掌編変態小説 パンティ三兄弟秘話 第一回 作=生地仁染多(きじにしみた) 一枚の生地から作られた三枚のパンティがそれぞれに辿った、いじましくも一生懸命な日々。 スナイパーアーカイブ、数回にわたって当時の記事をご紹介します。 |
●三兄弟の再会●
今日は私とその弟の小言を聞いて下さい。私パンティとは申しましても、元は生地で御座居ます。とある紡績工場にてパンティとして仕立てられたのです。決して成りたくてパンテイになったのではありません。
私の夢としては、やはりウェディングドレスかスーツといった、人目に多くふれられて、その人にも喜んでもらえる物に仕立ててほしかったのですが、なにぶんにも生まれが安物の綿の生地でしたのでパンティにしか仕立ててもらえませんでした。それでも私の生地の柄は可愛い花柄の模様でしたので、パンティとして製作された後に、若い女の子のよく集まるお店へと送られたのでした。
そのお店の店頭へ並べられた私は、他の仲間(パンティ)達とよくこんなことを話したものでした。
「どうせパンティとして仕立てられてしまった今、女の人に穿かれるのなら、きれいな女性に穿かれたいな」
ひそひそと言い合って、その時を待つ身の上でした。それから一週間程が経ちまして、一人の女性が私を手に取り、前や後ろを見回しては私を撫でさすり、手触りを確かめてからレジへと持って行きました。
その人は、そのお店の客としては似つかわしくない年齢の女性でした。その女性は何を思い、私の様な、若い女の子が好んで穿く花柄模様を買ったのとか、レジへと持って行かれた時には思いました。歳の頃は四十という中年ですが、いわゆる女盛りの熟女といった風の人が、こんな私を穿くなんてと驚きましたが、とにかく私はその四十歳の女性に買われてしまったのです。
そしてその日から三年余りの歳月が流れた現在、私は廃品回収業の人に引き取られて、ある倉庫の中で他の廃品の仲間(古着・下着等)とともに山積みにされています。つまり私は、その女性に三年間穿き古されてから廃品として処分されたのでした。
その倉庫の中を見回しますと、同じく穿き古された仲間のパンティがヨレヨレになって横たわっていました。その中に私とよく似た花柄模様の仲間を見つけ、私は思わず声を掛けたのでした。驚いたことに、それは私の兄弟だったのです!
兄弟とは、同じ生地ということです。紡績工場で同じ日に、同様のパンティとして製作された私の弟だったのです。私と弟は別々のお店に送られたので、もう二度と逢うこともないと思っていたのが、こうして同じ廃品の山の中で再会出来たことに感激しました。さらに驚いたことに「兄さーん」と言う声に、そちらの方を見ましたら、同様の花柄があるではありませんか。まさしく、もう一人の弟が同じ山の中にいたのです。まさかと思う三兄弟の再会でした。
その夜、私達三兄弟は夜を徹して、辛く苦しかったパンティとしての三年間の身の上話をいたしました。決して好んでパンティになったのではなく、パンティとして製作されてしまったからしかたなく女の人に穿かれてきたことを、その労を互いに慰め合ったのでした。
その長く辛かった三年間のお話を兄の私がここに語りたいと思います。どうぞこの小言、お聞きになって下されば、倖いです。
(続く)
著者紹介 生地仁染多(きじにしみた)=年齢、性別、職業等、すべて不明の投稿者。パンティへの情熱、そしてマゾヒスティックな感性が窺える紛れもない力作としてすぐさま掲載されたが、以後、生地仁氏から新たな作品が送られてくることはなかった。ユーモアを滲ませつつ、パンティの悲哀を描ききったこの作品は、15年が経った今でも時折読者からの問い合わせがあり、与えた印象の深さを物語っている。 |
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編集者突撃モニター
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