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■ビッチ萌えの二形態"純情ビッチ"と"ビッチ純情"

 お約束の再強化とともに、個人的に気になっているキーワードに「ビッチ萌え」というものがあります。ビッチといったとき、普通は性に奔放な尻軽女のことを意味します。したがってビッチ萌えが流行ってるということは、草食なオタクも一般化が進み、いよいよ肉食化の兆しかと思う向きもあるかもしれませんが、現実は真逆のようです。
というのも、仕事のスタッフと意見を交わすにつれ、ビッチ萌えには「純情ビッチ」と「ビッチ純情」の二種類があるらしいということが分かってきた。前者は清楚な純愛系のヒロインが、一度セックスを覚えると性に貪欲になり、これに溺れていく様がよいとするパターン。後者は一見するとギャル系やリア充にカテゴライズされる娘が、内面的には非常に純情かつ貞操観念の高いキャラクターであるというパターン。『あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない。』(2011年)に出てきた「あなる」なんかが典型です。

 なるほど。イメージがくっきりしてきました。

 この構図からいえることは、オタクの肉食化でもリア充化でもありません。僕の理解では、純情ビッチというのは、従来の純愛系ヒロインがエロくなった、性に過激に、あるいは奔放になったという話であるし、ビッチ純情というのも、これまでオタクの萌えのレパートリーにうまくのせることができなかった要素なり属性を、最適な形で取り込めるようになったことの現われ。変わったのはヒロインの側であって、オタクの欲望自体は一切変わっていないというわけです。

 純情ビッチは従来のオタクの欲望の凄い洗練アップグレード版ですね。

 従来の形を保ったまま、より過激になって楽しみやすくなった。あるいはファンタジーの度合いがぐっと増したということですよね。それを洗練と呼んでいいのかは微妙ですが。

 一番ぐっとくるシチュエーション、あるいはぐっとくる萌え要素の組み合わせとして現われて来たのでしょうかね。逆にビッチ純情というのは、どちらかといえば紛糾しそうな話題ですよね。あなるはギャルの友達とつるんでますが、友達のほうははるかに性に奔放そうな、いわゆるリアルビッチに見えました。そういう中であなるというのはもう体当たり芸人みたいなものですね。他の子たちに合わせるために無理をして、援助交際の真似事をさせられてラブホテルにまで行ってしまう。そこで彼女を助けるのが女装趣味で幻想に恋焦がれているゆきあつなわけですから、シチュエーションの先鋭化だけを見れば目眩がしそうですよ。まさか消費者がこれを望んでいたとは全く思わないのですが、現われてみるとある程度自然に受け取られるような土壌があったわけですね。

 確かに(笑)。そんなニーズはどこにもなかったと思います。潜在的にあったものを浮かび上がらせたというのはあるでしょうが。

 岡田麿里が脚本を書いているわけですが、そもそも彼女はこういう傾向性を持った作家ではありましたね。つまり、ふだん作品がオミットしているような生理や排泄をバンバン意識下に浮かび上がらせてしまう。そういう作家が評価される時代の時代性について我々は考えているのかもしれません。

 まさに仰るとおりだと思います。先ほどポッと話題に出た「妊娠しないキャラクター」というのは、要するに生理がない、もしくは描かないことでそれが持つ生々しさがオミットされてしまったキャラのことです。キャラクター文化が隆盛をきわめる中で、岡田さんのような作り手が受容されているのはバランサーとしての必然性を感じさせます。
それに視点をネットに向ければ、こうした生々しさは主にネットユーザーの告白という形をとりつつ、悲喜こもごもの物語を提供していたといえなくもない。『あの花』のひきこもり主人公であるじんたんは、まさに2ちゃんねる語でいうところの「お前ら」感のあるキャラでしたし(笑)。ネットに吐きだされる商品化以前の「リアリズム文学」を取り込みつつ青春物語を破綻させることのない、岡田さんの手つきをもって、一種の洗練だといいたくはなります。と同時に、リアルとフィクションの間にファンタジーを発生させることに可能性が見いだされているのかもしれませんね。一見違うテイストですが『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』(アスキー・メディアワークス、2008年)あたりも、同系統の欲望にフィットした作品ですね。

