Criticism series by Murakami Yuichi;Philosophy of "bishojo" game
連載「美少女ゲームの哲学」
第八章 美少女ゲームの音楽的テキスト【4】様々なメディアミックスによってコンテンツが生まれている昨今、改めて注目されている作品たちがある。美少女ゲーム。識者によってすでに臨界点さえ指摘された、かつて可能性に満ちていた旧態のメディア作品。だがそうした認識は変わらないままなのか。傍流による結実がなければ光は当たらないのか。そもそも我々は美少女ゲームをどれほど理解しているのか――。巨大な風景の歴史と可能性をいま一度検証する、村上裕一氏の批評シリーズ連載。
改めて『MOON.』について説明しておくと、この作品は新興宗教団体を舞台にした陵辱サスペンス調の物語である。そこでは「不過視の力」を習得すべく、「修行」という体裁で、信者に対して主に性的なトラウマを植え付けまたそれを掘り出すということを繰り返している。男性主人公が不在のこの物語ではヒロインに当たる天沢郁未が主人公となる。彼女は教団にコミットしていた母の変死に際し、その原因が教団にあると推察し潜入して真相に近づこうとしたのだった。他のヒロインたちも大なり小なり似通った理由で教団に侵入し、その中で主人公と出会うこととなった。最終的には問題を解決し教団から脱出するというエンディングとなる。この点で『MOON.』はある程度「電波」をテーマにした『雫』と似ているのだが、その電波ぶりは『雫』を上回ると言ってよい。たとえば最終局面で教主と争う場面では一種の精神戦が描かれるが、そこでは洗脳されかけておかしくなった主人公の内面世界が描かれる。そこはまるでつげ義春の『ねじ式』のような世界になっていた。
この様子は、狂気の顕現たる「電波」の設定が、最終的に超能力バトルに収斂した『雫』と比べると、より周到である。というのも、まさに狂気というものを、外からではなく、内側から描いていたからだ。例の精神戦のシーンでは「ひっくり返る」という描写がある。具体的には、主人公の皮膚が反転して内蔵がむき出しになる、というもので、転じて認識のあり方がおかしくなったことを一言で象徴している文言である。
言うなれば、KEY(Tactics)は、まさにここで「ひっくり返」ってしまったのではないか。だからこそ、次作となる『ONE』は、本当は『同棲』のようにふつうの恋愛を取り上げた学園ものになれるはずだったのに、後述されるような形で、そうはなれない宿業を孕んでしまったのではないか??。それは、その後のKEYの一種文学的な成果からも明らかだろう。
問題は音楽的な同一性である。上記の流れは、繰り返しになるが、音楽担当の折戸が今に至るまで欠かさず参加していることに客観的な連続性を見いだすことができる。人がずっと居続けているということは、音楽的な作家性が存在感を発揮し続けている可能性が高いということだ。別段、折戸だけが特権的な音楽家というわけではなく、YET11やOdiakeSなどのビッグネームが大きな存在感を発揮している。特にYET11は『ONE』最大の名曲である「雨」や「雪のように白く」を作曲しており、KEYに参加していないにもかかわらず未だに歴史に残っている。しかし、それでもなお、折戸の継続的参加が残している毛色のようなものがある。
それはごく単純にいって、折戸の作る楽曲が似ている、という身もふたもない事情があるということだ。これは使っている楽器が一緒だとか、テクノが好みだとか、得意な曲調があるとか、様々な要因の産物である。しかし、それがある程度ゲームの雰囲気を決定づけるような特徴を形成していることは確認される必要があるだろう。たとえば『MOON.』のデモムービーでも使われていた楽曲「新月」(※134)は、『ONE』の「潮騒の午後」(※135)「海鳴り」(※136)などと似ているし、楽器が変わったため完成度が上がっているが『Kanon』なら「風を待った日」(※137)の後半などに同様の曲調を見いだせる。コード進行などの類似性を追っていくのは難しい他方で、泣きゲーのアイデンティティとも言えるオルゴール調の楽曲には明らかな連続性が見られる。これは実は『雫』の「オープニング」からのものであり、『同棲』の「プロローグ」(※138)を経て『ONE』の「追想」(※139)でほとんど泣きゲーの文法として確立させ、『Kanon』の「約束」(※140)で完成するに至るといった様相である。
