月号でわりとひっそり休刊した「COMIC RIN」のことを思いながら、僕はそう願っている。
■無道叡智『オトメマジックオーケストラ』(茜新社、2010)
無道叡智は「COMIC RIN」に多く作品を発表していた漫画家だ。『ロリレコ -性徴記録-』(茜新社、2009)あたりから、特徴的な少女の骨張った体つきを表現するデジタル作画の技術が洗練されてきた印象がある。尖った目尻が個性的な、わりとツンデレ的な女の子を描くことも多いかもしれない。単純に斜線を入れただけの赤面なども含めて、どちらかというと硬質な表現が多く、柔らかさが重視されることが多そうなロリコン漫画の中では目立って見える。
頻繁に器具や拘束具をも用いたハードな責めを見せる作家だが、どういうわけか作風はやけに明るいムードに包まれており、およそ悲惨とは言い難い、楽しくてエロい漫画になっている。オチも時にはバカバカしいほどあっさりしていてよい。
近年のエロ漫画では絶頂時に大量の描き文字と吹き出しを描いて喘ぎ声と淫猥な擬音を画面中にバラまく手法が増えているが、無道叡智もしばしばこうしたシーンを描く。女の子はほとんど描き文字と吹き出しの中に埋まってしまいながらエクスタシーを迎えているように見えることすらある。しかしそれがよい。この異常とも言える圧倒的な「情報」によって、読者は性的興奮を喚起させられている。そう思わせてくれる。
茜新社からは『ふたなりっ娘LOVE』などで描いた両性具有ものをまとめた『生えてるワタシとツいてる彼女』(2010)なども上梓しており、こちらはそうしたエクスタシー描写がふたなりという奇想と結びつき、かわいい絵柄とは裏腹の壮絶にダイナミックな絵を描く結果になっている。その手のが苦手な方にもおすすめ。
■緑のルーペ『イマコシステム』(茜新社、2010)
茜新社の「コミックTENMA」で『ガーデン』を連載中の緑のルーペ。今やどんどん絵がうまくなっていっている印象があるが、既刊となるとこちら。
ナイーブな少年少女がしばしばドラッグなどの酩酊状態からセックスに溺れていく、と書くと陵辱系エロ漫画としては意外とありがちなようにも読めてしまうが、この人の作品は何かすごい。彼らがドラッグに手を出すかどうかはライトに描かれてるし、そのせいで精神が破綻するかどうかもあっけないことのように思える。あるいはトラウマについても唐突に現われてみせる。それは正統的なエロ漫画にありがちなデカダンなドラマツルギーに則っていないようで、逆に則っているようで、とても面白い。
要するにここには、軽さによって生み出される、ある種の迫力がある。その感覚を一言で表わせば、単純だが「新しい」ということになるだろう。だがそれは緑のルーペに独特の新しさを指して言うわけではなく、どちらかというとエロ漫画以外のジャンルで今どきの若手がダークファンタジーやミステリなどを描く時のメンタリティに似ている。夢と現実が混乱して複雑化させられ、やがて情緒的なエンディングへと至るプロットなどにも似たものを感じる。
そうしたものを、緑のルーペは意図的に持ち込んでいるわけではなく、これはやはり世代的なものなのだと思う。エロ漫画の表現はある意味で先端的だが、よい意味で保守的な分野でもある。だからこそ、緑のルーペの新世代的にまっとうな表現は目立って見えるのだ。
■Low『マセガキッズ 放課後はこしふりタイム』(ジーウォーク、2010)
僕は何にでも褒め言葉として「狂っている」と言うやつが嫌いだが、Lowのロリ漫画の良さは「狂っている」ことだと言ったほうがいいかもしれない。
Lowは主に「コミックムーグ」とか「コミックメガストア」系で描いている。その漫画に、異常なことをやってみせているというわかりやすさはない。だが、だんだん単行本のタイトルが明確におかしくなってきた。『発イク!ケロリズム ヒミツの中身はもうオトナ』(ジーウォーク、2012)とか『マセガキッズ 放課後はこしふりタイム』とか、これこそが売れるというのなら申し訳ないけど、個人的には何を考えて作っているのかよくわからない。表紙のデザインも何となく変わっている気がする。
Lowの作品に登場する少女は基本的にビッチだ。ただ淫乱なだけではなくて、少年少女はほとんどスナック菓子でも食べるような気安さで交わる。そこに性依存症的な暗さは全くないため、見方によってはほとんどエロく見えないかもしれない。しかし眉根を寄せた困り顔が個性的な絵柄はどこか平面的で、登場人物たちが前提としていることが怖いというような、物語上では語られない不気味さを感じてしまう。緑のルーペにも似たものを感じるが、Lowは、もっと、さらに乾いている。ポップの放つ狂気がある。
絵柄も異形である。パースもポーズもどこかおかしいし、子宮などの器官は科学教材のように図式的なのだ。ほとんど宇宙人のように不気味な子宮内を、Lowは熱意を持ってリアルに、時に三次元的に描く。その執拗さにも、やはり異常な凄みが見え隠れしている。