■あの日見た花の名前が僕たちの見た風景か

『secret base~君がくれたもの~』 アーティスト:ZONE with Girlz & Boyz~Run Time All Stars~ 発売日:2001年8月8日 レーベル:ソニーレコード
 『あの花』の話題は想定していなかったんですが、出てくると非常にうってつけのものだと気づきました。というのはこういう構造があるからです。まず、主人公のじんたんはひきこもりで、しかもめんまという幻想を見ています。ここで止まると単なる痛い話で、実際第一話はそういうふうに概ね受け取られていました。ところが続きを見ていくと、なんと他の登場人物がそんなじんたんを羨ましがっているわけですね。何でお前だけめんまが見えるんだよ、と。あなるなんて、ある意味じんたんをめぐって幻想のめんまと争っているわけですね。これは、好きな彼がマンガのヒロインに夢中だ、というのに近しい話です。『secret base ~君がくれたもの~』(ソニー・ミュージックレコーズ、2001年)の力で青春っぽく思えていますが、実際には結構驚くべき構図になっていますね。

 頭のおかしい夢見てないで私のほうを振り向いてよ!という話ですよね。過去の女もキャラクターも、幻想という一点においては同じですから。耳が痛い話である一方、視聴してる最中は案外自然に観ちゃった感じはあるんですけど。

 もし自然に見えるのだとすれば、あれが我々の精神的風景だということですよね。我々といったら語弊がありますが、少なくともあの作品が好きだ、あれが気になるといっている人にとっての精神的風景があの作品にあったということでしょう。

 精神的風景とはいい得て妙ですが、それってある種の幼児性なのかなと思います。僕たちは大人になるにつれ、様々な世俗的価値にコミットしていくわけですが、それによって幼児性は消え去るのではなく、単に隠すのがうまくなっただけともいえるし、思春期とは巧妙に隠された幼児性に性愛という新規条件がくっついた状態のことでしょう。
『あの花』がよかったなと思うのは、めんまが現われることによって、こうした大人未満なやつらの精神年齢が一気に下がり無防備になっていく点でした。社会性のバリアがはがれ、幼児性があらわになったときにこそコミュニケーションが沸騰していくのです。大人になるベクトルが葛藤をもたらし、人間関係がシャッフルされたりするアメリカの若者ドラマとは対極的なのが興味深いですが。

 偽悪的ですが、確かにあれは現実っぽいと思うんです。例えばめんまが初音ミクだと考えてみましょう。すると、なんでお前だけあんなに上手く描けるんだ、上手く動画作れるんだよといっている似たような業種の人が思い浮かびますね。他方で有名Pがいて、彼が初音ミクに夢中で私を見てくれないと思ってる女の子が隣にいる、なんていうことも想像できます。そうなると戯画感が半端ではありませんね。

 なるほど、なるほど。

『こみっくパーティー DVD-BOX』 監督:須藤典彦 発売日:2007年6月22日 販売元: ジーダス
『化物語(上)』  著者: 西尾維新 イラスト: VOFAN 発売日:2006年11月1日 出版社: 講談社
『偽物語(上)』  著者: 西尾維新 イラスト: VOFAN 発売日:2008年9月2日 出版社: 講談社
 ちょうど古い美少女ゲームの『こみっくパーティー』(Leaf、1999年)に似た話がありました。主人公の千堂和樹が同人作家として頑張っているのをヒロインで非オタクの瑞希が少し忸怩たる気持ちで見ていて、彼の気持ちを取り戻したいと思ってコスプレを始めるんです。そういう方向から考えれば、『あの花』は見た目の露悪的なエロ感とは異なり、現代の日本における、オタク的な恋愛感・性愛感をストレートに描いているといえますね。
ではエロスそのものはどうなっているか。例えば『聖痕のクェイサー』(秋田書店、2006年)のような作品があります。これはリアルにおっぱいが乱れ飛ぶアニメで女性も喘ぐ作品で、そういうものが毎クール一作や二作あっても特に珍しくないのが現代ですよね。もちろん普通にエロくするのには限界があるので、比喩や隠喩を使って官能小説のようにエロスを描いていく。例えば西尾維新原作の『化物語』シリーズは凄くウケていますが、見てみると結構エロいんですよね。

 『化物語』は性行為こそないですがエロそのものでしょう。戦場ヶ原(ひたぎ)が非常にビッチ臭かった気も。

 戦場ヶ原は確かにビッチ純情っぽいですね。いや頭がおかしい純情かもしれません......。『偽物語』(講談社、2008年)では阿良々木火憐に歯磨きプレイのシーンがあって、そこも狂った感じのエロスがあって話題になっていました。

