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「未亡人との熱い日々」
29歳、女盛りの未亡人と体験した濃厚なSMプレイの日々――。大胆に責めること、受け入れられることの淫靡な悦びが華を咲かせ、やがて散っていくまでの刹那の思い出とは。『S&Mスナイパー』1980年11月号に掲載された読者体験手記を再編集の上で紹介します。年上の女性が見せる恥じらいと懐の深さに甘える若きS男性の胸の鼓動が、SMマニアの楽しみと孤独を表現しています。
妙子が去った。もうあの魂までもしびれるようなSMプレイを二人で行なうことは出来ない――その寂しさに私はいたたまれなくなって、四年間過ごした吉祥寺のアパートを引き払い、今年の六月に杉並区へ引っ越して来た。
私が妙子と交渉を持つようになったのは昭和五十三年の夏からであった。彼女は吉祥寺における私のアパートの隣人であり、当時五歳になる娘を持つ人妻であった。といっても夫と五十年の初めに死別しており、いわゆる未亡人ではあったのだが。
私が妙子と特別の関係になったのは全くの偶然からである。「事実は小説よりも奇なり」とはまさしく真理である。
二年前のムシ暑い夏の夜、私は近鉄裏から井の頭公園に向かう道を友人と共に歩いていた。するとその途中にあるホテル『和康園』から一組のアベックが出て来、なんとその女のほうが隣人の妙子だったのである。
私も驚いたが、相手のほうはもっと驚いた表情で、一瞬立ちすくんでしまっていた。そしてその動作が、周囲の暗さの中でもお互いの顔をはっきり認め合った、という事実を物語っていた。
翌日の午後、妙子は私の部屋にやって来た。引っ越しの挨拶の時と昨夜、それ以外では時たまドアの所で顔を合わせる程度の未亡人が折り入って話があるという。私は彼女を部屋に招じ入れた。三畳分のキッチンと六畳間の部屋である。
私には妙子の訪問の意図は十二分にわかっていた。それ故、落ちついた態度で彼女にアイスティーを勧めると、
「三田村さん、昨夜のことは大家さんにはもちろん、アパートの誰にも言わないでほしいの」
妙子は、アイスティーには口もつけずに真剣なまなざしで申し出たのである。
私はうなずきながら、
(これをネタに未亡人をゆすり、その代償として体を頂く、なんてのが小説やドラマのパターンなんだがな)
そんなことを考えながら、持ち前の嗜虐的な感情が頭をもたげていた。
しかし、同時にこんなことも考えていた。
(夫を失い、女手一つで幼い子供を育てるのは、経済的にも大変なんだろうな。時には男に抱かれていくらかの収入を得る、という行為でもしなければ、アルバイト同様の今の仕事では生活面でも苦しいのだろう)
ということをである。
だが、事態は私の優し気な思惑を無視したほうに動き始めた。
「ねえ、三田村さん。絶対に内緒にしてほしいんだけど」
妙子が二十九歳という女盛りの色香をふりまきながら私にせまったのである。
やや短か目のスカートから露出した両方の膝頭をこすり合わせるようにクナクナと動かし、上二つほどボタンをはずしたブラウスをずらすようにして、私の視線がブラジャーに包まれた乳房に届くような姿勢を妙子がとったのである。
加えて、彼女は右手を私の左頬に伸ばすと、
「ね、黙っていてくれるわね」
という言葉を、熱い息と共に吹きかけてきたのである。
私は平常心ではいられなかった。
もちろん成熟した女の色香に下半身を刺激されたわけであるが、
(俺を若僧だと思って甘く見てるんだな)
という怒りの気持ちも湧き起こっていた。
(この女狐め、それほど色気をふりまくならば、俺の好きなように料理してやろうじゃないか)
私はサディスティックな感情で、残忍な行為に走ろうとしていた。
緊縛色っぽくせまる未亡人、妙子に私は言った。
「奥さん、ただで俺の口を封じようなんて思ってもいないでしょうね」
その時私は、二十一歳の学生には不似合いな、淫らな表情だったかもしれない。
