special issue for Golden Week in 2012
2012ゴールデンウィーク特別企画/特集:セックス表現の現在形2012
ディス・イズ・ポルノ〜AV誕生30年をふり返って〜 文=安田理央 かつては秘匿されてきた性の営みがメディアと技術の発展で白日の下に晒されている現在、様々なジャンル・作品においてセックスはどのように表現されていくのでしょうか。これまでの描かれ方も含めて改めて検証していく連休特集企画――。第1弾は「AV30」で全作品監修を担当されたアダルトメディア研究家・安田理央氏によるAVの歴史。日本におけるポルノの変遷、そのど真ん中を俯瞰していただきます!!
|
次回の記事>>>
日本のアダルトビデオ(以下AV)が産声をあげてから30年の年月が過ぎた。その長い歴史の中でAVは大きく変貌を遂げてきた。
AV第一号とされているのは、多くの資料で記されているように1981年5月に日本ビデオ映像から発売された『ビニ本の女/秘奥覗き』と『OLワレメ白書/熟した秘園』の2本だ。実はそれ以前にも成人映画の短縮版がビデオソフトとして発売されていたり、旅館やホテルのテレビで流されるためのポルノビデオ作品は存在したが、ソフトとして販売されるためにビデオで撮影された成人向け作品というのは、この2タイトルが最初になる。
しかし、内容はピンク映画の女優が出演したドラマ物であり、ピンク映画となんら変わるところのないものだった。ちなみに収録時間は30分で、定価は9800円。
その後、本番女優として話題になった愛染恭子を起用した『淫欲のうずき』(監督は代々木忠)などが作られ、ヒットを記録するなど、AVの市場は少しずつ広がっていった。
この年の暮れに宇宙企画から発売された『女子大生素人生撮りシリーズ』は、その後のAVの方向性を示唆する重要な作品となる。黎明期のAVメーカーは、成人映画を制作していた会社と、ビニール本やエロ本を制作していた会社の二派に分けられたが、ポルノ女優を起用することが出来た前者に比べて、後者は出演女優を探すことに苦労し、また映画的な撮影技術にも劣っていた。しかし、そんなウィークポイントを逆手に撮り、素人の女の子をそのまま撮るという「素人生撮り」というスタイルを打ち出したことにより、ビデオ撮影の特性を活かすことに成功したのだ。「動くビニ本」というキャッチフレーズも、成人映画とは違う魅力をユーザーにアピールした。
そして翌1982年8月に、代々木忠監督が撮った「ドキュメント ザ・オナニー」シリーズがAVのスタイルを決定づける。カメラの前で女性が本当にオナニーし、それを生々しく記録したその映像は、あくまでも演技が前提だったそれまでのAVとは一線を画していた。実際には、本番シーンのあるドラマ物を撮る予定が、直前になって女優が本番を拒否したことから、こうした撮影になったという偶然の産物だったらしい。
しかし、そのリアリティのある映像は話題を呼び、「ザ・オナニー」シリーズは大ヒットを記録し、成人映画として再編集されて劇場公開までされた。
成人映画とは違う新たなポルノの可能性をAVは発見したのだ。
といっても、この頃、ポルノビデオとして一般的に認識されていたのは、裏ビデオのほうだった。1982年秋に登場した『洗濯屋ケンちゃん』は大ヒットし、一説には13万本以上流通したという。電器店でこうした裏ビデオが販促用の景品として扱われたという話もあり、「ケンちゃん」が観たいからビデオデッキを購入するといった人も多かったようだ。
そのため、当時は裏ビデオと区別するために、AVを「表ビデオ」などと呼ぶこともあったほどだ。
それでも1983年になると、日本ビデオ協会が個人向けのレンタルシステムを発表。AVメーカーも50社を超え、ビデ倫審査本数も年間1000本に達する。ポルノビデオからアダルトビデオと呼び方が変わってきたのもこの頃である。「隣のお姉さん」のキャッチフレーズで人気を集めた八神康子、13歳のロリータアイドル少女Mなどがデビュー、ラブホテルの消し忘れビデオをうたった作品や、マガジンスタイルのビデオも登場するなど、AVの内容も幅広いものになっていく。
