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「かすみ草の序曲」
愛する妻を快楽の彼方へ連れ去りたい――。処女・童貞同士で結婚した若い2人の夫婦生活と、その狂おしくも切ない記憶。『S&Mスナイパー』1981年4月号に掲載された読者告白手記を再編集の上で紹介します。おずおずと繰り広げられる初々しいアブノーマル交流に、温かな息遣いと灼熱の興奮を感じ取って下さい。
透けたブルーの生理用パンティが、午前の陽光を反射させ、
とても清々しく真っ白のシーツの上に映えました。
中学生程度の可愛いヒップです――。
【1】不妊症の女
私は妻を亡くして七年目になります。生きていれば今年で三十五歳でした。
妻は年上でしたが、童顔で体つきも華奢だったせいか、私にとっては可愛い妹とでも暮らしているようなものでした。
ことに、キッチンに立って朝食の用意をしている時の妻は、痩せぎすな肩の線や、Tシャツの胸許にツクンと浮き出た小粒の乳首、ショートパンツの似合う細すぎるほどの両肢、すべてが十代そこそこの少女のシルエットにも見えたものでした。
今でも私が十代のスリムな少女か、二十代でもそんなタイプの女体にいっそうの興味を覚えてしまうのは、初体験の相手であり、丸五年間の夫婦生活を営んだ亡妻の影響なのでしょう。
妻のおかげで、私は素晴らしく幸せでした。もとはと言えば、私自身も美容師で妻の従業員でしかなかったのですが、結婚してからの私は、ほとんど働く必要のないぐうたらな亭主でいられました。妻は、美容院の次女として生まれ、私と結婚した二十四歳の年、すでに自分の店を持たせてもらっていたのです。小さな店ですが、私達二人が暮らすには十分すぎるほどの収入がありました。
こうして考えてみれば、外見はともかくとして、やはり妻は年上の女房そのものだったのでしょう。私にとってもったいないほどの世話女房でもありました。
結婚以前のことになりますが、私が妻の従業員であった期間は、ほんの三カ月間のことでした。当時の私は、国家試験にパスして間もない、二十歳の新米美容師でした。
最初に誘ったのは妻のほうからでした。私は、当然にして妻が非処女であり、むしろ恋多き女だとばかり思っていたのですが、二十四にもなって妻は処女だったのです。
私にしても初体験でしたので、妻がひどく痛がったにもかかわらず、妻が愛液に濡れた自分のものを拭き、純白のティッシュが薄紅色に染まるのを見ても、まだピンとこなかったほどでした。妻自身に告白されてようやく理解出来たものです。
そして私達は、初体験の三カ月後に、式こそ挙げませんでしたが法的な夫婦になりました。
新婚当初の夫婦生活は、平凡である以上にお粗末なくらいのものでした。体位は常に正常位。回数も二十代の新婚夫婦としては少なすぎる、週に一度といったものでした。
妻は、性に関してひどく淡白な質だったのです。愛液も、私の唾液なしでは性交不能なほどの微量でしたし、その最中によがり声を上げるようなこともなく、長い間、女の歓びというものを知らないままでいました。
亡妻に対し、ひどい言葉は使いたくないのですが、妻は不感症の女でした。
そうなってしまった原因の一つに、私自身の性に対する未熟さもあるでしょうが、一日じゅう突っ立ったままの妻は、いつもぐったりと疲れてしまい、性に対してまるで無頓着な女になっていたのです。性交中に寝入ってしまうことさえ何度もありましたから。
また、妻は子供を欲しがっていたのですが、結婚一年後に不妊症の体であることがわかり、それ以前にも増して、性への興味を失ってゆきました。妻は不幸な女でした。
それでも私達は、もともとプフトニックな面での一目惚れ同士でしたから、はた目には姉と弟のように仲が良かったものです。いえ、年上の妹みたいに可愛い妻でした。
そして、私達が本当の幸せを発見出来たのは、結婚三年目に入り、かすみ草が咲く季節になってからのことだったのです。
その朝、珍しいことに私のほうが妻よりも早く目が覚めました。前の晩、月に一度の町内会というやつがあって、一緒に出席していたのですが、アルコールの駄目な私に代わり、しこたま飲まされた妻は、胃袋の物をすべて吐き出すほどの酔い方をしたのです。
時計を見ると、店を開ける時間はとっくに過ぎていました。慌ててダブルベッドから飛び出し、カーテンを開けて妻を揺さぶりましたが、まったく起きようとしてくれません。
私は、サイドテーブルに飾ってあったかすみ草を掴み、それで妻の鼻先をくすぐってやろうと思いました。が、明かるい午前の陽差しに浮かび上がったその寝姿があまりにも無邪気で愛らしく、起こすのが可哀想になってしまいました。
私が妻の寝姿に見とれるなどということは、まったく初めてのことでした。スリップ姿で俯せになり、枕を抱えて片足を曲げ、ピローケースに唾液の染みを作って眠る妻が、幼女か十二、三歳の乙女の寝姿にも見えてしまったのです。
全裸すら見馴れているはずの妻のスリップ姿に、私は、今すぐにも犯してやりたいほどの新鮮な感動を覚えました。丁度、妻がメンスになっており、欲情しても妻を抱けないという意識が逆に作用して、余計に私自身を昂ぶらさせたのかもしれません。
私は、妻に気づかれないよう、ほんの少しずつスリップを捲り上げました。透けたブルーの生理用パンティが、午前の陽光を反射させ、とても清々しく真っ白のシーツの上に映えました。中学生程度の可愛いヒップです。そして、息を止めて細心の注意を払い、生理用パンティーを一センチほどずつすり下げ、臀部を剥き出してやりました。
しかし、俯せのままではピッチリした生理用パンティが腰骨に引っ掛かり、どうしても脱がせきることが出来ません。私は、夫婦なのだしバレたところでどうにでも言い訳が立つと、妻の下腹に手をもぐり込ませ、三十分もかけてようやく脱がせきることが出来ました。
妻は何度か軽い呻き声を洩らしましたが、馬鹿みたいにぐったり眠り続けておりました。
(続く)
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