 ただ、性的なものにためらいがない、貪欲さすら感じさせる過激さという意味ではビッチと呼ぶに値するでしょうが、リアルビッチが持つ性に対する奔放さ、要するに複数の男とセックスしてもいい的な奔放さは、さすがに見受けられませんよね

 過激と奔放は確かに違うと思うんですが、奔放はビッチというよりも、白痴に近いのではないですか。

 うーん。白痴はなんとなく性未満って感じがしてしまいます。

 白痴というのは泣きゲーに登場しがちなキャラ類型なので特別なニュアンスがあるのですが、一種の未熟さと考えると射程が広くなります。そして、その未熟さにプレゼンスがあった時期があると思うんですよ。それがケータイ小説です。ケータイ小説の多くは奔放な性を描いていますが、多くが感動作品と考えられているように、真剣さや純愛みたいなものが、ケータイ小説の作法ではありますが描かれています。コギャルの文化圏にありながら、奇妙な純真さがあるんですね。これはなんか、ビッチっぽくないんですよ。

 例によって運命の単一性というセオリーが邪魔をして、オタクの消費空間の中に取り込まれる過程で奔放さという要素はこぼれ落ちた。そう考えるのが妥当な気がしますね。

 なるほどね。オタク的な共同体が自然には内蔵していないモチーフは世界に溢れていて、単に緊張関係にあるばかりではなく、コンバートを伴いながら取り込まれてもいた。その変質の結果として――。

 あなるになったと。

 面白すぎますね(笑)。その変質によって、ヴァギナじゃなくてアナルになったみたいな話に聞こえました。それは確かにそうかもしれない。アナルだったら受精しませんしね。

 そんなメタファーがあったかどうかは分かりませんが......。

 いや、確か『あの花』小説版に登場するゲームで、女性器がくぱあって開いているというイメージの敵が出てきたりしますよ。だから抽象的な空間には女性器があるのに、現実的な空間にはアナルしかないのかなって。これはもうギャグでしかないけど、本気にしてもいい程度には整合性がある(笑)。

 謎の説得力はあります(笑)。そして同様のコンバートはビッチに限らない。例えばメンヘルキャラから落ちた要素は、おじさんと援交してヤッてるといった要素だと思いますし、その代わりに親の虐待のみが突出する。虐待の傷を癒すためにおじさんを求めたファザコン的欲望が、もっぱら主人公のみに紐づけられているのはこうした操作の産物だと考えてよいでしょうね。

■反転した全能感としてのマゾヒズムとNTR

 リアルなモチーフを取り込む際、オタクの消費空間は独特のコンバートを行なう。そんな話でしたが、このプロセス自体、村上さんから見てどう映ります?

 僕はこういう言葉遣いはあまりしませんが、宇野常寛さんがかつて、男性オタクの萌え文化の需要に対して、彼らは安全に痛いパフォーマンスをやっているだけだと指摘したことがありまして、その言葉を使うとスパッと切れるかなという感じがしました。ここでの「安全に痛い」というのはどういうことかというと、絶対に受精しないセックスをしたいとか、エロくていいんだけど一線は越えたくないとか、病んでると可愛いけどリアル病みは見たくないとかいうことです。

 ご都合主義的な側面における限り、指摘はもっともだと思います。安全さと痛さの二重性の中で、独特の快楽、全能感を得る。こうした二重化した欲望を示す最たる例が「寝取られ(NTR)」というサブジャンルの存在です。ヒロインを別の男に寝取られてしまうのに、自分が蚊帳の外に置かれたセックスを主人公が覗き見的に楽しむ。そのとき無力で惨めなポジションに置かれる主人公が感じるマゾヒズムの快楽がNTRのエッセンスなのかな、とざっくりいえるでしょう。
くわえてマゾヒズムとは何か。僕の理解ではこれは反転した全能感なんですね。反転する前の全能感とは、非常にニーチェ的です。すなわち、強いこと、美しいこと、力あることはよいことなのだという考え。しかしながら人間とは、事情はひとしなみではないでしょうが、これとは真逆の状態においても全能感を感じうる。社会的に脆弱なオタクのいじけきったあり方だと見なしうる反面、放蕩を尽くし退廃した貴族が至りつく境地でもあるのがマゾヒズムです。したがってNTR的モチーフはしばしば文学、有名なところではプルーストの小説にも散見されます。

