Criticism series by Murakami Yuichi;Philosophy of "bishojo" game
連載「美少女ゲームの哲学」
第八章 美少女ゲームの音楽的テキスト【2】様々なメディアミックスによってコンテンツが生まれている昨今、改めて注目されている作品たちがある。美少女ゲーム。識者によってすでに臨界点さえ指摘された、かつて可能性に満ちていた旧態のメディア作品。だがそうした認識は変わらないままなのか。傍流による結実がなければ光は当たらないのか。そもそも我々は美少女ゲームをどれほど理解しているのか――。巨大な風景の歴史と可能性をいま一度検証する、村上裕一氏の批評シリーズ連載。
恋愛という価値が組み込まれた結果、美少女ゲームがヒロインを対象とする物語として構成されるようになったことは既に確認した。一人称的な音楽による一人称的な物語。そこでは、当時のサウンドノベルとは異なり、男性主人公と同一化することでより本質的な感情移入がなされるようになった。こうしてキャラクターテーマソング以外の音楽の役割も、畢竟、以後の作品では変わるようになった。
三人称的な音楽観においては、楽曲は普遍的な意味を担う。他方、一人称的な音楽観においては、楽曲は個別的に振る舞う。もちろん、この二つの関係は、音楽それ自体が独立して存在している以上はくっきりと区別できるものではない。結果として、音楽が乗る物語との関係性によってそういう振る舞いを見せているということにしか過ぎないのかもしれない。しかし、いずれにせよ、意表を突いて驚かせるようなごく短期の「サウンド」的効果ではなく、より長期的である種の納得を背景に感情移入を施す効果が、この一人称的な世界でなされているのは確かである。
その傍証としてノベルゲームに用いられる曲には名曲が多く、ユーザーからの評価も高いところがある。たとえば『アトラク=ナクア』(アリスソフト、1997)の「Going on」や『雫』の「瑠璃子」、『痕』の「ためいき」などはよく言及される(※120)。ちょうど当時がPCのマルチメディア化の過渡期だったことを鑑みても、ノベルゲームの音楽的評価は相対的に高かった。
中でも重要な画期としての意義を持つのはボーカル曲の登場時期である。1996年前後からボーカル曲を搭載したゲームが登場し始めた。しかし、詩という形で意味内容を構成しなければならないボーカル曲が本質的な意味を持つのは、やはり物語と組んでのものだっただろう。たとえば、1997年に綺羅星のように輝いた二つの作品がある。一つは『To Heart』、もう一つは『Piaキャロットへようこそ!!2』である。後に後者の作画スタッフであったみつみ美里と甘露樹がLeafに合流して『To Heart2』を作ることを考えれば示唆的だとしか言うことができない取り合わせの二作品だが、エロゲー批評空間での調査によると、前者は「歌がいい」タグに64点がついているのに対して、後者は11点である。すなわち、少なくともシミュレーションゲームだった後者は、そこまで楽曲というものを重視していなかったということであろう。もちろん、会社のカラー的な違いというものはあったかもしれない。Leafは明らかに音楽的な優越があった。そして、そのようなメーカーが業界を牽引していくことになったのである。
では音楽的な優越とは何なのか。それは単に音楽的な体制が整っていたかどうかだけの問題なのか。むろんそうではない。それは作品を物語として、それも美少女ゲーム的なものとして捉えているかどうかの差異として現われる。その違いを吟味するために、ここで先の二作品の楽曲の歌詞を少し見てみよう。
『Piaキャロットへようこそ!!2』のOP曲である「GO!GO!ウェイトレス」はこのような歌詞から始まる。
ぐるぐる今日も目が回る いつものこと 気にしてないけど
短いスカートひらひら なんだかふわふわしてきちゃう
みんなにも分けてあげる タフでハデな明るい未来
少しくらいミスをしても愛嬌
許してほしいの
忙しいのよ 手が離せないの今は
済んだこと 今更
どうにもならない
眠たくっても 疲れてても 止まらない
ほら そこのキミも もう
のんびり出来なくなってる
見れば分かる通り、女性一人称を通じた、圧倒的な能天気さである。それは、1997年に出たといいながら、むしろバブル期のメンタリティなのではないかという疑いを持たせるほどである(※122)。楽曲を聞いてみればその感想はさらに強まる。合唱曲の体で軽々と歌われるそのニュアンスはおニャン子クラブを彷彿とさせる。しかし、ウェイトレスとのエッチな恋愛をすることを求めるゲームにおいてはそれはまったく真っ当な指定であっただろう。
