special issue for the summer vacation 2011
2011夏休み特別企画/特集「大人の学究へ向けて」
日本のエモのお勉強 90年代・青春編 文=四日市今年の夏の特別企画はWEBスナイパーの豪華著者陣による、大人の研鑽に必要な名作・傑作のプレゼン祭り! 夏休みのまとまった時間に改めて、あるいはもう一度触れておきたい作品群をジャンル不問で紹介していただきます。第六弾はエヴァンゲリオン研究家の四日市さんによる日本のエモのお勉強です。エモコアとも呼ばれるこの音楽ジャンルは80年代にワシントンDCで産声を上げたとされていますが、本日ご紹介いただくのは日本のエモ。初めての方もそうじゃない方も必見です!
「エモ」という音楽ジャンルが何を指し示しているのか今となっては非常に曖昧だが、振り返ってみても明確だったことなど一度もない。メジャーな名前をあげるとエルレガーデン、9mm Parabellum Bullet、NATURE LIVING、岸田教団だって「エモ」で括ることができるだろう。定義がないのだから自由に生きろ。
しかしじゃあ、極めて自由と言いつつも、言葉があるのだから指し示す具象は存在する。「エモ」は現象の名前だったものがジャンルの名前に遷移していった、と言うのが筆者の考えだ。エモの起源は、1980年代頃にワシントンDCで活動していたイアン・マッケイがMinor ThreatからFugaziへと移り変わる過程のその周辺の盛り上がりを評してスラッシャー誌がエモコアと呼んだ。とあるシーンを指して呼んだのだからニュアンスとしては「下北系」に近い感じだろうか。彼らの音楽は、ハードコア・パンクに属するラウドな音を試行しながらメロディーも重視していた。そのメロディは哀愁に富み、また歌詞の内容も厭世的なものが多かった。これがジャンルとしても「エモ」のイメージを創り上げていく。おそらく「エモ」と言う名付け自体は消費しやすくしようとするメディアの意図ではあったのだろう。しかしその名付けによって広く知られ、消費された彼らの音楽スタイルはWeezerによって完成され「エモ」はムーブメントから音楽ジャンルを指す言葉に変化していった。成り立ちとしてはグランジと同じ。ファッションと関連付けて語られるあたりもグランジと同じ。エモの代表格でもあるSunny Day Real Estateの所属レーベルはSub Popなのでグランジと同じ。
『In circles』Sunny Day Real Estate
なんとなく(笑)な扱いされるのもグランジと同じ。エモのレッテルを貼られるとみんな嫌がるのもグランジと同じ。あれ、れ……?
■日本のエモ、札幌
さて「エモ」がムーブメントであるならば「エモ」のエイリアスは時と場所を限定してしまい、日本に存在しようはずもない。「JawbreakerとかSunny Day Real EstateとかWeezerとかJimmy Eas WorldとかGet Up Kidsとかになんかよく似たバンド」と言う意味のジャンルとしての「エモ」であればあげようもあるが、元祖エモは日本にはないのか。いや、エモは日本も含めて動いていたシーンだ。日本には日本のエモシーンが存在する。1990年代当時、そのクオリティやシーンに所属するバンドの多彩さ、言葉にしようのない何か同じものを持っているように見えるバンド群が存在し、まさに「日本のDC」と呼ばれた土地、札幌である。今回は夏休みの自由研究ということで、1990年代札幌シーンを彩ったバンドをエモという括りから紹介していく。もちろん、紹介されているバンドはどれも「エモ」と呼ばれると怒る(ファンも)。
『旅路ニ季節ガ燃エ落チル』eastern youth
札幌のエモといえば、後にエモと呼ばれるバンドにも多大なる影響を与えた彼らの存在は偉大だ。「激情系」と呼ばれるにふさわしい絶叫とシューゲイザーの影響を感じさせるギターが特徴だが、ライブにいくとむしろタイトなのにやたらと音のでかいドラムにびっくりする。Oiや、Husker Duなどをルーツとしており、彼らの影響力はOiのバンドはもちろん、ASIAN KUNG-FU GENERATIONなど様々なジャンルに及んでいる。余談だが、シンガーソングライターマニアの山下達郎はラジオで彼らの曲を流し、ライブに行ったことがあると発言している。
『Dostevsky Groove』fOUL