『失われた時を求めて(1)――スワン家のほうへI』  著者:プルースト 訳者:吉川一義 発売日:2010年11月17日 出版社:岩波書店
 『失われた時を求めて』(グラッセ社、1913年)は本当に込み入っているんですよね......。主人公側は一方ではゲイカップルの貴族に翻弄され、他方では恋人をレズビアンだと疑って不幸な結末を迎えるなどの展開をたどっています。

 世界史上でもトップクラスの豊かな消費社会を謳歌した日本のオタクは、彼らの末裔だと見なす視点もそれなりに妥当性があるでしょう。

 それはそうとして、今のSMの解釈は面白いですね。確かに僕も単純に主従、攻守の関係がSMなのではなく、むしろ存在論的な地位の問題なのではないかと思っています。極端な例を出すと、マゾのプレイの中に放置プレイってあるじゃないですか、単にいるだけ、手も出さないみたいな。あそこまでになってくると、普通のプレイではもはや説明できない。例えば緊縛されて、それを見られているだけだったらプレイとしてまだ分かるんでしょうが、単に放置していないふりをしているとなると、誰を喜ばせているのかが不明瞭になるんです。もちろん、それに意味を見いだすほどの洗練があるのでしょうが。

 無関心が一番ひどいという話と似ていますね。存在感ゼロの石ころ扱いされているときこそがどん底だとすれば、そこが一番気持ちいいのかもしれない。

 だからSMの快楽は理解できるけど、ふと我に返ると、何が何だか分からない世界になっているだろうなあと思います。特別で時限的な論理がそれを成立させている。

 自分だけが、ニーチェ的な全能感とも、社会的な価値観とも異なる世界像でものを見ているというのが全能感につながるのではないでしょうか。年収100万の人間より1億稼ぐやつのほうが凄い、普通は誰もがそう考えますけど、いったん価値を反転させるとそうしたヒエラルキーは崩れます。いわば価値転倒を操作することこそが全能感の源泉なのかもしれません。

 同感ですね。僕は視覚の全能感の問題ではないかと思っています。SMは一般的にSが行為をしてMが受け入れる立場ですが、一般的な話でも実はMがSを支配しているんだって話はよくあります。それを視覚的に考えると、「見られる」が「見る」に相転移する構造の快楽だと思うんですね。つまり、普通に見れば能動的なSこそが一方的な視線でしょうが、それに対して見返すことしかできないMが逆説的に視覚の全能性を体現しているんだと思います。Sの能動的行為も、Mの観測あってのものですね。だから放置プレイが特殊なんだという話でもあります。

 ヘーゲルのいう主奴の弁証法とは異なる形で、視点という神の座をめぐり争ってる様がSとMの関係性から見えてくるようです。しかもこれは充足した者勝ちのゲームなわけで、リソースの問題を等閑視すれば一見、Win-Winの関係を築けてしまうのがミソですね。とはいえ経済状況は悪くなる一方でもあるので、こうした価値の支配者をめぐるゲームにも、そろそろ違う展開が訪れる時期が近づいているのかもしれませんね。宇野さんが主張されていた「サバイブ」というのも、今こそ真剣に向き合うべきテーマではないかとの思いがはたとしました。

■アメリカン・マッチョ・ポルノ『ファイト・クラブ』

『ファイト・クラブ』[Blu-ray] 監督:デイビッド・フィンチャー 発売日: 2012年4月21日 販売元:20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
 萌え文化から若干逸れてしまいますが、意外なNTRものがあることに気づきました。ブラッド・ピット主演で映画もヒットした『ファイト・クラブ』です。NTR構造がオタク文化のそれとかなり異なっているのがポイントで、まず主人公が「寝取られた」と思う相手が、マッチョな理想像であるタイラーという男性であること。ついでタイラーが実は主人公の別人格で、そうした理想的別人格を媒介することでようやくヒロインであるマーラと向き合えていること。さらにヒロインを「寝取る男」が自分の分身であることを包み隠さず描いていることです。
オタクのNTRものだと、寝取る側の男がイケメンだったり、マッチョだったり、セックスが上手だったりという形で、漠然と男性的美点が割り当てられているのに理想の仮託を見いだせはするわけですが、『ファイト・クラブ』を観直して腑に落ちました。NTRのユーザーは無力な主人公に没入してマゾヒズム的快楽を享受するのみならず、場合によっては愛するヒロインをガッツリと寝取る男のほうにも感情移入している、自分の分身を見いだしているのだなと思えたからです。