短いスカートひらひら なんだかふわふわしてきちゃう
みんなにも分けてあげる タフでハデな明るい未来
少しくらいミスをしても愛嬌
許してほしいの
忙しいのよ 手が離せないの今は
済んだこと 今更
どうにもならない
眠たくっても 疲れてても 止まらない
ほら そこのキミも もう
のんびり出来なくなってる
これに対して『To Heart』のOP曲である「Brand-New Heart」はどうだろうか。
Brand-New Heart 今ここから始まる
胸の中の鼓動が聞こえる
Come To Heart 可能性を信じて
君に送る テレパシー
それなりの悩みも抱いて 迷いも消えなくて
この星の上で何か 求め探し続けて
耳を澄ませば 教えてくれたね
痛みも悲しみも 全てなくしてくれる Oh 奇跡
曲といい歌詞といい、ぐっと歌謡曲調ではあるのだが、歌っているのも声優ではなく歌手であるという点で本格的であり、妙に純朴で真面目なイメージが描かれているように思えないだろうか。テレパシーという言葉を用いながら、分かり合いたいというメッセージが強く打ち出されている。しかも「星」というあまりにも大仰な舞台を設定することで、その広大な世界の中でたった一人の「君」に届けたいというニュアンスを強めている。これはまさに美少女ゲームの倫理であるし、ひそやかに「奇跡」という言葉が呟かれていることも傾聴に値する(※124)。
胸の中の鼓動が聞こえる
Come To Heart 可能性を信じて
君に送る テレパシー
それなりの悩みも抱いて 迷いも消えなくて
この星の上で何か 求め探し続けて
耳を澄ませば 教えてくれたね
痛みも悲しみも 全てなくしてくれる Oh 奇跡
もちろん、前者は前者でウェイトレスの率直な心情を歌っているのかもしれないが、後者の方が深刻そうであることは確かだろう。その深刻さも、大人から見れば甘っちょろい、少年少女の深刻さである。しかし、そのような心情を歌いだしたからこそ、美少女ゲームは今に残る物語を生み出すようになったのではないか。
文=村上裕一
※120 たとえばエロゲー批評空間を見ると『雫』には「BGMがいい」タグに35点がついている。「シナリオがいい」が39点であるのを鑑みるに、これは相応の高得点だと考えられる。ちなみに『痕』は62点、『アトラク=ナクア』は135点、少し後だが『AIR』は393点だ。ただしこれはそもそも評価をつけた人間の母集団の違いに強く依存しているので、そのまま作品ごとに比較できるわけではない。とはいえ他方『同級生』は2点である。
※121 「GO!GO!ウェイトレス」作詞:金杉肇・吉田文/作曲:REICO
収録作品『Piaキャロットへようこそ!!2』(カクテルソフト、1997)
※122 みつみ美里たちがLeafに移籍してから第一作となった『こみっくパ~ティ~』のOPもほとんど同じようなテンションの歌詞だったことは面白い符号かもしれない。実際こちらはノベルゲームではなく同人誌制作シミュレーションであった。しかしながら、この作品は妙にドラマがしっかりしており、一種の感動作品として捉えられているところもあり、実際OPもどこか感動的で、EDに至っては単純に名曲となっている始末なので、やはりメーカーのスタイルというものの存在感が大きいという結論になるのかもしれない。
※123 「Brand-New Heart」作詞:NEKO/作曲:中上和英
収録作品『To Heart』(Leaf、1997)
※124 この基本は現代においても変わらない。たとえば『ひぐらしのなく頃に』はゆたかなBGMを内蔵しているが、むしろ、無音の状態や、それに準ずるような風の音のほうにこそ、多くのプレイヤーは強い印象を持っているだろう。なぜなら、そこにサスペンスがあるからである。
第一章 恋愛というシステム
第ニ章 地下の風景
第三章 探偵小説的磁場
第四章 動画のエロス
第五章 臨界点の再点検
補遺
第六章 ノベルゲームにとって進化とは何か
第七章 ノベル・ゲーム・未来―― 『魔法使いの夜』から考える
第八章 美少女ゲームの音楽的テキスト
12.07.01更新 |
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