そして1984年、宇宙企画から発売された『ミス本番 裕美子19歳』がユーザーと業界に大きな衝撃を与える。「普通の」可愛らしい女の子が「本番」を見せる。それは多くのユーザーが求めていたものだった。同作品は2万本以上のセールスを記録し、AV業界には「素人」「本番」を売りにした作品が乱立することになった。
また、プロの女優が演技のセックスを見せる成人映画よりも、素人の女の子が本番を見せるAVをユーザーは選択し、成人映画は急速にその勢いを失っていく。成人映画の雄、にっかつが、AVに影響を受け、ビデオ撮影と本番による「ロマンX」路線を始めるなど、その力関係は完全に逆転。それは1988年のロマンポルノ撤退へとつながっていく。
1985年から90年代初頭にかけてはAVの第一期黄金時代といってもいいだろう。早川愛美、中川えり子、秋元ともみ、美穂由紀、斉藤唯といった人気女優が次々と登場。中でも元祖ビデオクィーンとも言える存在である小林ひとみや、特異なキャラクターで文化人として持てはやされた黒木香、淫乱という存在を知らしめた豊丸などは、一般的な知名度も高く、時の人と言ってもよいほどだった。彼女たちに限らず、多くのAV女優が一般紙やテレビ番組に出演、学園祭に呼ばれたりレコードデビューを果たすなど、アイドル扱いされるようになる。
この時期のAVの中心はドラマ物だった。それなりに重厚なストーリーを持ったものも一部にはあったが、その多くはチープなテレビドラマ以下の仕上がりに過ぎない。AV女優の演技力の低さや、予算の少なさもあり、観るに値するものはほとんどなかった。
しかし、それでもドラマ物は作られ続けた。きついことを言ってしまえば、いつかは普通の女優になることを夢見ていたAV女優のモチベーションを高めるため、そして同じように本当は普通の映画やドラマが撮りたかったと考えていたスタッフの自己満足のために、こうした内容の作品が多かったのではないかと思う。この頃、ユーザーの意見は、メーカーには届かなかったのだ。
この時期のAVはレンタルが中心。というよりも、レンタルショップ以外にAVが流通する販路は、ほとんどなかった。レンタルショップに流通させるには、ビデ倫の審査が必須だった。つまり、この時のAVの定義とは、ビデ倫の審査を受けてレンタルショップに並ぶ18禁ソフト、ということだ。
注意すべきは、この頃、メーカーにとってのお客様はユーザーではなく、レンタルショップということだ。さらに言えば、その上の問屋である。ショップや問屋がどれだけ取ってくれるかが重要であり、ユーザーがどれだけ借りるかは直接は関係ない。そしてショップも、どの作品を取るかは、パッケージや知名度などで判断するしかない。
とあるメーカーの営業は、「パッケージがよければ、中身が生テープでも売れる」とまで豪語したと言うほどだ。
作れば、そこそこは売れる。そんなぬるま湯のような商売が成り立っていた時代でもある。
しかし、そんなユーザー無視の状況が、悪かったとばかりは言えない面もある。90年初頭に一気に台頭した意欲的な監督たちは、こうした状況があったからこそ、作品を作ることが出来たのだ。
ハメ撮りというスタイルをつきつめた等身大のセックスを描き出すカンパニー松尾、世間のモラルに挑戦するかのような挑発的なドキュメンタリーを連発するバクシーシ山下、冒険的な私小説映像を記録する平野勝之、そしてパワフルで前衛的な世界を展開するゴールドマン......。
彼らの作品群の多くは、内容とは似ても似つかないようなセクシーなパッケージに包まれて世に送り出された。例えば、監督自身が実際の愛人との不倫生活の顛末をドキュメントした平野勝之の名作『わくわく不倫講座』もパッケージは内容と全く無縁な写真ばかりで、「くんずほぐれず男と女」「夫以外の男はイイ!」「フリンが好きなあなたが泣いて喜ぶわくわく講座。これが正式な不倫のススメ」と言ったキャッチも内容とは全く関係ない。このパッケージに興味を持って借りたユーザーは、再生して唖然としたのではないだろうか。なにしろ、愛人が失踪した後は、若き日の井口昇監督が女装してその役を演ずるという悪趣味な展開の作品なのだから。
