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Scene02. 8月2日 嵐の夜


【1】

木製の棚に並んだ無数の瓶が、窓から射す稲光に照らされて、大小の濃い影を作っていた。
各瓶にはそれぞれラベルが貼られ、定規で書いたような几帳面な文字で中身が何なのかを告げている。
「智恵子・爪」「智恵子・髪」「智恵子・小便」「智恵子・唾」「聡美・爪」「聡美・髪」……。
個人名は瓶の中の体液や肉体の一部が誰から採取されたものなのかを示しているようだ。

他にはこんな瓶も並んでいる。
「精子」「爪」「髭」「鼻水」「涙」……。
物体の名称だけが書かれている瓶だ。
それらは他の誰でもない、瓶の持ち主の肉体から採られたものらしい。

瓶の数は全部で92本。
すべての持ち主は言うまでもなく、この屋敷の主・竜二である。

この夜、竜二は落ちつかない素振りで立ったり座ったりを繰り返し、座っている時には新しい瓶に貼り付けるラベルに小さな文字を書いていた。
ずんぐりとした体格。
数年前に流行った型の古びたサマーセーターにゴルフズボン。
袖口や膝に液体の浸みたような汚れがこびりついているが本人に気にしている様子はまったくない。

表情が、くるくる変わる。
顔立ちも佇まいも小学生時代からのあだ名である「蝦蟇(ガマ)」そのままだ。
何か変化した点を敢えて挙げるとすれば、子供の頃には使っていなかった眼鏡をかけていることくらいだろうか。しかし、レンズの奥の瞳に四十年を生きた男の思慮深さや滋味はない。

「なぁぁぁ……みぃぃぃ……。ゲェ……ロ……と」

黒いペンを五本の指で握り込み、「奈美・ゲロ」と書いた。
そのまましばらくは「うん、うん」と満足げにラベルを眺めていたが、ふいに、黒目だけをキュッと窄めて気色ばむ。

「くそが! あいつ……ぜってー価値分かってねえ……あり得ねぇ。吐くか、普通?……嫁が旦那の精子吐くかっつーの……」

立ち上がって吐瀉物の入った瓶を壁に思い切り叩きつけた。
瓶が派手な音を立てて割れ、異臭が部屋に充満する。

「あーあ、ラベルが無駄になっちゃったじゃねぇか!」

誰もいない虚空に向かって叫び、ソファに寝転がって「みんなみんな、壊れちゃうのね〜」と、節をつけて歌うように言う。
そのまま天井を見上げて口をつぐむと、すでに両眼からはあらゆる感情が消え去っていた。

昨夜、竜二は一晩中地下室に閉じこもって昼過ぎまで出てこなかった。
地下室には鉄格子で仕切られた牢があり、その中にはベッドと各種の拘束具、さらに、何に使うのか分からない器具や、明らかに大人の玩具に類する卑猥な小物が所狭しと置かれていた。

竜二が一人きりでそんな場所に閉じこもる理由はない。
牢の中に誰かが、恐らくは「奈美」と呼ばれる女性がいたものと思われる。
いったい、「奈美」とはどこの誰で、「みんな壊れちゃう」とは、何を意味しているのだろうか。

ソファの上、いつしか寝息を立て始めた竜二の足元に「精子 2002−2003」とラベルの貼られた瓶が転がっていた。

この瓶の中身が5、6数年前に1年間かけて採取された竜二の精子だとして、女性に飲ませようとして吐き出されたのもこれだとすれば、その行為の異常さは余人に測れるものではない。

瓶に密封されているとはいえ数年間常温で放置された精子がどんな状態にあるものか……。
単に保管しておいたという一事だけでも、この男の変質性が十二分に窺えるというものである。