 なるほど。だいぶ入りくんでますね。

 『ファイト・クラブ』の構造をもう一度トレースし直すと、自分と同じく生きることに不全感を抱えたヒロインをまっすぐに愛せない主人公が、マッチョなタイラーに半ば同性愛的にひかれつつも、野性をむきだしにした地下での喧嘩ファイトの末に男性性を取り戻し、最後はヒロイン(女性)と向き合えるようになる、そういう話です。批評家からは「マッチョのポルノ映画」とも評されたようですし、オタク文化のNTRでは埋もれている同性愛的なセクシュアリティが浮き彫りになっている点が特徴でもありますね。

 いや僕、驚くべき話の切り替えをして恐縮なんですが、マッチョ的美意識みたいな話を聞いたときに、ニコ動でいつもガチムチが流行ってることを思い出したんです。しかも古いガチムチが単に生き残っているのではなく、日本のゲイセクシュアル系のビデオなどが新素材として登場しパラダイムやトレンドが変わりながら着々と続いているんです。ほとんどジャンルが自生し始めてる状態になっていて、しかもこのハードコアなジャンルをかなり広い層の男女が観てるんですよね。

 ガチムチの根強い受容ぶりは僕も興味深く思っています。愛好者に聞けば「ネタだ」と答えるのでしょうが、ありふれたバカコンテンツに収まらない受け入れられ方をされているように見えるんですよ。僕自身、ガチムチに興奮したりはしないので、今ひとつ手がかりがないのですけど、NTR構造に隠された同性愛的欲望と通底する何かが見えてくるようで見えてこない。

 寝取られって凄く難しいですね。先ほどの話の帰結としては、まさに安全に視覚的な優位を体験できる分かりやすい構図だと思ったんですが、他方で2chまとめサイトで寝取られ特集があると、みんな寝取られ大好きなんですよ。なんで大好きかというとめちゃくちゃ抜けるかららしいんです。

 らしいですね......というのも、僕は仕事のスタッフからNTRのアツさを吹き込まれはすれど、ガチムチ同様、今ひとつその素晴らしさが分からないんですよ。ひと口にNTRものといっても、ユーザーが評価するポイントがけっこうばらけていて、寝取り男と主人公とヒロインの三者のうち、どれを重要視するかがユーザーごとに違っているとも聞きます。その細分化された欲望のあり方が不思議だったりするくらいで。恐らく覗き見欲望が薄いせいではないかと自己分析してはいますが。

■NTR、その複雑な欲望の形

 僕はむしろ佐藤さんが着目する理由こそを正確に理解できた気がしました。自分がいて、自分の彼女がいて、彼女を寝取る男がいた時に、彼女を境界にして現実面と虚構面があるみたいな話に感じたんです。だから佐藤さんがトリエラに感情移入するように、寝取られ愛好者は、彼女のさらに奥の男に同一化を見るのかな、という感じがしました。と同時に、佐藤さんの着目対象の位置も気にはなりますが。

 どうなんでしょう。広くマゾヒズムという観点でいうと、僕が嗜好として分かるのはかろうじて女の子にいじめられたりする方向性なのですけど。というのも男性主体が女性の欲望、あるいは少女性を内面化するといった事態は、女の子にレイプされるような感覚に近いと思っているので。その感覚の反復、ないし延長線上にあるものとして理解できるというか。

 こういう考え方はできませんか。自分の彼女が襲われてるということは、女を自分の身体の一部と考えれば、自分がいじめられてるということでマゾヒスティックですよね。

 そのモデルだと、つまり一回所有した女は俺のものであり、その女が犯されていると自分が犯されているような気分になるという話になりますね。

 友/敵的なモデルを使えばそっちのほうが自然かなと思うんですが、先ほどの『ファイト・クラブ』の説明を聞く限りだと、佐藤さんはスパッと男のほうに視点を飛ばせるようにも見えます。ですがそのとき、認知的不協和が起きたらどうするんでしょう。つまり、強い男に感情移入するのは、仮面ライダーに変身する欲望にも似ていると思うんです。そうなれたらいいが、しかし実際はそうなれないわけですよね。それって苦痛なのではないですか。