これらの作品は「ぬるま湯のレンタル」時代だからこそ生まれ得たとも言える。その後のセル時代になって、彼らのほとんどが失速していってしまった現状を見ても、それは明らかだ。
さて、90年代に入るとバブル崩壊の影響がAV業界にも押し寄せる。一世を風靡した村西とおる監督率いるダイヤモンド映像が倒産するなど、右肩上がりで成長してきたAV業界も停滞期を迎えることになった。「ギルガメッシュないと」などのテレビ番組に出ている女優しか売れない、とも言われた。
またイメージクラブや性感ヘルスといった新風俗のブームにより風俗嬢のレベルが上がり、中でも人気のある子はフードルと呼ばれ、一般誌のグラビアにも進出。AV女優よりもフードルのほうが人気があるといった状況も見られた。
90年代半ば、そんなAV業界にひとつの変化が現われた。インディーズビデオの出現だ。すでに通販ビデオ、マニアビデオなどと呼ばれる自主制作のセルビデオが密かに人気を集めていたが、当時はあくまでも一部のマニア向けであり、内容もSMやフェチなどのジャンルが中心だった。
それが大きく変わったのが1993年から派手なフランチャイズ展開をした「ビデオ安売王」だった。当時、1万円以上が当たり前のビデオソフトを980円で売るという商法で話題を呼んだ。当初は海賊版なども売られていたが、オリジナルのAVも作られ、販売された。「安売王」は1995年には1000店舗を超える巨大チェーンに成長したが、そのグレーゾーンすれすれの経営の果てに倒産してしまう。
すると残された店舗は販売する商品を独自に入手しなければならなくなった。そこに目をつけたのが「安売王」のビデオを制作していた高橋がなり率いるソフトオンデマンドを始めとするセルビデオメーカーだ。ここにビデ倫=レンタルショップとは全く違う流通網が生まれることになった。
ソフトオンデマンドの初期の大ヒット作、『全裸50人オーディション』はこのポイントを見事に押さえた作品だ。50人もの女性のアンダーヘアが見られるというこの作品にユーザーは飛びついた。一説によれば5万本ものセールスを記録したという。今からは信じられないことだが、当時は「動くヘア」はそれほど貴重だったのだ。
90年代後半には、こうしたセルビデオが成長していったのだが、当時はまだまだ傍流に過ぎず、ビデ倫の審査を受けていないAVは、すべてインディーズビデオと呼ばれていた。80年代に盛り上がった自主制作のレコードメーカーをインディーズと呼んだことに習ったのだろう。
既存のAVメーカーも、インディーズメーカーと同列に扱われることを嫌った。インディーズで仕事をした監督は既存のAVメーカーで干されてしまうこともあったし、雑誌でも同じページで扱うことを拒否するといった例もあった。
ビデ倫の審査がないのをいいことに、修正を薄くした、いわゆる薄消しビデオの存在もインディーズの印象を悪くした。目を凝らさないとモザイクがかけられていることがわからないほどに、薄い修正の作品が次々と作られた時期もあった。当然のごとくに摘発されてしまったが。
借りれば一泊二日で300円程度のレンタルとは違い、1本数千円のインディーズビデオを購入するとなると、ユーザーの要求も当然高くなる。インディーズのメーカーは、ユーザーのニーズに敏感だった。
といっても、人気の女優は既存のメーカーに押さえられているため、無名の女優を使って企画で勝負しなければならない。必然的にぶっかけやレイプ、野外露出といった激しいプレイの作品も増えていった。
こうしてソフトな単体物はレンタル(ビデ倫)、ハードな企画物はセル(インディーズ)という図式が定着し、それは00年代半ばまで続いていく。
そして単体女優でも、まずレンタルでデビューし、その後セルに移籍して再デビューし、少しハードな作品に出演するようになるというシステムが出来ていく。これは女優の寿命を伸ばすというメリットもあった。
90年代末期から00年代にかけてAV業界に訪れたもうひとつの大きな出来事が、DVDの登場だった。日本で初めてDVDプレーヤーが発売されたのは1996年だが、その年には早くもアダルトDVD第一号『桃艶かぐや姫・危機一髪 小室友里』(芳友メディアプロデュース)が登場している。