だが、その言葉を耳にした妙子は、クルリと背中を見せ、ブラウスのボタンをはずし始めた。
(うまくいく)
そう確信した私は、彼女が後ろ向きのスキに机の抽き出しから長さ二メートルばかりの綿ロープを取り出していた。
余談ながら、私はそれまでにも二人の女性とのSMプレイの経験を持ち、縄さばきには多少の自信を持っていた。
ブラウスを脱いだ妙子は、ブラジャーをつけたままで私のほうに向き直り、両手で後ろ髪をかき上げた。
(ははあ、悩殺ポーズで幕を下ろそうって気だな。そうはいくかい)
私は心の中で思い、実際、妙子がポーズだけでかわすつもりだったことは後から本人が語ったことだ。
しかし、その時の私は、冷静になろうと努力しながら、
「奥さん、俺は童貞の坊やじゃないんでね、そんな格好をしてもダメだ。淫乱な人妻にはお仕置がいる」
そう言い放って妙子の両手を背中にねじ上げた時、彼女は顔をゆがめて抗議した。
「い、痛いっ。な、何をするのよ」
それに対し私の返事は、
「おまえのような淫らな女は、両手の自由を奪ってやるんだ」
というものだった。が、妙子は、
「し、縛られるなんていやっ。大声を出すわよ」
と言って、なおも抵抗を示した。
それは当然であろう。両手を縛られたりすれば、最悪の事態が訪れても避ける術がなくなってしまう。SMマニアの心情を理解せぬ常人から見れば、両手の拘束は即、貞操の危機を想像してしまうのも無理からぬことである。
妙子の抗議、抵抗に対して、私には強味がある。「大声を出すのも騒ぐのも奥さんの勝手だが、そうすりゃあアパート中はおろか、勤め先までにも昨夜の件を言いふらして回るんだからな」
この一言で妙子の抵抗は弱まった。それ故、私は何なくこの未亡人を後ろ手に縛ることが出来たのである。
「し、縛るなんてひどいわ。ほどいて、大声を出したりしないから。ねっ」
急に妙子は哀し気な表情になって許しを乞うた。
だが、私のようなサディストにとって、弱味を握られて後ろ手に縛られた人妻(正確には未亡人だが)を前にして、はいそうですかと縄を解くことなど、出来ない相談である。
私は机上のカッターナイフを手に持ち、
「このブラジャーは邪魔っけだねえ奥さん。せっかく魅力的なオッパイをしているんだから隠しておくことはないでしょう」
言うないなや、私は左右の肩ヒモをナイフで切った。
「ううっ、いや」
妙子は呻き声を上げたが、私がさらに背中のホックをはずすと、プリン、といった感じで左右の乳房が露になった。
妙子の乳房は適度な盛り上がりを見せ、子供を産んだためか、乳首はやや黒っぽくなりかけていたが、それはツンと上を向き、また乳輪も小さくて、男の目を楽しませるには十分なオッパイであった。
「ここまでにして。ね、これ以上はダメよ」
そう言う妙子には、先ほどの優越感はすでにない。だが、
(ここからが本当のSMプレイさ)
私は心の中で思っていた。
押入れから回数にして何十回か女体をしめ上げた縄を取り出した私は、許しを乞う妙子を無視して、乳房の上下を四巻きずつ縛り、さらに首縄をかけてその縄尻を後ろ手とつないで引き絞り、高手小手の緊縛姿を完成させた。
「ああ、痛い。それに苦しいわ。こんなに私をがんじがらめに縛り上げてどうしようっていうの」
妙子は吐息と共に私に尋ねた。
それに対して私が、
「奥さんのような女には縄が似合いさ。これから死ぬほど恥ずかしい目に合わせて、責め嬲ってやるから覚悟しな」
と言うと、妙子は急に表情を変え、
「三田村さん、あなたSMの趣味があるのね。私、怖いわ。ねえ、お願いだから許してよ。かんにんして下さい」
哀願口調でそう言った。
だが私は、
「奥さん、謝る必要はないわけだろ。むしろ悪いことをしてるのは、俺のほうなんだから、許しを乞うのはこっちだぜ」
口元に皮肉な笑いを浮かべて言ったのだった。
(続く)
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