 どうやら会話の流れに齟齬があることがわかってきました。たぶん村上さんは、僕が強い男に感情移入する一方、ヒロインにも同一化する傾向があると思っていらっしゃるのかもしれませんが、前者はさておき後者はないですね。冒頭にトリエラや御坂美琴を引き合いにしていったのは、彼女たちが自分に見えるということで、好きな相手(ヒロイン)は普通に二者関係的欲望の対象です。恋人が他の男とセックスしていたら僕はたんに激怒ですよ(笑)。

 おっと! ないないといいつつもう少しNTR感性があるものと誤解していました(笑)。かくいう僕もNTRは嗜好的には門外漢ではあるのですが、漫画で見ている分にはたいへん自明な構造なんですよね。これは主人公が性関係の中で傍観者になる構図なわけですが、それは要するに読者になることを意味しているんですね。ということは、主人公と読者が同一化することになるわけです。でも、そういう図式が凄くよく当てはまる世界って、驚くほどディストピアじゃないかとも疑いたくなりますね。心理的な訓練がされすぎている。

 ユーザーにとってはそれこそがユートピアなのかもしれませんよ。

 いずれにしても、NTRものを観る人の見立ては、自分を読者の地位に置いてみることもさることながら、自分がその物語においてどこに配置されているかもきちんと認識した上で、エロスを享受できてる感じがするのが、凄くいいと思うんですよね。その理由は、下世話ですが、「あ、俺覗いてていいんだ」ってお墨付きをもらえる感じです。窃視の欲望というバズワードがありますが、当たり前ですけど覗き見って概ね犯罪です。誰しもやりたいんだけどできない、してはいけないということが道徳的に決まっていて、にも拘わらずそれを実行できるファンタジーが、自分が主人公にならないことが判明した世界観においてウケるのは、むべなるかなと。

 そう考えると、端的にワルくて強い男が「寝取る」側としてプレゼンスを発揮する理由も分かってきます。ワルが女性にモテる理由は、要するに世間の尺度によらず、あらゆる物事を自分でカテゴライズできるからだそうです。システムにお墨付きをもらいつつ窃視というルール破りを享受する視点と、同様にルールをぶっちぎっていく欲望の体現でもある「俺サマ」的な身体。NTRの分身性はそのように整理できるのかもしれません。

 俺サマキャラですか......強いほうがいいのは分かるけど、僕なんかは強く振る舞うって正直リスキーだなって思えてしまいますね。

 ワルも極めれば極めるほど、死と背中合わせのハイリスクな人生を生きていたりしますしね。しかも望んでなったわけでないにも拘わらず。

 だからこそ自分はリスキーな存在になりたくはないが、リスキーな気分を味わいたいという分裂的な欲望がエンターテインメントで表出するわけですね。

(続く)

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村上裕一のゴーストテラス
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村上裕一のゴーストテラス

美少女ゲームの哲学 
第一章 恋愛というシステム
第ニ章 地下の風景
第三章 探偵小説的磁場
第四章 動画のエロス
第五章 臨界点の再点検
補遺
第六章 ノベルゲームにとって進化とは何か
第七章 ノベル・ゲーム・未来―― 『魔法使いの夜』から考える
第八章 美少女ゲームの音楽的テキスト

村上裕一 批評家。デビュー作『ゴーストの条件』(講談社BOX)絶賛発売中!最近の仕事だと『ビジュアルノベルの星霜圏』(BLACKPAST)の責任編集、ユリイカ『総特集†魔法少女まどか☆マギカ』(青土社)に寄稿+インタビュー司会、『メガストア』2月号のタカヒロインタビューなど。もうすぐ出る仕事だと『Gian-ism Vol.2』(エンターブレイン)で座談会に出席したり司会進行したりなど。またニコニコ動画でロングランのラジオ番組「おばけゴースト」をやっています。http://d.hatena.ne.jp/obakeghost/ WEBスナイパーでは連載「美少女ゲームの哲学」とラジオ番組「村上裕一のゴーストテラス」をやっています。よろしくね!
twitter/村上裕一

佐藤心 駆け出しのシナリオライター。代表作『波間の国のファウスト』(bitterdrop)『風ヶ原学園スパイ部っ!』(Sputnik)。「この世界はカネが全てだぜぇ~?」を処世訓としながら、とある中堅スーパーのお弁当を日々半値で買い叩く。そんな涙ぐましい生存戦略の果てに、講談社BOXより『波間の国のファウスト』のノベライズが決定(今秋発売予定)。
twitter/佐藤心
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