実際にAVでDVDのリリースが本格化するのは2000年にはいってからだが、2003年にはリリースのメインはVHSからDVDへと完全に移り変わった。
VHSからDVDへとフォーマットが移行したことでAVの内容にも大きな変化が訪れた。まず、内容の長時間化だ。黎明期のAVは30分の物が多く、それが45分、50分と増えてゆき、90年代以降は60分が主流となる。一部には90分、120分という作品もあったが、あくまでもVHS時代の基本は60分だった。
それがDVDでは120分が基本となった。中には240分、480分などという作品もあるほど、長時間化したのだ。
そしてもうひとつの大きな特徴がチャプターだ。リモコンのボタンひとつで、次のチャプターに飛ぶことができるDVDの見方は、早送りするしかないVHSの見方と大きく違った。気に入らないシーンはどんどん飛ばしていけるのだ。興味のないインタビューシーンやドラマシーンは飛ばして、すぐに本命のカラミのシーンを見ることができる。
このDVDの特性は、AVからドラマ物、ドキュメント物を追いやることになる。なんとなくストーリーは追える早送りとは違って、カットされてしまうチャプター飛ばしでは、ドラマやドキュメントは全く意味を失ってしまう。
このDVDのフォーマットに適したスタイルとして、20?30分の独立したコーナーのオムニバスのような構成の作品が増えていった。最初のカラミがあり、フェラのコーナーがあり、またカラミのコーナーがあり、オナニーのコーナーがあり、最後は3Pというような構成だ。そしてこれが00年代後半以降、AVの主流ともいえるスタイルとして定着した。
こうした状況に合わせたスタイルの変化に素早く対応していけたのは、やはりユーザーのニーズに敏感なセルメーカーだった。この時期でも、レンタルメーカーは、また既存のドラマ中心のスタイルに固執していた。
さらにレンタルメーカーの重い足枷となっていたのは、ビデ倫の基準だった。ヘアが見えていても別に珍しくないという時代になっても、ビデ倫は執拗にヘア規制にこだわっていた。
その一方で、セルメーカーはデジタルモザイクという技術を開発していた。これは動画の一コマ一コマに修正をしていくというもので、非常に細かく「見えてはいけないもの」だけにモザイクをかけることができた。たとえば、フェラチオのシーンでは男性器だけにモザイクをかけ、女性の唇や舌はそのまま見せることができるわけだ。
1999年頃からこれらの修正が使われるようになり、セルビデオは、より「実用度」を増す。しかし、ヘアもアナルも映すことの出来ないレンタルビデオでは、このデジタルモザイクを使用することは不可能だった。
ビデ倫が重い腰を上げ、ようやくヘア・アナル解禁に踏み出したのは2006年のことだった。しかし、それはあまりに遅かった。この時期、すでにレンタル=メジャー、セル=マイナーという90年代の構図は逆転していた。
ムーディーズ、エスワン、SODクリエイトといったセルメーカーは、レンタルメーカー以上の大手企業に成長していた。もはやインディーズという蔑称じみた呼び方をすることもなくなっていた。
単体女優はレンタルメーカーのほうが強いという常識も崩れていた。いきなりセルメーカーからデビューしてトップアイドルになる単体女優も珍しくなくなっていた。いや、この頃になると、むしろ話題になるのは、セルメーカーの女優や作品ばかりになっていた。
また、セルメーカーのレンタルショップへの進出も進み、逆にレンタルメーカーも、レンタルショップの減少からセルへ主力を移しつつあった。この時点で、レンタルメーカー、セルメーカーという区分も有名無実なものとなり、両社は同じ土俵で戦っていたのだ。そして一方は修正範囲が広く、見えて当たり前となっているヘアにまでモザイクがかけられているとなれば、ユーザーがどちらを選ぶことになるかは、はっきりしている。
2006年にビデ倫はヘア・アナル解禁を打ち出したが、時既に遅し。もはや状況の逆転は難しいところに来ていた。