どうしてこういうことになったのか。むしろここでは折戸なきあとのLeafとしての『ToHeart』と、似たような主題を扱っているはずの『ONE』を比較してみよう。先に述べたようにボーカル曲を収録して純粋な青春を歌い始めたのが前者だった。それは『雫』=『MOON.』的な狂気を忘却することによって成立していた純粋さだった。BGMを聞き比べてみればこのことがより具体的に分かる。実は『ToHeart』には悲しい曲や猟奇的な曲が一曲として存在していない。わずかにそれらしきオルゴール曲も「Brand New Heart」のアレンジである。それに対して『ONE』は、「オンユアマーク」(※141)など明るい曲が少なくない一方で、「追想」「A Tair」を筆頭に聞き手に簡易な消費を許さないような楽曲の存在感が強い。これは「まだ癒えぬ痕」と同じ発想で、あたかも感情の中間地帯に聞き手を置くことで不安定にするような楽曲だったと言うこともできる(実際、ED曲にあたる「輝く季節へ」(※142)などはほとんど同じような狙いの構成になっている)。
ここには以下のような見立てを発見できる。即ち、LeafにせよKEYにせよ『雫』に起源があるとするならば、折戸を失ったLeafはそのことによって源泉としての狂気を忘却することができた。しかし、折戸が継続的に活動するKEYでは都合よくその要素を捨て去ることができなかった。従って、同じく日常を描いた作品であるはずの『ONE』には、『MOON.』と同じような調子の楽曲が宿り、自然、作品もまた狂気を帯びるようになった??。もちろん、実際の内実には、折戸の間接的影響よりも、麻枝准らの直接的影響の方があることは強調しておく。
狂気とは言わばトラウマだと言い換えることができるだろう。トラウマを解決していく過程に『雫』『痕』があったのだとすれば、『MOON.』『ONE』はむしろその直面の過程としてあった。急いで『ONE』について説明しよう。一般的な学園生活を描くはずのこの作品には大きな差異が三つある。一つは主人公の家族が新興宗教にコミットしていることで主人公と心理的に疎遠になっていること。一つは、妹が病気で亡くなりそれがトラウマになっていること。そして一つは、主人公が特定のヒロインと親密になると「えいえんのせかい」と呼ばれる領域に唐突に消え去ってしまいヒロインを置き去りにしてしまうということだ。特に最後の条件は恋愛ゲームとしては反則に近く、前述の要素もあいまってよくもわるくも大きな話題を呼んだ。「えいえんのせかい」という設定は後のKEY作品では変奏されて毎回登場することとなる。
「えいえんのせかい」はある種の理不尽さとして唐突に登場する欠如である。それは『雫』『MOON.』のような超能力・陵辱サスペンスを封じられた作品においては、こう描くしかなかったのだと言わんばかりの代物である。逆に言えば、かような超越的欠如は、唐突に日常ものを装ったところで、決して糊塗できるような規模のものではなかったということを示唆しているとも言える。それほどまでに『MOON.』までに作られたトラウマは大きかったのだろうか(※143)。「心に届くAVG」を作るべく結集した旧TacticsのKEYチームは、その欠如を埋めるかのように、まさに「心に届くAVG」として、泣きゲーの名声をほしいままにした『Kanon』を作るに至る。『Kanon』においては楽器の幅が広がり、感情を中間地帯に置くというような方針は捨てられ、まさに人を感動させるための音楽がフルに搭載され、曲を聞くだけで涙腺を緩ませてしまうようなユーザーを大量に生み出したのだった。それは、作品内容の変化であると同時に、折戸の進化でもあった。
文=村上裕一
※133 『MOON.』(Tactics、1997) デモムービー
※134 「新月」収録作品『MOON.』(Tactics、1997)
※135 「潮騒の午後」収録作品『ONE~輝く季節へ~』(Tactics、1998)
※136 「海鳴り」収録作品『ONE~輝く季節へ~』(Tactics、1998)
※137 「風を待った日」収録作品『KANON』(Key、1999)
※138 「プロローグ」収録作品『同棲』(Tactics、1997)
※139 「追想」収録作品『ONE~輝く季節へ~』(Tactics、1998)
※140 「約束」収録作品『KANON』(Key、1999)
※141 「オンユアマーク」収録作品『ONE~輝く季節へ~』(Tactics、1998)
※142 「輝く季節へ」収録作品『ONE~輝く季節へ~』(Tactics、1998)
※143 このトラウマは単にここだけの問題ではなく、以後しばらくの間「ループもの」の流行という形で美少女ゲームを縛ることとなる。
第一章 恋愛というシステム
第ニ章 地下の風景
第三章 探偵小説的磁場
第四章 動画のエロス
第五章 臨界点の再点検
補遺
第六章 ノベルゲームにとって進化とは何か
第七章 ノベル・ゲーム・未来―― 『魔法使いの夜』から考える
第八章 美少女ゲームの音楽的テキスト
12.07.22更新 |
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