怪物は、時を経てさらなる負の成長を遂げたのだろうか。

【2】

夜が明ける直前の濃い闇が屋敷をみっしりと押し包んでいた。

こんな時刻にどこへ行っていたのだろう、帰宅したばかりの竜也が黒い雨合羽から水を滴らせて立っていた。
竜二がソファで寝息を立てる部屋の隅である。

竜也は吐瀉物と割れた瓶の破片で無残に汚れた壁を見つめ、小さく震えていた。

「兄さん……」

そう呟く口元が歪んでいる。

「もう9人埋めたよ。俺は……俺はもう狂いそうだよ……」

返事はない。
代わりに降り続く雨の音だけが部屋を満たし、竜也を責めるように静寂を際立たせた。

「ご、ごめん……今片付けるから……」

竜也は雨合羽のフードだけを慌ただしく外し、飛散した汚物と瓶の破片を雑巾とちり取りで丁寧に回収した。
さらにキッチンへ行って牛乳を沸かし、2人分のココアを淹れる。

帰宅後、すぐに自分の分と兄の分のココアを入れるのが彼の習慣らしい。
竜也のほら穴のような瞳は何も見ていないかのように虚ろだが、身体だけは自動人形のように動いている。
不便さに気がついて雨合羽を脱いだのも、出来上がったココアをすべてカップに注ぎ終えてからだった。

白いTシャツにジーンズ。
ジーンズの裾は雨で濡れそぼち、Tシャツは大量の汗で肌にぴったり貼りついていた。
暑さのせいもあるが、半分は緊張からくる脂汗だと本人だけは知っていた。





突然、その背に竜二の低い声が飛び、薄い筋肉が硬くこわばる。

「竜也、それで10人目は?」

這うような声が竜也の全身に絡みつく。

「兄さん……俺はもう……」

やっと絞り出した声がかすれ、戦慄いていた。

竜也は、竜二が出す特定の声色をいつも恐れていた。
心の襞の奥深くまで分け入り、竜也が抱えるあらゆる秘密を「俺は知っているぞ」と脅迫してくるような独特の声。
その声が鋭く背中を打つ。

「10人目! 俺の嫁!」

振り向こうとした竜也の顔にソファのクッションが激突し、弾んでココアのカップをなぎ倒した。

「兄さん……お願いだよ、こないだの子だって申し分のない素敵な女性だったじゃないか! 『調教』なんかやめてくれ……もっと優しくしてあげればあの子だって……」

震える声で訴える竜也に、2個目、3個目のクッションが立て続け飛び、「やかましいわい!」と怒声がかぶさる。

「俺の顔を見ろ! 蝦蟇だぞ? どこの女が蝦蟇に優しくされて心を許すんだ? 俺には俺のやり方がある。ずっとそうして生きてきたし、お前はいつも協力してくれてたじゃないか。今回だってあと少しで上手く調教できたんだ! あと少しで……」

喉を震わせるように言いながら、這うように歩み寄ってきて、竜也の肩を正面から掴む。

「きっと今回で最後だよ。これまでの経験も活かすし、上手くいったら二度とこんなことしなくて済むんだ。お前だって、可愛い子が俺の嫁になって、ずっと家にいてくれたら嬉しいだろ? いつもお前に選ばせてやってるじゃないか! な? 次もお前の見立てでいいからさ。攫ってきてくれよぉ!」

そう言って竜也の目を覗き込む。
竜二は無意識にしているのかも知れない、あるいはわざとかも知れない。
しかし、いずれにしても竜也は竜二のこの声にどうしても逆らうことができないのだった。
物心ついた頃から、そして三十代も半ばを過ぎた今でも……。

「分かってるよ兄さん。本当は、もう地下室に眠らせてあるんだ。知ってる子だよ。だけど兄さん、約束してくれ。今回が最後で、そして絶対に壊さないって!」

すがるような言い方に媚びが滲む。

「あいかわらず馬鹿だな竜也。ちゃんとやってるなら最初からそう言えば怒らないのに」

竜二の唇がVの字に吊り上がり、暗い瞳の奥に粘着質な灯りが鈍くともった。

瓶のラベルに名を書かれた女性たちに対し、彼らが具体的に何をしてきたかが分かるのはこれからである。


(続く)

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『生贄おさな妻〜収集家の奴隷〜』

発売:9月26日
出演:渚
収録時間:120分
品番:KNSD-03
メーカー:大洋図書
ジャンル:SM・緊縛・凌辱
レーベル:キネマ浪漫
定価:5,040円

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junichirou.jpg 芽撫純一郎 1960年和歌山県生まれ。プロポーラーとして活躍後、セミリタイアして現在は飲食店経営。趣味として、凌辱系エンターテインメントAVの鑑賞と批評、文章作品の創作を行なう。尊敬する人は一休宗純。
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08.09.19更新 | WEBスナイパー  >  官能小説