そして10年近くに渡るこの対立は、思わぬ結末を迎えることになる。ヘア・アナルを解禁した翌年の2007年、ビデ倫は修正審査が不十分だったとして警視庁保安課の家宅捜索を受け、2008年にビデ倫の審査部統括部長とビデオ制作会社社長がわいせつ図画頒布幇助の容疑で逮捕されたのである。
問題となった作品は、確かにセルメーカーの作品に比べても、修正は薄かった。しかし、それが逮捕にまで値するほど問題性のあるものだったのかは疑問が残るところではあるが、少なくとも厳しい審査で知られるビデ倫が、そこまで基準を緩くしていたということは、いかにレンタルメーカーが追い詰められていたかという証拠でもある。
この事件をきっかけにビデ倫は事実上活動を停止。その後、レンタルメーカーは、セルメーカーの審査団体であったメディ倫と合流した新組織・映像倫で審査を受けることになる。ここで、レンタル・セルの対立は、完全に終結したことになる。結果的には、時代の流れに乗ったセル陣営の勝利だと言えよう。
さて話を少し前に戻そう。前述の通り、レンタルからセル、VHSからDVDという変化はAVの内容にも大きな変化をもたらした。収録時間の長時間化、チャプター毎に独立した構成、そしてユーザーのニーズの反映だ。
エンドユーザーが何人観た(借りた)かは、あまり問題ではなかったレンタルとは違って、販売本数が直接利益に結びつくセルはシビアな世界だ。しかもセル初期の販売方法は、ショップの買取が多かったが、00年代半ばからは委託方式が中心となり、より実売本数が問われるようになったのだ。
AVは、90年代初頭に異端の監督が実験を繰り返したような牧歌的な世界では、なくなっていた。
ユーザーのニーズを的確に反映し、より実用的なもの=売れるものへと、磨きぬかれてきたのが現在のAVなのだ。
そのひとつの結論を見たのが2006年頃ではないかと筆者は考えている。この年の象徴的な出来事がセルメーカー16社が参加した「AVオープン」というイベントだ。各社がその威信をかけた作品で実売数を競い、日本一のAVメーカーを決めようというものだった。優勝したのは、エスワンの『ハイパーギリギリモザイク』だった。蒼井そら、あいだゆあ、穂花、麻美ゆま、小澤マリアというエスワンを代表するトップ女優に加え、着エロアイドルからのAV転身で話題となり芸能人ブームの火付け役となった青木りんまで収録したオムニバス。売れて当然という作品だった。
そして男女各250人が同時にセックスするというSODクリエイトの『人類史上初!! 超ヤリまくり! イキまくり! 500人SEX』は大きな話題を集めたものの4位という結果に終わった。また豪華女優が共演したドラマ物であるミリオンの『ミリオン・ドリーム?私立ミリ商の天使たち』も7位という成績である。この作品は、従来のレンタルAVの流れを感じさせる作りだった。古き良きAVといったところか。
下馬評通りとはいえ、この二つの作品ではなく、エスワンの作品が優勝したという結果に、筆者は時代が変わったと実感したことを覚えている。
『ハイパーギリギリモザイク』は、非常にわかりやすい作品だ。いや、2004年に誕生したエスワンというメーカー自体が非常にわかりやすいコンセプトを打ち出していた。
可愛い女の子、綺麗な女の子が、セックスをする。そしてユーザーが見たい部分を(法律上許される)ギリギリのところまで、よく見せる。そこにつきるのだ。
よく見せるために、多少不自然でも接合部が突き出させるような体位を取る。男優の顔や身体はなるべく映さない。余計なストーリーもいらない。そしてチャプターごとに独立した構成。恐ろしいまでにシンプルで、システマチックな作りなのだ。
そこには、実験性やドラマのような余計な要素はない。ひたすら実用性を追求したストイックな「ハードコアポルノ」だ。
1981年に第1号が誕生して以来25年間、AVは試行錯誤を続けてきた。ドラマ、生撮り、ドキュメント、フェチ、コスプレ......。性器を直接見せることができないが故に、日本のAV制作者たちは、あの手この手で「エロ」を表現するためのアプローチを試してきた。日本のAVは、世界に類を見ないユニークな進化をしたという評価もされている。