NUKEY PIKESやGOD'S GUTSと共に「ネオハードコアテイルズ」というライブシリーズを盛り上げていたTHE BEYONDSを解散後、ヴォーカル・谷口健が、COPASS GRINDERZの大地大介、WE ARE THE WORLDの平松学と始めたバンド。fOULほど説明のしようのないバンドも珍しい。なんともユニークな朗々と歌い上げる禅問答のような歌詞に豊かな曲展開。筆者は初めてfOULを聴いた時「全く良さがわからん。だが、必ずハマる日が来る」という謎の直感を刺激され、一度だけ聞き厳重に封をし半年に一度聴いて自分の感性を試していたが、ライブを見てハマった。2005年3月、無期限の活動停止を宣言。
『either way you want』NAHT
2011年現在、いきなり聞かせて「ああ、エモだな」と思ってもらえるのはNAHTだろう。FUGAZIの来日で前座を務め、以降、積極的に「エモ」シーンのバンドを招牌、国内外にわたってサポートし続けた。ツインギター編成から、ヴァイオリンを加えた大所帯に移り、また日本語詞の導入やシンセサイザーの導入などポストロックのアプローチを牽引した。音だけでなく活動全体が重要なバンド。2003年に活動停止、2005年に活動再開したが、2009年に解散を宣言。
『kocorono』bloodthirsty butchers
日本のエモの代表作と言われる名盤「kocorono」。三人編成、スリーピースの三角形=△(サンカク)で活動を続けていたが、2003年、元NUMBER GIRLのギタリスト・田渕ひさ子が加入し四人編成になる。 独特、というより超越した日本語センスに、完全オリジナルなギターコードとソングライティングが特徴。BECK、イアン・マッケイ、向井秀徳など尊敬の意を評すミュージシャンが多く、ミュージシャンズミュージシャンと言われたりもする。正直、国宝だと思う。
『ハ・ル・カ・カ・ナ・タ』MOGA THE ¥5
ビートパンクバンドであり、1980年代後半にガーリックボーイズらと共に新宿ロフトや下北沢シェルターを彩った元祖メロコアDouble Bogysのヴォーカル・エスカルゴを中心に1995年に結成されたバンド。疾走感と言うには早すぎる曲展開、アルバムを通して聴いても15分だったりする超短期決戦型。2011年、解散を宣言。
『極東最前線』V.A
eastern youth主催のライブ企画のタイトルであり、彼らの周りのシーンを切り取ったオムニバスアルバム。fOUL、NAHT、MOGA THE ¥5はもちろん、今やテレビCMにも出演する怒髪天の大名曲「サムライブルー」、メロディックハードコアからはHUSKING BEE、独自のサイケデリックを追求するD.M.B.Q、言わずもがなのNUMBER GIRLなど、札幌で生まれたシーンが東京で遂げたものが詰められている。
『揺ラシ続ケル』COWPERS
某誌に「ひきこもりのCOPASS GRINDERZ」と形容されたりもした、轟音オルタナバンド。1992年にギターボーカル竹林現動を中心に結成された。後にTHE FIX(Cowpersのメンバー、200MPHのドラム・ヘラ、またBONESCRATCH、NEXT STYLE、the carnival of dark-splitの故・カンノ氏を擁した伝説のバンド。ink-driveから一枚だけ音源が出ている)、Spiral Chordへと前進していく。2001年、解散。
『KIWIROLL ANTHOLOGY I』KIWIROLL
94年結成。これまで紹介してきたバンドに影響を受けた世代。エモらしい哀愁のある聴きやすいメロディかと思えば転調、変拍子を繰り返す激情ヴォーカルが特徴。THE LOCUSTなど、サンディエゴのバンドにこうした特殊なバンドが多く、彼らも比較されることが多かった。2004年、解散。ヴォーカルのエビナはDischarming manとして活動を継続している。
語り残したバンドは多いが、キーワードだけでも残しておく。the carnival of dark-split、BONESCRATCH、NEXT STYLE、bufferins、AEROSCREAM……。00年代移行、シーンとしての「エモ」はジャンルとしての「エモ」になり、やがてポストロック、カオティックやスクリーモへと分化していく。NINE DAYS WONDER、battles、envy、THERE IS A LIGHT THAT NEVER GOES OUT、kurala、3cm tour、killie、heaven in her arms……。
文=四日市
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