■無有利安『お兄ちゃんとにゃんにゃんにゃん』(茜新社、2012)
無有利安は今回紹介する中では最もいわゆる「ロリコン」的な作風の作家だと言っていいだろう。どちらかというとその絵柄は「ロリぷに」的なものに限りなく肉薄している。物語としてはほとんど和姦で、ハードなプレイは少ない。しかしセックス自体は構図としてダイナミックに描かれている。こうした作家が、「COMIC LO」でなくとも描くことは可能なのである。無有利安は「COMIC RIN」によく描いていた。
だがよく見るとこの絵は変わっていて、しばしば臀部が奇妙なほど強調されている。おしりを大きく描くというよりは、腰骨が発達している。あるいは胸部が必要以上に退化していると言うべきなのか。いずれにせよ女の子の体型は、必然的に寸胴ではなくAライン的になってくる。
この体型はリアリズムに基づいていないが、しかし我々に本物以上に幼児らしさを感じさせる。乳幼児を題材にしたロリエロ漫画ではしばしば、おなかがぽっこりと出た体型を描くことで「子供らしさ」を表現してきたが、無有利安はそれを「女の子」に変形している。紅葉の葉のように指先のひどく尖った掌なども含めて、それはロリコン漫画としては正しく畸形である。挿入時の擬音が「ぱこ! ぱこ!」だったりするところも何かすごい。
■ドバト『ロリビッチなう!!』(オークス、2010)
ドバトは最近「コミック阿吽」に描くことが多いようだ。彼は同人では『ひぐらし』『うみねこ』やSound Horizonなどの二次創作を行なっているが、商業作品では変態的で時にハードなセックスをひたすら明るくかわいらしく描く。
友達の兄と行為に及ぶセックス中毒の12歳とか、お兄ちゃんのために張り切って特製ハニーレモンを作ると言いつつ淫蜜を集めて肛門にレモンを5個入れている娘とか、いろいろと常識的じゃない女の子が登場するのだが、ドバトはそれを全力でかわいらしく描いてしまうのだ。不思議でならない。描かれている光景をかなり引いた目で見るとほとんどコメディだが、女の子自身はかわいらしい。ちなみに本人の弁によると「ロリが好きです。でもロリから血が出たりするのは苦手です」ということで、ビッチ的なキャラクターが多いのはそれが好きというよりは破瓜を描くのが好きじゃないということらしい。
こうした作風は、たとえば『キャノン先生トばしすぎ』(オークス、2007)が高く評価されたゴージャス宝田の近作にも近いものを感じる。もっと近い例を出すならば、ややマイナーなところで、くどうひさし(大道いむた)などだろうか。激しいセックスがなぜかオフビートな笑いにつながってしまうところが面白い。
絵的には、男性器を透明化した上で女性器を正面から覗き込むようなアングルを多く描く。クスコ拡張されたような、と言えばわかりやすいだろうか。これも近年ポピュラーな、性器断面図を描くパターンの亜種なのかもしれない。
■みやはらみみかき『はだかくびわ』(ヒット出版、2009)
みやはらみみかきは単行本がまだ少ないが、頑張ってほしい作家の一人である。
彼は休刊してしまった「comic ino.」(ヒット出版)の系列の作家と言うことができるだろう。今でも同誌の作家を受け継いでいる「coic少女式」などで描いている。
みやはらみみかきは、記号化が進んだ少々懐かしいタイプの平面的な絵柄でロリキャラを描いている。エロ漫画は何らかのリアリズムが必要なので、こうした絵柄で描くのはなかなか難しいと思う。だが、彼の漫画が面白いのは、この絵のままでボディピアスや肛門拡張などの超ハードなプレイを描くことである。物語は「ひぎい!」という感じの陵辱ものもあるのだが、なんだか悲惨に見えない。しかしそれは瑕疵にはあらず、身体をオモチャにするということが、まさにオモチャのような絵で表現されるのだ。
不思議なおもしろみがある。ここにあるのはあらゆる意味でリアルな性ではない。現実の模倣ですらない。しかし、たとえば手首ほどの大きさになった乳首を描くような、絵的に誇張された人体改造を描くありがちなエロ漫画でもない。
そもそも作者が幼い年齢のキャラクターに陵辱したいからこそ、この絵が選ばれたかどうかもよくわからない。むしろ、作者の欲望は「キャラクターを責めること」のように見える。そうしたものが、なぜ人をエロい気分にさせるのだろう。それはかつてのロリコンブームから連なっている問題系だが、しかし、みやはらみみかきの表現は確実にその外部へと踏み出している。そのことがもっとも彼の作品で興奮を喚起させる部分だと言ってもいい。
文=さやわか
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