しかし、デジタルモザイクによるギリギリ最低限の修正によって、限りなく無修正に近づいた時に、ユーザーが選んだのは、シンプルなハードコアポルノだったというのは皮肉な話だ。
結局のところ、ユーザーが見たいものは、「これ」だったのだ。それが25年かけてAVが追求して来た結論ではないか。
もし将来、日本がポルノ解禁になったとしても、この小さなモザイクがなくなるだけで、それほど撮り方に変化はないだろう。現に、ネットなどで見ることが出来る無修正動画は、このスタイルで撮られているものがほとんどだ。
00年代後半、エスワンに代表されるこのスタイルはAVのスタンダードとなった。レンタル系のメーカーも、こうしたスタイルを取り入れるようになっていった。
ドラマやドキュメントのような「余計な」要素は剥ぎ取られ、AVは純粋に実用的な作品として研ぎ澄まされていった。
しかし、ここ数年は監督のカラーを押し出した作品はあまり見られなくなった。そのため、業界関係者か、よほどのAVマニアでなければ、最近活躍しているAV監督の名前をあげられる人はいないだろう。以前のようにAV監督がサブカル有名人のように扱われることも、ほとんどなくなった。
現在のAV制作者に求められているのは、作家性や個性ではなく、職人としてのスキルだ。とある監督は、いみじくも自分を「食品工場の工場長」だと言っていた。事故をおこなさないように品質管理をしっかりする仕事なのだと。
AVは「作品」ではなく、「ツール」なのだ。AVはオナニーのためのツールである。それがはっきりしたのが2006年だったと筆者は考える。AV制作者がそこに気がつくまで25年という歳月が必要だった。
こう書くと、現在のAVを否定しているように思われるかもしれないが、それは違う。筆者はここ数カ月、アダルトビデオ30周年を記念したプロジェクト「AV30」に関わり、過去から現在までの膨大なAVを見返す作業に明け暮れていた。そうして実感したのが、今のAVのレベルの高さだ。
現在のAVは、30年間に渡って磨きぬかれてきた結果、とてつもなくクオリティの高い物になっている。スタッフのスキルも、そして女優のルックスとスキルも、どんどん高くなっている。
オナニーのためのツールとして考えた場合、現在の法律下において、これ以上の物は考えられないというレベルにまで達していると思うのだ。
AVを取り巻く環境は、決して明るいものではない。この原稿では触れなかったが、インターネットの普及は、「エロ」の価値をはっきりと暴落させた。かつてアダルトメディアの主要な顧客であった10代、20代の若者はエロはネットで無料で見るものだという意識が強い。新人AV女優に話を聞くと、ほぼ例外なくAVは携帯電話で見ていると言う。携帯電話で見られるサンプル動画、もしくはラブホテルで見るアダルトチャンネルがAVなのだ。音楽CDもすでにそうなっているというが、若い世代にとってAVのDVDを買うというのは、相当マニアックな行為なのだろう。
その結果、現在のAVの主な購入層は40代以上だ。この高齢化はますます進んでいくだろう。当然先細りになることが予測される。
若いユーザーに買ってもらえるAVとは、現在のツール化をさらに推し進めたものなのだろうか。それとも全く別のものなのか。
恐らく今後、AVはパッケージ販売からネット配信へと移り変わっていくだろう。
VHSからDVDへ。レンタルからセルへ。その状況の変化によって、AVは姿を変えてきた。今から10年後のAVはどんな変化を迎えているのだろうか?
文=安田理央
関連記事
2011夏休み特別企画/特集「大人の学究へ向けて」
ライトノベルのどくしょかんそうぶん 文=村上裕一
エコな夏はやっぱりマンガ! 『美味しんぼ』の究極のたしなみ方 文=遠藤遊佐
三丁目じゃない戦後の東京 文=伊丹直行
「痛い恋愛」が陽に灼けた素肌にヒリヒリ沁みる五冊 文=雨宮まみ
夏の短夜に観る「ヒーマニストムービー!」大全 文=ターHELL穴トミヤ
日本のエモのお勉強 90年代・青春編 文=四日市
夏休み課題図書「怖い児童文学」 文=さやわか
人形と欲望とワタシ 文=永山薫
|
次回の記事>>>